第3話

 雲一つ無い青い空に、太陽が浮かんでいる。

 家の鍵を施錠したユキは、陽の光を全身に浴びながら職場へ向かって出発した。

 便利な移動手段など無い世界では、どんなに職場が遠くても徒歩で行くしかないのだ……幸いなことに、ユキの職場はそれほど遠くはなかったが。

 ユキの全身が、鎧の反射でギラギラと光っている。

 その姿は見るものに暑苦しさを感じさせるだろうが、彼女自身は鎧に内蔵されている空調機能によりむしろ涼しかった。


 あれ、コージがいない?


 いつもは同じ時刻に出発するコージ──隣人にして同僚──の姿がどこにも見えない。


 彼女はコージの家の前で立ち止まった。

 彼はもう出発したのだろうか?

 彼は最近、寝不足だと言っていた。

 もし寝坊したりしていたら起こしてやらなければ、遅刻して恥をかくだろう。

 チャイムを鳴らしてみようか?

 ……それは流石に世話を焼きすぎだろうか? 


 そうに決まってるでしょ、バカ。

 学生じゃないんだから……そんなことしたら引かれるに決まってるでしょ。


 そう思いながらも、ユキはコージの家のドアの前まで来てしまった。


 ……でも、私は隣人だし、職種が違うとはいえ同僚の先輩だし……多少の世話焼きくらいすべきじゃない?


 言い訳を考えながら、ユキは恐る恐るベルに触れた。

 緊張で身体が火照り、息が苦しくなる。

 そういえばこんなことをするのは初めてだ。


 ガチャリ


 ユキがベルに触れる直前に、ドアが開いてコージが姿を現した。

 真ん中分けの髪型に白いワイシャツ、黒いズボン、サスペンダー。彼の姿は典型的な“村人”のコスチュームだ……いつも身に付けている、薔薇の花を模した髪飾りを除いては。

 彼はドアの前に立っていたユキを見て一瞬びっくりした様子を見せたが、すぐに優しく微笑みながら言った。

 ……石鹸の匂いがした。


 「おはようございます、ユキ」

 「あ……お、おはよう」


 ユキは緊張のままにぎこちなく挨拶を返した。

 コージはドアをくぐり施錠してからユキの方へ振り返って言った。


 「もしかして、起こしに来てくれたのですか?」


 ユキはギョッとして、何か言おうとしたが、その前にコージが言葉を続けた。


 「私が遅刻しないように?」


 彼の言葉にユキは頭が真っ白になった。

 全て見透かされた気分になったのだ。

 息が苦しい。

 彼と目を合わせられない。

 やっぱり引かれ──


 「申し訳ありません」


 コージが言った。

 ユキが恐る恐る顔を上げると、そこには落ち込む彼の顔があった。


 「心配かけてしまって──」

 「いいの!!私のおせっかいだから……」


 コージが本気で謝罪するモードに入ろうとしたため、ユキは慌てて止めた。

 そして、それと同時に安堵もした。


 そうだよね。

 コージは人のおせっかいを無下にする人じゃないよね。


 さっきまでの不安がバカらしくなると同時に、彼に罪悪感を抱かせてしまったことに罪悪感を覚え、自分が嫌になった。

 自信はないくせに、行動力だけはある己の愚かさに。


 「ほら、はやく行こう?本当に遅刻しちゃったら不味いし……」


 自己嫌悪を誤魔化すために、ユキはそそくさと歩きだしながら言った。


 「はい……」


 コージもその後ろをついていった。

 

 ユキとコージは町役場に勤めている。

 ユキは警備兵として、コージは職員として雇われているのだ。

 そして、その役場までの道のりをいつもこうして二人で歩いていた。

 今日のようなことは初めてで、いつもは出発する時間がいつも一緒だから結果的に……ということになっている。

 ユキはこの時間が嫌いではなかった。

 男女で同じ職場まで歩いて通うなんてまるで学生じゃないか?

 青春を取り戻している気分になれるのだ。

 

 「今日の調子はどうです?」


 コージが突然話し掛けてきた。

 

 「ええと……」


 ユキは言葉を詰まらせた。

 ただの世間話なのはわかっている。

 しかし適当に答えるべきなのか、真剣に答えるべきか考え込んでしまう。


 「ユキ?」


 コージが不安そうにこちらを見ている。

 私が黙っているからだ。

 何か答えなくては。

 何かを。


 「この世の終わり……みたいな?……ハハハ……」


 答えたそばから死にたくなった。

 でも完全に嘘ってわけでもないし、ユーモアもあるはず──


 「それは……大丈夫なのですか?」


 コージは立ち止まって言った。

 相変わらずこちらを心配そうに見ている。


 「今日は休んだ方が良いのでは?」


 構わず歩き続けようとしたユキの手を掴んでコージは言った。


 「だ、大丈夫よ大丈夫、ちょっと大袈裟に言っただけだから」


 コージと向き合い、ユキはハハハと無理矢理に笑いながら言った。息が苦しかった。

 そんな彼女の様子にコージはますます不安がり、遂にユキの肩を抱いてきた。

 

 「ですが、あまり無理しない方が……だって……女の人は……その……月に一度、辛い時が……」


 コージは言葉を詰まらせながら言った。

 ユキは彼が何を言いたいのか直ぐに察し、言葉を遮って大慌てで答えた。


 「大丈夫、月経は先週終わったから……そういうのじゃないのよ、そういうのじゃなくてね、ただの気分の問題だから」

 「……そうですか……あ、じゃなくて、すみません……」

 「別に……」


 コージは申し訳なさそうな顔をしながら肩を下ろして俯いてしまった。

 ユキも同じだった。


 ユキは心の中で嘆いた。

 どうして自分はもっと器用に、気楽に、生きられないのかと。


 二人は職場にたどり着くまで黙っていた。

 

 


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愚か者が勇者になった結果、世界が滅びそうなんですが? @satotoshio

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