番外編:白龍と眠り姫
輝夜・ウェストデザートはウェストデザート家の末の子として産まれた少女である。
上に兄二人、姉一人がおり、貴族という家系の中では非常に不利な立ち位置。優れた頭脳を持ちながらも、幼少の頃は自らの居場所を確保するのに精いっぱいだった。
そんな幼少期を過ごしたからこそ、目的のためなら手段を択ばない狡猾さを身に着けたのだろう。
医者になりたいという夢のためなら、医療従事者やパトロンになり得る者に身体を差し出すことも厭わない。妖艶な女狐のごとく人々の心にすり寄って思うように動かしてきた。
優雅に微笑む裏に隠された狡さ。それを自らの執事にさえ見せず振る舞ってきた彼女だが、決して悪人というわけではない。産まれた環境がやや不憫であっただけだ。
彼女が眠り姫と言われるようになった所以……自らの眠りをコントロールして常に最高の思考能力を維持する能力だって簡単に身に着けられるものではない。
もし彼女がウェストデザートの長女であれば、間違いなくこのウェストデザートの良き統治者になっていたであろうと私は思う。
彼女が産まれた時からずっと見守っていた者として。
砂漠の砂を受け付けない石造りの人工都市の中で最も上部に位置する第一区画。そこにはウェストデザート関連の屋敷や一部の認められた研究施設のみが整列している。輝夜の研究室はその第一区画の一番端に建てられていた。
輝夜は医師としての資格も持つが、普段は検査技師として医者から手渡された検体の検査を行いつつ研究を続けている。
研究を続けるのはウェストデザートに生まれた者の使命と言っていい。絶えず新たな研究をし多くの発明を残す。そうしなければウェストデザートはすぐに廃れてしまう。それくらいに、この土地には何もないのだ。だから私も民たちに非力ながらも発明の力を与え、何もないウェストデザートが繁栄するように見守ってきた。
太古の昔、王にこの地を任された時はどうなることかと思ったが、結果的にイーストプレインに次ぐ平和な街を築くことができた。ウェストデザート家にも、民にも、感謝せねばならない。
「んーっと、この患者さんのデータはミナモト先生に……溶連菌感染有り、と。次はフジワラ先生やね……先生の予想通りアレルギーやって」
輝夜はカタカタとキーボードを叩いて検査の結果を医師たちに送り終えるとふと窓の外を見つめた。
私が覗いていることがバレてしまったかと思ったがそうではないようだ。
「もう帰る時間やけど……月彦どうしたんかな」
そろそろウェストデザート家の夕食の時間だが、彼女の執事である月彦・エノモトが姿を現さない。
月彦は、執事としての仕事に関してはあまり優秀とは言えないが、輝夜のこととなると一生懸命で迎えを欠かしたことはない。
輝夜は首を傾げ、携帯電話で月彦へと電話をかけてみるも反応はない。仕方がないので荷物を纏めて一人で帰ることに決めたようだ。
私もついつい彼女の動向を目で追った。研究所の前に何かよからぬ人間が立っているが輝夜には見えていない。
さて、惨事にならなければいいのだが。
「あなたが輝夜様ですね」
輝夜が研究所から出ると、黒いスーツを着た男が三人、彼女の行く手を阻むように三方向から彼女を囲った。
そのうち白い手袋をした男が一歩前に出る。
ああ、嫌な予感が的中してしまった。輝夜は三人を眺めると、にこりと完璧な笑みを浮かべて
「ええ、いかにも私が輝夜・ウェストデザートですが……一体何の御用でしょうか?」
と、華麗に言い放った。ちょっとやそっとの予想外で揺らぐほど輝夜・ウェストデザートは脆くはない。彼女は完璧なまでの令嬢であり、孤高の研究者だ。
「あなたが先日発表された新たな血液学的検査手法についての論文を拝見しました」
「あら、それは嬉しいですね。それで、わざわざ論文の感想を伝えに来てくださったのかしら」
輝夜は袖を手に当て微笑む。ウェストデザートの正装である着物ほど袖の長くないワンピースだが、それでも優雅な仕草は様になっている。
「いえ……ちょっとした交渉です。あの論文に関する特許を我々に譲っていただけませんか?」
「ふふ、奇妙なことをおっしゃるのですね。あなた方はどこの研究所の方かしら」
輝夜が発表した論文というのはある種の血液学的検査に関わるもので、この検査を簡略化することでより迅速に体内の炎症などの異常を知ることができる、という内容だった。
