第2話

『陣払い』

で、冒頭の場面である。

蒙古勢撤退の知らせは、直ぐに、総大将の少弐景資殿にももたらされた。

叩き起こされ(と、言っても午前4時だが)、寝ぼけ眼を擦りながら、誰も居なくなった浜辺に来た少弐殿は、

『敵が居らんようになってしもーたのなら、我らも此処に留まる謂れは無いのぉ』

と、早々に撤退命令をだした。

帰る気マンマンである。

元々、この戦に乗り気じゃなかったのがよく解る。

念のため、周辺の湾とかに蒙古船が移動していないか、確認の斥候を出しているらしい。

明るくなって、主だった者を集めた軍議の結果、一日待ってから、陣を払うことになった。

と、軍議に出た菊池殿から伝え聞いて、五郎の殿は、幾らか憮然としている。

手柄をたて損なったとでも思っているらしい。

仁左は、宿舎の前で殿からその話を聞き、正直なとこホッとした。

昨日みたいなことが度々あっては、命が幾つあっても足りない。

その危険が無くなり、日常に戻れるなら、御の字である。

宿舎を出て来た三郎二郎にそのことを伝えると、朝餉

のメザシを咥えた彼は、頭をゴリゴリ掻きながら、

『ワシはどっちでもいいけどなぁ』

と、言った。

さて、ジアンのことである。

連れて行ったものかどうか。

夜襲の夜から数日たち、最初の夜こそ宿舎の隅で身を固くしていたが、今ではジアンはよく働いてくれている。

炊事のみならず、洗濯も自ら進んでやってくれている。

有り難い話だ。

仁左たちが宿舎にしている農家の家には、囲炉裏の奥に二部屋がある。

最も奥に畳を運んで来て五郎の殿と三井三郎殿が寝て、次の板の間に三郎二郎と仁左が休み、囲炉裏の横に中間が、その奥の隅っこにジアンが寝るようにしている。

当初、ジアンは、土間に藁を広げて寝ようとしてたので、仁左が囲炉裏の奥の板の間に招き上げたのだ。

犬猫じゃあるまいし、例え俘虜と言えども、土間に寝るこたぁない。

古来、日本と朝鮮の交わりは盛んだったらしい。

だいたい、奈良と言う地名自体、大陸から渡って来た人々が、奈良盆地を初めて見た時、あまりの美しさに、

『ウリ、ナラ!(私の国だ!)』

と、言ったのが初めてらしい。

以来数百年、言葉は通じなくなったが、仁左には遠い親戚のような気持ちこそあれ、蔑んだり見下したりする気持ちは無いのだ。

それに、先のことはわからないし、勝負は時の運。

来年、五郎の殿や仁左が、ジアンの家の玄関先に繋がれぬとも限らないではないか。

さて、どう説明したものか。

此処はまた、三郎二郎に一肌脱いでもらわねばなるまい。

その旨を三郎二郎に伝えると、

『ふーん、要すれば、事態を説明して、仁左についてくるかどうか訊けば良いのじゃな?』

と、引き受けてくれた。

仁左と中間が囲炉裏端で朝餉を食していると、三郎二郎がジアンを台所の隅の薄暗がりに引っ張って行き、何やら話すのが見えた。

日本と朝鮮とは、似たような物を食しているらしい。

ジアンの作る、蒸した米も、大鍋の汁も、なかなか美味と言える。

この時代、後の世の味噌や醤油はまだ無い。

似たような物はあるが、味付けの基本は塩味である。

日に2度の炊事から解放されただけで、仁左はかなり助かっている。

話が済んで、三郎二郎が戻ってきた。

『ジアンはの、仁左についてくるそうじゃぞ』

と、つまらなそうに言った。

三郎二郎の話によると、ジアンはしばらく思案した後、仁左についてくる道を選んだという。

今さら仁川に戻ったところで、知ってる者は誰も居ないとのことだ。

『女子(おなご)は目の前を生きておるのー』

仁左は、ホッとすると同時に、しみじみ思った。

男(おのこ)は先の夢やら展望でも生きられるが、女子(おなご)は今だけを生きている。

仁左の偽らざる感想である。


『有明の月』

次の日、仁左たちは肥後に向けて出発することにした。

三井三郎殿とは此処でお別れだ。

三井殿は海岸線を長洲まで帰るのだ。

そこに所領がある。

後世、金魚の養殖で名をなす長洲も今はただの寒村に過ぎない。

必要な物を『まさのぶ』やら他の馬の背に積み込む。

『まさのぶ』のキズも大したことなくて本当に良かった。

なんせ、日本人は馬が死んだら葬るが、蒙古の連中は、相手の馬を射殺して食べてしまうらしい。

『まさのぶ』を食われてはたまらないから、なるだけキズを負わないように乗ったつもりである。

一張羅の鎧も今は鎧櫃の中で、ずいぶん身軽になった。

袖にも胴にも沢山矢を受けたし、海岸近くで塩気を浴びたので、今回は鎧師を雇って修理せずばなるまい。

あまり高くならねば良いが。

三井殿の曲がってしまった太刀も、無理矢理伸ばして鞘に納めたし、仁左の折れた太刀も、中身を入れ替えて反りを合わせれば、外の拵えはまだまだ使えるであろう。

ジアンも、自分の荷物と、鍋釜を背負って、行く準備万端である。

三郎二郎も、旗指しの係を忘れたかのように、帰り支度を急いでいる。

五郎の殿だけが浮かぬ顔をしているが、後日、きっと、我らの命がけの働きに対して、たっぷりと恩賞が下されるはずだ。

少弐殿はさっさと陣を払って帰ってしまったらしい。

肥前や豊前・豊後の御家人衆も帰国の途についているそうな。

先ほど、菊池武房殿の勢も通ったし、肥後の国人衆も三々五々、その所領へと帰っているようだ。

我々もそろそろ行くとするか。

どうぞどうぞ、竹崎館の衆と、近隣の村に、ジアンが受け入れられますように。

いつの日にか、生まれた場所や話す言葉なんぞ、誰も気にしない、そんな世の中になりますように。

仁左は、有明の月に本気でそう願った。

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有明の月 @eddiekun1

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