推し活で神が不在だった件
イカワ ミヒロ
二〇二二年九月二十九日、
ミヒロは朝からそわそわしていた。今日は新宿の紀伊國屋書店に読楽を入手しに行く日だったからである。朝イチで行こうかとも思ったのだが、午前中にしておかなくてはならないことがあった。冊子を祀る祭壇を作らなくてはならなかったのだ。そのための花も生けた。それを済ませると、手早く身支度を済ませ、ミヒロは新宿に向かった。バッグの中には厚手のフォルダーを入れた。冊子が折れ曲がったりしては大変だ。祭壇に捧げるのだから完全を保っていなくてはならない。重いので少し迷ったが、PC も持って行くことにした。読楽を入手したあと、どこかの喫茶店にでも入ってじっくり目を通し、そのまま、そこで仕事をしようと考えていたからである。それに、ヒールのある靴を履いた。神聖な書物を受け取るのに、失礼な装いをしたくなかったからだ。
行きの電車では、書店周辺でゆっくりできそうなカフェをスマホで検索した。幸い、手頃なカフェが見つかった。準備はバッチリだ。新宿駅につくと小走りに書店へと向かった。書店の入り口が見えてくる。メインフロアに向かうエスカレーターが見えた。
「このエスカレーターを上れば、読楽が手に入る……!」
逸る心を抑えて、ミヒロはメインフロアにあるレジに向かった。ミヒロは既に知っていた。レジ横にあるテーブルに向かえば、小冊子やフリーペーパーが並んでいることを。
ミヒロはテーブルの前に立った。右から左へと目を走らせる。興奮が不安へと揺らいでいく。
読楽が無い。
もう一度、今度は左から右へと視線を動かす。テーブルの上の小冊子のタイトルを一つひとつ見落とさないように読んでいく。やはり、読楽は無い。
一日早かったのかもしれない。それでもいい。明日また来ればいい。
レジ内にいる店員に声をかける。
「あの……、読楽はありますか?」
声をかけられた店員は、その小冊子を知らなかったらしく、隣の店員に視線を投げかける。その店員が口を開こうとした瞬間に、その奥にいた店員が言った。
「あー、読楽ですね。昨日来て、もう捌けちゃったんですよ」
ミヒロの頭は一瞬真っ白になった。
「き……、昨日ですか?」
「そうなんですよ、すみません」
思わず涙が溢れそうになる。
「えー……」
そう言ったまま、ミヒロは無言になり俯いた。店員も気の毒に思ったのか、念の為にレジ下の棚を確認してくれて、「毎回数冊しか来ないもので……」と申し訳無さそうにミヒロに言う。ミヒロは一生懸命、涙を抑えて「この近くでほかに扱っているところ知りませんかねぇ」と尋ねた。しかし、店員たちは互いに顔を見合わせて、「正規の書籍ではないので、調べようがないんですよね……」と困ったように言った。
ミヒロは丁寧に礼を述べると、足早に書店を後にした。頭の中では、都内の別の大型書店を思い浮かべていた。さっと頭に浮かんだのは、御茶ノ水の三省堂と東京駅の近くにある丸善本店。新宿からなら御茶ノ水の方が近いが、JR の御茶ノ水駅から三省堂まではかなり歩かなくてはならない。丸善本店なら東京駅のすぐ近くなので、そこをまず当たろうと思った。
JR 新宿駅は昔に比べてレイアウトが変わっているので、迷いながら中央線を探し出す。東京行きの電車に乗り込んだ後で、丸善本店で読楽が見つからなければ、発行元の徳間書店に直接行ってみればいいのではないかと思いつく。住所を調べるために、出版社の web サイトをスマホに表示した。よくよく見てみると、問い合わせ先の電話番号がたくさんあり、その中に読楽専用の番号があった。三日前にかけた電話番号とは違う。丸善で見つからなければ、ここに電話しようとミヒロは心に決めた。
東京駅の北口を出て、丸善に向かう。レジ周辺を見てみるも、あまり小冊子は置いていない。ここでもレジ内の店員に尋ねる。内線でどこかに電話をかけて尋ねてくれたが、やはり無いと言う。
「十日発行なので十日に来ていただければあると思います」と店員は言ってくれたが、それは信用ならない。多分、もう出払ってしまったのだろう。こうなれば出版社に掛け合うしかない。
丸善を出ると、そのビルのロビーの静かなところでミヒロは徳間書店の読楽専用番号に電話をした。四十代はじめかと思われる男性が電話に応えた。
「あの……、『読楽』の紙媒体の十月号を探しているんですが……」とミヒロが話し始める。
「はい」
「もう……、お手元にはありませんか」
「あー、もう書店さんに渡すとこちらには残らないんですよ」
「じゃあ、もう全部書店に出てるってことですね」
「そうですね」
「あの、都内であればどの書店に卸しているかわかりますか」
「どの辺りにお住いかわかれば、近くの書店をご案内しますが」
「えーと、さっき新宿の紀伊國屋に行って無かったので、今丸善本店にいるんですが、そこでも無いって言われまして……」
「あー、となるとですねえ……」
「御茶ノ水の三省堂には卸してらっしゃいますか」
「あ、出してるはずですよ」
