そして冬も過ぎる

朝吹

そして冬も過ぎる

 振り向くとそこには、雪舟そりの綱を引いているイワンがいて、あの丘にのぼってこれで一緒にすべって遊ぼうとぼくを誘っていた。夏草の上でも雪舟は滑るんだと拙い言葉と赤子のような笑顔で、夏の暑さに汗を流しながら懸命にぼくに向かって云っていた。

 ぼくは手にしていた模型の銃で追い払った。

 幼馴染じゃないか、やさしくしてやれよ。

 仲間が揶揄ってぼくの肩をつついたが、ぼくは完全に無視した。あいつはあいつで弟のちびたちがいるんだからそっちと遊べばいいじゃないか。

 子どもの頃のぼくたちは仲良しだった。イワンの家の離れの作業場にはけずり屑が沢山落ちていた。子どもの僕たちはその中に潜ったり、けずり屑を空に撒いてお互いにかけあった。大工の父親が作った雪舟は彼の自慢だった。すべらかに削られた木の表面にはきれいな模様まで彫られていて、ぼくをひどく羨ましがらせたものだ。綱を一緒に引っ張って裏手の丘の上にのぼり、二人で乗り込んで斜面をすべっていくと、雪の上に走る乗り物の影は御伽話に出てくる女王の国の番犬のようだった。ぼくたちは雪舟を軍馬に見立てて、「突撃」と叫んでから滑り降りるのだ。

 そのうちぼくにもイワンが他の子とは違うことに気がついた。歩き方も左右に揺れて不格好だ。

 次第にぼくはイワンから離れ、他の少年たちと遊ぶようになっていた。

「敵が来たぞ」

 戦争ごっこをしたり、河に飛び込んで対岸に泳いで渡ったり、焚火を熾して山賊気分になったりした。

 ついて来てるぞ。

 イワンがぼくたちの跡をつけていると知っても、ぼくは振り返りもしなかった。どうせ幼馴染を持つのなら、カイの兄のように少年たちを束ねて従える力があるような、こちらの鼻まで高くなるような友達がよかった。

「カイの兄さんが軍隊に行ったよ」

 そうきいた時、心からを誇りに想ったものだ。彼のことだ、先頭に立って指揮をふるい、瞬く間に敵をやっつけちゃうぞ。帰宅したぼくは母親の膝にすがってぼくも軍隊に行きたいとねだって叱られた。

 やがて、ぼくらの国に東方から敵軍がやって来た。町から男たちの姿が消えていた。抵抗組織に加わったのだ。僕たちはまだ少年だったが本物の銃を持ち、町を防衛する守備隊に加わっていた。

 敵軍が来るぞ。

「ああいう鈍くさい奴はどうするか教えてやる。お前はここに残れといって手榴弾を持たせるんだ。いいか、敵が近づいてきたらこのピンを抜くんだぞ。そうすれば俺たちがすぐに助けに駈けつけてやるからな。そして塹壕に置き去りにする。すると敵軍が来た時に莫迦は教えられたとおりにピンを引いて敵もろとも吹っ飛んでくれるんだ」

 イワンのことを云っているのだ。ぼくは振り返ってそいつを睨みつけた。誰の心も荒れていた。ぼくは「早く戦争が終わればいい」とつい大きな声で云ってしまった。

 見慣れた姿が不器用に鉄条網をかいくぐって防衛線を乗り越えていくのが視界の端に見えた。

 頭を振り立て、左右に揺れながら、汚れた雪を踏んで敵に向かってひた走っている。あいつは何をやってるんだ?

 仲間が止めるのもきかずにぼくは塹壕から飛び出して後を追った。

「イワン、待て」

 ずっと先にいるイワンの後ろ姿にはありたけの切なさが詰まっていた。こんな必死な気持ちでイワンはいつもぼくを追いかけていたのだろうか。彼のところに行けばきっとまた楽しいことがあるぞ。また一緒に遊ぶんだ。頬を風が切っていった。それが銃弾だったことにも気が付かなかった。

 幼馴染なんだ。そいつを撃つな。

 よお莫迦。これを持って敵軍に走って行きな。そうすればこの町はまた平和になる。お前の親や弟たちも救われて、お前は英雄になるんだ。きっとみんなから尊敬されて仲間に入れてもらえるぞ。

 悪い奴にそそのかされて白旗を掲げて走っていたイワンを撃ったのは味方の狙撃手だった。旗が空に舞い上がって白鳥のように風に流れてどこかへ消えていった。

「降伏はゆるさん」

 指揮官の怒号が響いた。ぼくは味方の手で地面を引きずられて陣地に戻された。


 戦争が終わった。村人はまだ避難先から戻ってきていなかった。木のそばにあの雪舟がたてかけられたまま放置されていた。ぼくは古い雪舟の綱を引っ張り、いつものあの丘まで一緒に上がって行った。

 ほてった身体から湯気が出るほど何度も丘を登り、雪の上を何度も滑った。沈んでいく太陽のまき散らす光が凍った矢のように丘の頂きにつき刺さっている。

「先頭をかわってよ」

 後ろから声がした。小さな手がぼくの腰に回っている。ねえぼくにも先頭をやらせてよ。

「ああ、この次はお前が先頭だよ」

 ぼくは応えてやる。いつもお前が先頭でもいいよ。

 戦争を知らなかった最後の年。いつまでもぼくの中に残るだろう。冬はいつまでもぼくの中に夏を残し、透きとおる草の波と頬を過ぎていく風が、ぼくにそのことを忘れさせはしないだろう。

 遺されたからっぽの雪舟には少年の夏の日が乗っている。この冬の残暑は酷かった。


[了]

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そして冬も過ぎる 朝吹 @asabuki

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