有明の月

@eddiekun1

第1話

有明の月 ~元寇異聞~


『宿直』

別に、ここに来なくても良かった。功名を挙げたいとも恩賞を沢山もらいたいとも思わない。

全ては、お仕えする竹崎の五郎季長殿が言い出したことだ。

竹崎の五郎殿は、文永11年(1274年)9月18日、突然、元の襲来に備える少弐景資殿の元へ馳せ参じると言い出したのだ。

郎党としては従わぬわけにもいかない。

それに、ひょんなことから手柄を立てたら、鎌倉殿の覚えめでたくなり、うまくいけば恩賞をたっぷりもらえて、御家人として一人立ちできるかも知れない。

そうなったら、長男なのに妾腹だからと自分を外に出して、弟に家督を継がせた爺様の、鼻をあかしてやれることにもなるし、何より後の世に名を残すことになるじゃないか。

こんなチャンス、そうそうあるもんじゃなし、乗らない手は無いと、周りは皆言うのだ。

自分としてはそんなもんかと思うが、いつも竹崎の五郎殿から、

『お前は欲が足りぬ。もっと欲を持て』

と、言われているのは、自分の控え目と言うか夢の無い部分だろう。

今夜は月明かりが昼間のようだ。もう三つ(午前2時)ぐらいだろうか。

こんな明るい夜には夜襲も無い。

敵の蒙古勢も味方の少弐勢も、ぐっすり寝静まっている。

聞こえるのは、たまに、昼間の興奮か目覚めてビックリした味方の馬がひとしきり嘶いて騒ぐか、寝返りをうつ男達の鎧の摺れる金属音やイビキくらいのもので、昼間の喧騒がウソの様だ。

歩哨に立っているのが馬鹿馬鹿しくなる。

薄闇の中、ピチャピチャと、波が蒙古の舟の艫を叩く音と、約5mおきに置かれた篝火の、時おりはぜる音だけが、白い砂浜に響いている。灯りに吸い寄せられる様に、船縁に小魚の群れが集まっている。

あれはバリだろうか?

こんな夜は嫌いではない。

少なくとも、益木郡小池の淀んだ水の匂いに包まれているのに比べたら、動く度にガチャガチャとうるさい鎧の重さも、汗臭い男達の匂いも、風に乗って漂ってくる馬糞の匂いすらも、心地よく感じるものだから不思議だ。

『思えば遠くへ来たもんだ』。

彼は思わず苦笑した。

吉崎仁左衛門資光。

これが大仰な彼の名だ。

だが、通称はもっぱら藤源太。

藤原氏の流れをくむ、源氏の傍流の更に傍流と、爺様が事あるごとに、口をパクパクさせながら言い続けたお陰で、人々からはそう呼ばれるようになった。

五郎の殿様も『すけみつ』だの『じんざ』と呼ぶより、『とうげんた』とか単に『げんた』と呼ぶことの方が多い。

どうしてこうなったのか、仁左の様な下っぱにはとんと解らない。

今日の赤坂の戦いでえらく手柄を立てた、本家の本家である同じ肥後の菊池武房殿や、息の浜に陣を張るそのまた上の少弐景資殿はどう思っているのか、とんと解らないが、鎌倉におわす、現実にこの国の舵取りをなさっておいでの執権北条時宗様が、元帝国の国書を携えて来た使者を2回も無視しなければ、こんなことにはならなかったかも知れぬと、仁左は思うのだ。

国書に何が書かれていたかは知る由も無い。

恐らく隷属とか朝貢とかを命じてきて、だったらこうならざるを得なかったのだろうが、実際に博多くんだりまで来て命を張って戦をするのは仁左みたいな下っぱで、えらい人は常に矢の飛んで来ない安全な所にのぉのぉと座っており、それは蒙古勢とて同じで、そこんとこがイマイチ理不尽だよなぁと、仁左は思うのである。