「そうですか、じゃあ、そこに行ってみます」
「なにか気になる記事があるんですか?」
不意に尋ねられた質問にミヒロは一瞬つまる。
「……。……えっと、大藪春彦新人賞の入選記事で……入選された方の中に……お名前を確認したい方がいまして……」
言っていて顔が赤くなった。本当は名前を言いたかったのだが、口にするのが恥ずかしくて訳のわからない文言になってしまった。
「あー、なるほどなるほど」
マーケティングのデータになるのか、出版社の社員は満足そうに答えた。そして、「電子版でも入手できますよ」と付け加えた。
「そうなんですけど。入選された方のお名前が出ているページが紙で見たいんですよ!」
(そして祭壇に祀りたいんです!)とまでは言わなかったが、勢いづいて話すミヒロに、出版社の社員は明るく同意してくれた。ミヒロはそれに気を良くして、「書店には何冊くらい配布するものなんですか」と尋ねた。
「そうですねえ……、書店にもよるんですが、四冊とか、十冊とか……」
(えっ、そんな少ないの? じゃあ、すぐ無くなっちゃうわけだ。もっと沢山刷ってくれよ!)とミヒロは心の中で叫んだ。
「あと、賞の結果は web でも発表しますよ」
出版社の社員の意外な言葉にミヒロは目を見広いた。
「そうなんですか?」
「はい、弊社のサイトを見ていただければ、もうすぐ分かるはずです」
「いつですか?」興奮した声でミヒロは尋ねる。
「十月三日ですね」
(そんな早くわかっちゃうんだ……。来週だよね?)
「わっ、わかりました。必ずチェックします。あの、お忙しいところお時間頂きありがとうございました」
「はい、いいえー。またよろしくお願いします」
電話を切ったミヒロは二つの点について後悔していた。
一つは、この電話番号をもっと早くに見つけられなかった点。見つけていれば、配布前のコピーを直接入手できたかもしれない。
もう一つは、誰の名前を記事で見つけたいのか電話で口にしなかった点だ。名前を言っていれば、既に固定ファンがいる有望株だと徳間書店が思ってくれたかもしれない。そうしたら、名前が印象に残って今後何かと書き手に有利になったかもしれないのだ。ミヒロは己の機転の利かなさに臍を噛んだ。実際には、そんなところに口が届かないのでそうはしなかったが。
後はもう、しらみつぶしに書店をめぐるしかない。仕事はもういい。夜中やればいい。そうしてミヒロは、無用の長物となった PC の入ったかばんを肩に食い込ませ、パンプスを履いた足に豆をこしらえながら、東京駅周辺の書店を四軒めぐり、御茶ノ水で二軒の書店を訪ねた。しかし、全ては徒労に終わった。
(ああ、これですべて終わった……。昨日、朝イチで紀伊國屋に行っていれば……!)
靴の中で痛む爪先をかばいながら、ミヒロは自らを呪った。中央線を行ったり来たりしたので、もうヘトヘトだ。御茶ノ水駅に向かうギターショップが連なる道で、カフェを見つけた。店頭にメニューの立て看板が出ていた。パンケーキの写真を見るなり脊髄反射で店に入ってしまう。現金なもので、もう頭の中はパンケーキでいっぱいだ。
席についてしばらくするとウェイトレスが注文を取りに来てくれた。パンケーキと一緒にコーヒー……と言いかけて、紅茶を頼む。入賞のための願掛けで、地味に辛いコーヒー断ちをしているからだ。幸い、様々な種類の紅茶が選べるようになっていたので、ウバのレモンティーを頼む。レモンティーなんて何年ぶりだろう。さわやかな味が快い。しかもポットで出てきて、なかなかお得な気分になる。少し余裕が出てきたが、悲しいことには変わりはない。祭壇を用意したのに無駄になってしまった。かくなる上は、十日になったら電子版を購入して、記念のページをプリントアウトして祀るしかないだろう。全く手段が無くなってしまったわけではない。ほんの少しだけ気分が慰められた。
お腹がいっぱいになったミヒロはしばらくぼーっと外の風景を眺めていた。気を取り直して、レジに向かう。お金を払った後、店員がスクラッチカードを渡してくれた。今だったらおみくじでポイントが当たると言う。くじ運はほとんど無いので期待せずにカードをこすった。
出てきたおみくじの結果は――「大吉」だった。
……。
……神様、運の割り振り方、間違ってね?
追記(2022 年 10 月 7 日): 徳間書店の方と電話でお話したときには、コーフンしていて聞き違えてしまったのですが、10 月 3 日に公式 web サイトで発表されるのは、今回の二次選考を通った方々のお名前と作品名でした。入賞は 10 月末に決まるそうです。
推し活で神が不在だった件 イカワ ミヒロ @ikamiro00
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★12 エッセイ・ノンフィクション 連載中 4話
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