一秒でも早く患者の異常を発見したい検査技師にとっては非常に有益になる情報だ。
「まあ同業者とだけ言っておきますよ。私たちも長い間血液学的検査について研究を重ね、ようやく論文の発表へとこぎ着けたところだった。これが確立されれば医療の発達に貢献できるだけでなく特許として多額の資金が手に入る……そのはずだったのに」
輝夜は知らないだろうが、男たちは第二区画にあるSCR研究所の研究員で、自分たちの研究を使って一獲千金を狙っていた。それがあっさりと奪われてしまったのだから少々強引な手段に出ようとしたのかもしれない。
「なるほど……私が発表してしまったこのデータをあなたたちの特許にし、使われる度に報酬を得ようと……そういう魂胆ですか」
輝夜はすっと目を細めて三人の男を見つめる。それから屋敷の方を見つめてじっと何かを考えているようだった。
おそらく輝夜は気づいただろう。私もまた宙を漂いその姿を見つけた。彼女の執事である月彦・エノモトは現在彼らの仲間に捕まり足止めを食らっている。いつから機会を伺っていたのかは分からないが、完璧な計画犯だった。
「輝夜・ウェストデザート様、あなたには特許料など不要でしょう? ですから下々の者に成果を譲っていただけませんか?」
論文発表を先取りされてしまった。それが悔しいのはまだ分かる。けれどそこで金銭の話を持ち出すのはいただけない。
目先の利益のみに目が眩んでしまえば、いずれは崩壊を迎える。
長い歴史の中でその様な例を何度も見てきた。
しかし私には……それだけでは天罰を下すことができない。私は青龍と並ぶ五つの龍のストッパー。もう暫く彼女の様子を観察するのが最善の選択である。
「そのような理由であれば特許をお譲りすることはできません。私はこの件に関して金銭を受け取る気はないのですから」
輝夜は男の言葉に落ち着き払って凛と言い放つ。ああ、それでこそ輝夜・ウェストデザートだ。
「論文に書いた新たな手法を用いれば、患者の体内における炎症や急性感染症などをより早く正確に判定できるようになる。そのためウェストデザートの……いえ、このテイル王国全域の検査技師に技術を取り入れてもらう必要があります。そこに金銭など課してしまえば導入を躊躇う機関もありますよね? 人の命を救う医療従事者の一人としてそれは容認できません」
輝夜は医師として、そして検査技師として大きなプライドと使命感を持っている。例え民の要望であろうと、こういった件に関しては平等な判断を下すだろう。しかし、それで身を引く相手なら苦労はしない。
「くそっ、恵まれた環境化で研究が出来る人間が偉そうに」
男の一人が輝夜を研究所の壁に押し付ける。
恵まれた環境化……何も知らない民は輝夜のことをそう思っているらしい。
月に照らされた輝夜の白い髪がキラキラと輝いて見える。ウェストデザート家の美しき博学な令嬢。その中身を彼らは知らない。
輝夜は一瞬驚いたような顔をしたが、やがてクスクスと笑い出す。
「ふふ、冗談がお上手なことで」
「な……」
水晶のような美しい瞳が細められた。
「たった一件論文発表の見込みがなくなったからと言って、こんな無駄なお遊びに時間を裂けるあなた方の方が余程『恵まれている』と感じますけれど。私の執事まで足止めをしてえらい張り切ってはりますねえ?」
輝夜に見つめられた男は思わず手を放してしまう。それ程に今の彼女には妖艶な強かさが見られた。
「ふざけるな……俺たちだって十分一生懸命やってきて……でも、ウェストデザート家からの評価が低い所為で、ずっと……」
「でしたら、今度あなた方の研究室を見学させていただけませんか? 私のことが好かないのであればお兄様を呼びましょう。あなた方の研究所の査定を行うために。その努力の成果が見られるのであれば研究所の評価を上げ、支援金も送ることができるかもしれません。けれど……本当は自信がないのでしょう?」
輝夜の細い指に頬を撫でられた男は「ひっ」と声を出して後ずさる。
「自信がおありならいくらでも査定の申請をしてくださいな。ウェストデザート家はウェストデザート全体で発明に力を入れたいと思っているのですから」
「くっ……そ、生意気言いやがって」
「輝夜様に触れるな」
男が再び手を出そうとしたところで、段差の上の方から声がかかる。