まぁ、仁左の様に身分の低い者が、手柄を立て易いシステムと考えるなら、それはそれで有り難いが。

風が強くなった様に思うのは気のせいだろうか。

と、何やら蒙古の船団が騒がしくなってきた。

寝ていたとおぼしき若い兵隊が、船倉から甲板に大勢出てきて、何やら騒がしく話しながら、船と船を繋いだ板を外し始めたではないか。

と、見る間に、外れた船の両舷から長いオールが幾本も出てきて、各自、沖へ向かって漕ぎだして行くではないか。

既に沖に出て、帆走に移ったのもいる。

仁左は、呆気にとられて、蒙古勢の撤退の様子を見ていた。

一時(約2時間)あまり後、浜辺を埋め尽くすかに見えた船団は、跡形も無く居なくなってしまった。

後には、おびただしいゴミが浮いてるだけで、さっきまで聞こえていた蒙古兵のイビキのイの字も無くなって、夜明けを待たずして、湾は空っぽになってしまったではないか。

仁左は、明日は存分に振るってやろうと思って、柄を巻き直していた長刀も、弦を張り直した弓も使わず仕舞いになってしまったし、少弐勢自体が、浜辺に置いてきぼりになってしまった。


『小池』

仁左が生まれたのは、肥後国益木郡小池の吉崎館である。

益木郡は後世の益城町とほぼ同じ範囲であり、当時、父の資安には妻が居たが、あまりに子が出来ないので、心配した爺様が百姓女をあてがい、仁左が生まれたというわけだ。

弟が生まれるまで、そりゃあ大切にされたものだ。

その頃の吉崎館は、葭の生い茂る低湿地に囲まれた小池の集落の高台にあり、屋敷内に、馬二頭が飼える厩と、矢竹の小籔がある、典型的な小規模な武士の館であり、地形から吉崎を名乗ることになったものである。

小池集落は、今でこそ一大穀倉地帯となっているが、当時は、一面の葭原に囲まれ、おまけに粘土質の土壌で、灌漑技術の発達した今では考えられぬほど貧しく、人が住むくらいしか使い道の無い土地であった。

吉崎一族は、その小池にあって、普段は農作業や湿地の開墾をし、一朝ことある時には、一族かき集めてもせいぜい5~6騎で馳せ参じる小勢力だった。

たまに旅人なんぞ見つけようものなら、それ行けってんで郊外でたちまち追い剥ぎまがいになる、半農半武ならぬ半農半野盗みたいなことをして、糊口をしのいでいた。

子ども全員に分け与える田畑など当然有りゃしない。この時代はまだ長子一括相続は定着していない。

子ども全員で遺産を分けていたら、いずれ無くなってしまうことになるのは、火を見るよりも明らかだ。

仁左は百姓女の子だったので、女の腹は借り物という見方が一般的な当時と言えども、さすがに家督を継ぐわけにいかず、爺様の計らいで、外へ出て自立の道を探すことになったのだ。

そんなわけで、14の春、慌ただしく元服し、ゴツい名前をもらうと直ぐに、ちょうど若党を探していた五郎の殿様に、これまた爺様のツテで、仕えることになった。

その元服にしてからが、近所の親戚の高森某を烏帽子親に頼んで、それも4~5日前に慌ただしく頼んだものであり、何年も前から阿蘇氏に頼んである弟のそれとは、随分差がある様だ。

それはどうでもいいが、初めて竹崎屋敷に連れられて行く時、緑川の土手の一面の菜の花が綺麗だったのを、鮮明に覚えている。

確か、あの時も爺様が一緒だったはずだが、何故か左右に揺れる馬の尻毛を見ていたことしか覚えておらぬ。

竹崎の五郎の殿様は、御年24とまだ若く、元気溌剌、声の低さが特徴で、思い付きでとっ拍子も無いことを言い出すのが欠点と言えば欠点だが、どちらかと言うと仕え易い主人だった。

だから仕えて4年目の9月、少弐様の陣に馳せ参じると言い出した時にも、もう一人の郎党で旗指し係の三郎二郎資安と二人、また始まったと顔を見合わせて苦笑したものだ。だから後日、鎧櫃を出せと言われた時には、本気だったかと少々焦った。


