第2話

6月1日


 それはこうして始まった。

 まず、私はまるで水揚げされたロブスターの如くベッドの上で跳ね起きた。

 辺りは真っ暗で、真夜中のようだった。

 横からうーん、と小さくうめく声が聞こえ、それから“何か”がモゾモゾと動き、ランプが灯いた。

  

 「どうしたの?」


 ランプのオレンジ色の灯りに照された“彼女”は身を起こしながら言った。

 口の端からよだれをたらし、目蓋を眩しそうにすぼませながら瞬かせ、はだけた寝間着の胸元から谷間を覗かせている。

 その“彼女”の姿はどこか妖艶に見えた。

 それからあることに気付いて、私はぎょっとして、思わず叫んだ。


 「■■■!?」


 その姿は紛れもない、■■■だった。

 どうして私は■■■と同じベッドで寝てるんだと混乱する私に、


 「寝ぼけてんの?」


 と、“彼女”は少し苛立った口調で言い、さらにこう続けた。


 「あなたに■■■なんているの?」


 “彼女”のその言葉を聞いて、私──夢の中の私──は、そういえばそうだったとあっさり思い直し、きまりが悪くなった。


 「睡眠薬が必要だ」


 私は“彼女”にそう言って、蝋燭に火を点け、燭台を持って寝室を出た。

 部屋の外もまた真っ暗で、不思議なことに、私が手に持つ蝋燭の光は僅か数メートル先すら照らせずに闇に吸い込まれ消えてしまう。

 私は手探りでダイニングルームに辿り着き、棚に入った睡眠薬を、水を使わずにそのまま飲み込み、来た道を引き返した。

 だが、寝室へ通じる廊下は来た時よりもやけに長く感じ、闇の向こうからはギイギイと奇妙な音が聴こえてくる。

 私は恐る恐る、歩を進め、ギイギイという音は次第に大きくなる。


 ……が、何も居はしなかった。


 やがて寝室のドアへと辿り着いた。

 私は安堵してドアノブを握り、回した。

 そこには■■■がいた。

 天井から宙ぶらりんになって、ゆらゆらと振り子の様に揺れていた。 

 ピチャピチャと何かが滴る音を聴いた。

 “彼女”と私の目と目が合った。

 私は絶叫し、そこで覚醒した。


 こんなもんでいいかな。

 

 コージはペンを動かす手を止め、“夢”日記帳をパタンと閉じて机の引き出しにしまった。

 数週間前から奇妙な、それでいてやたら現実味のある夢を度々見るようになって、彼は誰に言われるでもなく、夢の内容を憶えている限り日記にしたためていた。


 何の意味があるのかはわからないが、いつか誰かの役に立たないと、断言はできないじゃないか?

 それに、なんであれ日課があるのは良いことだろう。

 他に趣味らしい趣味もないし……。 


 コージは大きく息をついてからゆっくりと椅子から立ち上がり、携帯食料のエナジーバーを──一応日記を書く前に昨日作ったステーキを暖めて食べたのだが、殆ど吐き出してしまったので──食べてから、洗面所へ向かった。

 

 洗面台の鏡に写った自分を見て、コージは「まるで屍のようだ」と思った。

 毎日外で陽の光を浴びているはずなのに体質なのかちっとも日焼けしていない。

 死んだ魚のような目をしているし、目の下に隈もできている。


 歯を磨き、髪を洗い、顔を洗う。

 ああさっぱりした。多分。

 少なくともそういう気分にはなった。

 ドライヤーなんて便利なものはこの世界には無いし、コージはモブなので温風魔法も使えない。だからタオルである程度拭った後は、濡れた犬の如く頭をブンブン振って、遠心力で水を飛ばすしかない。しかしこれで意外と直ぐに乾くものである。

 乾いた髪は勝手にいつもの髪型になる。

 モブは一生、髪型が変わらないし変えられない。よって寝癖という概念も無い。

 これだけは“ヒト”も羨ましがるかもしれない。

 最後に赤い薔薇の形をした大事な髪飾りを着ける。 

 これはとても大事なので、いつも身に付けなければいけないのだ。

 女みたいだと馬鹿にするやつもいるが、させておけばいいのだ。

 ユキは絶対にそんなこと言わないだろう。

 それで十分だ。

 彼女はそういうスバラシイ人なのだ。


 ……だから、私もいつか彼女の恩に報いなければという気になれる。


 時計を見るといつも出発する時間を少し過ぎている。

 だからといって慌てる時間でもないが、他にやることもない。


 「そろそろ出勤するか……」


 コージは玄関へ向かった。

 彼の“村人K”としての1日が始まる。

 

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