大きな月を背景にやってきたスーツ姿の男は月彦・エノモト。黙ってさえいればミステリアスな雰囲気が漂う青年だ。
「ウェストデザート家の令嬢に手荒な真似をするなど言語道断、不敬罪にもあたる。如何なる理由があっても許されることではない」
月彦は輝夜の前に立って三人の男と対峙し、無表情のまま睨みつけた。
足止めを掻い潜ってきたのだろうか。
「上部へ通告されなければすぐにでも散れ。そうすれば今回だけは見逃してやる」
抑揚のない声で淡々と告げる月彦が恐ろしかったのだろう。男たちは一目散に逃げていってしまった。
「ありがとう、月彦」
にこりと頭を下げる輝夜とは対照に、大きく息を吐いた月彦はポケットから鍵を取り出し研究所に入る。輝夜も続いて中に入ると鍵をかけ……周囲に誰もいないことを確認した上で、月彦は輝夜に勢いよく抱き着いた。完全に足が震えている。
「こ……怖かったあああ」
「ああうん、よしよし」
先ほどのミステリアスな雰囲気はどこへやら。
輝夜は涙声で縋ってくる月彦の頭を撫でる。流石、東にいる執事から犬と呼ばれるだけあるへたれっぷりである。
なんとか雰囲気だけで威厳を放ち、足止めをしていた男たちも輝夜の前に現れた男たちも蹴散らしたが、内心は恐ろしくて仕方がなかったに違いない。彼は喧嘩の才能など一切ないのだから。
「俺、輝夜ちゃんに何かあったらどうしようって思うとほんと……泣きそうで」
「うん、よく涙を堪えたな」
まるで主従関係が逆転してしまったかのようだが、彼らは昔からこうだった。内心泣きながらもなんとか輝夜を助けようと一生懸命な月彦。そんな彼に輝夜は惹かれたらしい。
「輝夜ちゃん大丈夫? 怪我してない?」
「ふふ、私を誰だと思ってるん? 指一本触れさせてへんよ」
輝夜は暫く月彦の背を撫でていたが、ふと思い立ったようにその身体を離し、窓の側に寄った。
「どうしたの輝夜ちゃん」
「ううん……前々から気がかりなことがあってな。ウェストデザートの民はいつまで『発明』に縛られなければならないんだろう……って」
「え?」
輝夜は窓を開けて夜風を招き入れながら、ポツリポツリと語りだす。
「他の地域に課されたこと……自然を保つのも平和や活気を保つのも難しいことではない。同じ基準を守っていけばいい話だから。けれどウェストデザートに課された使命は違う。私たちは常に研究を続け新たな発見をし続けなければならない。終わりはない。それってよく考えると苦しいことやんね。私みたいに研究が好きな人間はいいとしても……いつまでも何も生み出せない人たちもいるわけで」
輝夜はぼんやりと月を眺める。そうだ、発明こそが私が課した使命。それを辞めてしまった時、私は彼らからあらゆるものを奪い「喪失」させなければならないから。あの砂漠のように。
輝夜はふっと息を吐いて、
「ねえ白龍様……その辺りどうなんでしょう?」
と問い掛けた。まさか……私が見ていたことに気づいていたのか。
いや、ただの当てずっぽうか。それでも、深刻な顔をして呼びかける輝夜を見ているといたたまれなくて、やがてそこまで降りていく決心をする。
空気に馴染ませていた身体の輪郭を取り戻し、白い身体をくねらせる。窓越しに顔を合わせれば輝夜は目を丸くして、それから優しく微笑んだ。
「初めてお会いできましたね。輝夜・ウェストデザートです」
「私はあなた方が白龍と呼ぶもの。あなたのことはずっと見ていましたよ」
青龍のように頻繁にお嬢様の前に姿を現すのはどうかと思っていたが、呼ばれてしまっては仕方がない。
輝夜は窓からそっと私に手を伸ばした。ひんやりとした細い指。暑さの残る夜には丁度いい心地よさがある。
「申し訳ございませんが、私は民に発明を続けることを強いることしかできません。常に新しいものを追い求めなければこの地は砂漠のように風化してしまう」
「ええ……勿論聞いております。それでもこうして憤っている民を見ると疑問に思わずにはいられないのです」
輝夜の後ろにいる月彦は、私の姿に驚きつつも首を傾げている。彼には私の声が聞こえないのだ。
龍の声が聞こえるのは土地を統治する旧家の人間の中でも一部だけ。輝夜は自分にその素質があると気づいていたのだろうか。
「繰り返しますが、私にできることはこの土地の民に発明の力を授けることだけです」
私たち龍は人間とは異なる思考回路を持つ存在。彼女の疑問に回答を合わせることは容易ではない。