『夜討ち』

旗指し係の三郎二郎が、地元の漁師から小舟を借りてきた。

何でも一夜の約束らしい。

そいつで夜襲をかける。

乗るのは5人。

五郎の殿を筆頭に、殿の義兄の三井三郎資長殿、旗指し係の三郎二郎資安、中間の若者と仁左である。

夜陰に紛れて蒙古船にそっと近寄り、縄梯子を投げ、よじ登って、船縁に手をかける。抜き身の小さ刀は口に咥えて。

しめた!敵は我々の侵入に気付いていない。

身に付けた黒糸縅の大鎧が重い。ちゃんと鳩尾の板も栴壇の板もある。少々大袈裟だが、これが唯一、爺様が購ってくれた財産である。冑も、鍬形さえ無いが星冑の立派なものだ。分家の餞のつもりではないか。

若党奉公に出る時に爺様は

『良いか?戦に出る時には、胸の板にも、袖にも、胴にも、よく油をひくのじゃぞ。さすれば敵の矢がよく滑るからの。』

と、教えてくれたものだ。どうやら長男ながら妾腹の孫を、幾らか不憫に思ってくれていたのであろう。

今日、着く早々に夜襲をかけると殿様が言うのを聞いて、仁左は、爺様の教えを守って、甲冑に油をたっぷり塗ってきた。

縄梯子を踏ん張って、船縁を音も無く乗り越える。

上手くいった。

と、いきなり船室の扉が開いて、若い蒙古兵が出てきた。

こちらに気付いた彼は何事か叫びながら、持っていた矢を射掛けてくる。

咄嗟に、いま乗り越えた船縁を元に戻る。

さっきまで居た所に矢が2本突き刺さる。

また船縁を乗り越え、目の前に居た蒙古兵の鎧の隙間に、肝臓あたりを狙って小さ刀を突き刺す。

声も無く倒れた彼を踏み越えて振り向くと、旗指し係の三郎二郎資安も五郎の殿も、五郎の殿の義兄の三井資長殿も、もう一人の中間と共に、抜き身を手に船によじ登ってきていた。心強い。

さっき矢を射てきた蒙古兵が、また矢を射てくる。腹を狙って一直線だ。間に合わん!咄嗟に体を開いてかわす体勢になる。

『カラリ!』

彼の矢が胴の上を滑って、後ろの船縁に突き立つ。

危なかった。

浅い角度だったから良かったのだろう。

これがまともに真正面から受けていたらどうなっていたことか。

蒙古の矢は鏃に毒が塗ってあるそうな。

大変なことになっていたであろう。

それに、爺様の教えも少しは生きたということか。

胴に塗った油のお陰で、敵の矢が滑ってくれたのであろう。

いずれにせよ、命拾いをした。

5~6歩ほどの間を詰めて、彼が次の矢をつがえる前に肉薄し、抜きつけの刀を避けながら、抜いた太刀を首筋に叩きつける。

返り血を浴びるが、構わず彼の体を引っ張り、船室の扉前を開ける。他の兵が出易いようにである。

案の定、中から雪崩をうって蒙古兵が出てきた。

それをなで斬りにする。

階段を昇って一人ずつ出て来るから簡単である。

たまに反撃してくる者が居たが、袖で防いだ。

ちょっとやそっとの矢やなまくら刀ではビクともしない。

さすがに爺様が大枚はたいてくれただけのことはある。

仁左は心底、身内が有り難いと思った。

12人斬ったところで太刀が折れてしまったので、後を三郎二郎と交代して、船室の中に入ってみることにした。

物陰に隠れて、駆け出して来る敵兵をやり過ごし、後は三郎二郎に任せた。

今頃は斬り合いの真っ最中だろう。結局、仁左が斬った兵を含めて28人が船室から出て来た。

もう誰も出て来ないのを確かめて、船室へと駆け込む。

五郎の殿様から借りた太刀を右手に。

暗くてよく見えないので、柱に掛かった手燭を持って、透かして見ることにした。

そこはがらんどうの広間みたくなっていた。

暗闇の中、仁左が動く度に、鎧の草摺りの音だけがする。

幾らか目が慣れると、広い部屋の隅に煮炊きをする竈が造ってあるのが見えた。

竈の周りは囲炉裏になっている。

囲炉裏には鍋がかかっていて、蓋を開けてみたら、狗が一匹煮えていた。

仁左たちは食べない。

と、竈の陰で何かが動いた。

咄嗟に仁左は、その動く影を左手で捕まえて、右手に持った太刀で斬ろうとした。

斬ろうとして、止めた。

女だったからだ。

煤で黒ずんではいるが、確かに女だ。

女は手足をバタつかせ、わけのわからない言葉で盛んにまくし立てた。

仁左は元々、騒がしい女が苦手である。

まだ元服前、賑やかな朋輩の姉を好きになり、水車の所で二人きりになった機会に、そのことを打ち明けたことがある。

ところが、次の日には皆が知るところとなった。

なんと、その賑やかな姉は、あっけらかんと、仁左のことを皆に話してしまい、以来、しばらく、皆にからかわれて、仁左は恥ずかしい思いをしたものだ。

竈の女を見た時、すぐにその朋輩の姉を思い出してしまった。

何となく、雰囲気が似ていたのだ。

それにしても、よく喋る女子(おなご)である。

身振り手振りを交えて、仁左に盛んに何かを訴えてくる。

しかし、解らない言葉なら、幾ら騒がれても苦にならない。

仁左は、適当にあしらうことにして、女を頭のてっぺんから爪先まで、観察してみることにした。

身なりは蒙古人とも漢人とも違うようだ。

よく見ると、右足が鎖に繋がれている。

てことは、こやつも囚われの身だろうか。

仁左は、うるさく話し続ける女の、鎖をはずしてやった。

なに、さっき斬り倒した中に、鎖の鍵を持ってる者が居ただけの話だ。

仁左は、とりあえず女を連れて、外に出てみることにした。船室の中はあまりに暗く、変な匂いが充満していて、とても息苦しかったからである。

仁左は、左手で女の右腕を掴んで、外に出てみた。

戦いは既に終わっていて、幸い、隣の船は誰も気付いていない様だ。

五郎の殿の他、味方ばかりが歩き回っている。

太刀の刀身を踏んづけて、切っ先を使って、倒した蒙古兵の首級を挙げているようだ。

甲板の上には月光が降り注ぎ、ムッとする血の匂いを差し引いても、船室より何倍も新鮮な空気に充ちていた。

女が深呼吸をするのがわかった。

長いこと船室に閉じ込められていたのだろう。

仁左とて同じで、新鮮な空気を胸一杯に吸い込んだ。

頭から返り血を浴びた三郎二郎が通りすがりに話し掛けてくる。

『何だぁ、その女は』

『船室で拾った。囚われ人の様だが、何を言ってるか全く解らん。』

と、太刀を拭いながら返す。

『ふーん。飽きたら、こちらにも回せよ。』

と、三郎二郎。

『それより何より、何と申しているのか、とんと解らぬのが困りものじゃ。』

『ふーん。なんならワシが話してみても良いぞ』

『え?そうなのか?』

意外な人物が、意外なところに居るもんである。

聞けば、三郎二郎の母方の婆様は朝鮮の女で、故に、彼は朝鮮の言葉がだいたい解るという。だいたいと言うのは、住み暮らしたわけではないので、細かい表現とか方言は解らないということだった。