「そう、ですよね……分かってはいます。ただ、私は自分の地位を確立させるためだけに一生懸命で、この手を何度も汚してきた。そうでもしなければ掴めない発明があった。他にも相手の実験の成果を奪いたい人がいる。芽が出ず挫折して消えていってしまう人がいる。ウェストデザートは決して穏やかではありません。そのことだけは知っていてください」
私の顔を撫でていた輝夜の手が離れる。勿論知っている。けれど私は発明をする者の味方。それ以外のもめ事に関しては不干渉を貫いてきた。青龍のようにお節介ではいられないし、赤龍や黒龍のように気性を荒げることもできない。ただ、見ているだけ。
しかしこのように注意されるとは……私が白龍として意思を持って以来、初めてのことではないだろうか。
「突然呼び出してしまい申し訳ございません。どうぞこれからもウェストデザートをお守りください」
「ええ、こちらこそ……今後もあなたに期待していますよ」
私は空を旋回し、やがて空気に姿を溶け込ませる。これでまた輝夜は私のことを目視できなくなったはずだが、それでも彼女はじっとこちらを見つめ続けていた。
「ねえ、輝夜ちゃん……今のが、白龍?」
「ふふ、それ以外に何に見えとったん? そう、私たちを見守ってくれはる白龍様やね。優里から青龍の話を聞いて案外ずっとこっちのこと見守ってくれているんじゃないかと疑ってみたら案の定正解やった」
ああ……やはり私は鎌をかけられていたらしい。
「そう、なんだ。ねえ、俺は頭もよくないし今の話の全部が分かったわけじゃないけど……でも、ね」
月彦は輝夜に近づきその細い手をぎゅっと掴んだ。
「輝夜ちゃんの手は綺麗だよ。輝夜ちゃんがこれまでどんなことをしたのか……俺は全然知らないけど……ただ汚した分、たくさんの人を救っているのも事実でしょ? だから卑下しないで。輝夜ちゃんは輝夜ちゃんができることをやっていこうよ」
「月彦……」
ああ、この男は私よりもずっと輝夜を勇気づける言葉を知っている。ならばなおのこと私の介入は不要だろう。この聡明な少女には。
「ありがとう。この前からいろいろあって難しく考えすぎていたのかもしれんな。そう言ってもらえて嬉しい」
輝夜は月彦に抱き着く。潤んだ目がバレないように。
「月彦……」
「ん?」
「私は月彦が想像しているよりもはるかに狡くて、人の心に付け込むようなことをいくつもしてきた。どこまでも純粋な優里とは違う。それでも、ええの?」
輝夜は目を擦って月彦を見つめた。月彦は息を飲んで、それから再び輝夜の腰に手を回す。
「いいよ。俺はどんな輝夜ちゃんでも受け入れる。どんな輝夜ちゃんでも好きになるって自信があるから」
「月彦……」
「俺だってね、全く知らない訳じゃないよ。ウェストデザート家の末っ子として生まれた輝夜ちゃんがどうやって研究資金を得たのか……いろいろ噂は飛び交っているし、事実も混じっているかもしれない。でも俺は、そこまでして自分のやりたいことを貫き通す輝夜ちゃんの芯の強さにますます惹かれちゃった。もしそれが転じてもめ事が起きるなら俺が輝夜ちゃんのことを守りたい」
月彦は僅かに屈むと輝夜の頬に手を当てる。どこか拙い、初々しいキス。輝夜はそれを呆然と受けた後、頬を綻ばせた。決して相手の感情を揺さぶるための作り笑いではない。彼女本来の笑みを浮かべる。
「嬉しい……ありがとう、月彦」
月彦と、輝夜。
普通のお嬢様と執事の関係ではないが、彼らはきちんとしたパートナーだ。輝夜を任せられるのはこの男しかいない。
それにしても私は何故彼女に肩入れしてしまっているのだろう。
彼女がこれからの文化を大きく変えてしまうような気質があると感じてしまうからか。
「さ、帰ろか。お腹もすいたし」
「うん」
二人はようやく研究所を出る。すっかり辺りは暗くなり、電灯や建物の灯りが辺りを照らしている。
地面はコンクリートで固められ、周囲は石の壁で囲まれた人工都市。階段を上れば頂上に見えてくるのはウェストデザート家の屋敷。
これからも不安な夜はあるだろうがその時は……身を寄せ合って乗り越えて欲しい。
私は民に発明の力を授けて見守ることしかできないのだから。
灰かぶりの正体はお嬢様でした 無月彩葉 @naduki_iroha
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