仁左に言わせれば、それで充分だ。

そもそも、女が話しているのが、朝鮮の言葉かどうかも解らぬし、仮に朝鮮の言葉だとしても、仁左としてはだいたいのことが解ればそれで良い。

蒙古船から小舟に乗り替えて、砂浜に流木で焚き火をおこし、その火で持って来たウサギを焼いた。

女は少し離れた所に座って、鎖の痕を撫でていたが、三郎二郎が朝鮮の言葉で話しかけると、顔が一気に明るくなった。

『当たったな』

仁左も明るい気持ちになった。


『焚き火』

仁左は焼き上がったウサギを持って、二人の近くに行ってみた。

何か解ったかと聞きたかったからだ。

女が三郎二郎に語ったところによると、やはり朝鮮の人間だった。

郷の言葉に安心したのか、尋ねもしないことまで、語ったらしい。

それによると、名はイ・ジアン。

安らぎに至ると書くらしい。

祖母が付けてくれた名前だそうな。

朝鮮の仁川(インチョン)近くの生まれで、歳は21。

元朝が高麗を攻めた折りに捕まって、以来、船で煮炊きをさせられていたとのこと。

子は無く、夫とは死別だそうな。

これが、解ったことの全てで、仁左としては充分である。

女の方が歳上と知ると、三郎二郎は急に女に対する興味を失った様で、聞き出したことを仁左にそれだけ伝えると、向こうへ行ってしまった。

蒙古兵の首でも数えている方が楽しいらしい。

仁左は、女の向かいに座ると、焼いたウサギを差し出した。

女は、一瞬ためらう素振りを見せたが、直ぐにウサギにかぶりつき、一心不乱に食っている。

腹が減っているのだろう。

仁左は、頃合いを見計らって、自分を指して、

『仁左』

と、言ってみた。

女は、しばらく怪訝そうにしていたが、ウサギの右足を噛りながら、

『ジンザ』

と、言った。


『先駆けの許し』

それにしても、五郎の殿は何故あんなにも、功名したがるのか。

この戦が、己の名をあげる最大のチャンスとでも思っているのか。

さっきだって、少弐景資殿に願い出て、蒙古に対して先駆けする許しを、あっさり得てしまった。

許可した少弐殿も少弐殿である。

竹崎なんぞという顔もよく知らん者が生きようが死のうが知ったこっちゃないし、まかり間違って、手柄でも立てた日にゃ、全体の士気も上がるし、何より、自分の鎌倉殿の覚えが良くなる。

どっちに転んでも、自分に損は無いという計算だろうか。

人は誰も、自分に火の粉が及ばないことには、意外なほど無関心である。

萌葱縅の大鎧を着て、痩せ気味の黒馬にまたがり、

『ワシについて参れ』

と、言われても、仁左としては、実は、あまり気乗りがしない。

旗指し係の三郎二郎も同じだろう。

黒糸縅の大鎧がやけに重く感じる。

だいたい、昨夜、蒙古船に夜襲をかけて、散々に斬り合をしたばかりである。

今朝は、もっとのんびりしていたかった。

まさか、朝っぱらから先駆けするなんて、思ってもみなかった。

竹崎館に奉公に来てから仲良くなった鹿毛の馬の『まさのぶ』に鞍を置いて跨がる。

なるだけ痛くない様に、馬の背中の敷物を分厚くする。

飼い葉も水もたっぷりあげたので、これから死地に赴くとは思えないほど、すこぶる機嫌は良い。

ちなみに、この稿で言う馬とは、後世の西洋のサラブレッドやアラブやペルシュロンとは違い、木曾馬に代表される日本在来種である。

胴長短足で、体高も30cmほども低い。

ワリと聡明で、西洋種に比べて穏やかな個体が多いが、古来、日本は、馬の去勢の習慣が無かったので、悍馬が多い傾向にあった。

馬銜の形状も関係あるかも知れない。

いま何時だろうか?

八つ時(午前10時)と言ったところか。

背中を流れる汗が気持ち悪い。

10月と言っても、日中はまだ暑い。

弓と長刀を掻い込んで待っていると、待つほども無く、五郎の殿がやって来た。

義兄の三井三郎資長殿も旗指し係の三郎二郎も中間も、既に従っている。

『おう、げんた、用意は出来たか?ワシについて参れ』

と、五郎の殿。

他の者も無言で頷く。

『では、ちょいと行って参る。』

と、見送るジアンに笑って頷きかけると、言葉の解らないなりにジアンは何事か察したのか、何やら呟いて、神妙な顔をしている。

『まさのぶ』の左首を軽く叩いてやる。

赤坂の辺りは、丘陵地帯で、その名の通り鉄分を多く含んだ赤い丘が連なり、低地は湿地帯になっていて、騎射と個人的な組み討ちが主な戦法の日本勢は足場の悪さを嫌い、戦場としては避けていた。

当時の赤坂は、葭の茂みが連なる不毛の地である。

そこを、葭の茂みを縫う様に街道が通っている。

『まさのぶ』の速歩に揺られながら、仁左は心地よくて、眠気すら覚えた。

仁左たち一行が、三郎二郎を先頭に走って行くと、戦から引き上げてくる日本武士の一団と出会った。

道の左右に避けて、彼らを通していると、

『菊池殿!武房殿ではござらんか!』

と、五郎の殿が突然呼び掛けた。

『おー、竹崎の五郎ではないか!久しいのぉ!』

並み居るむさい中でもひときわ目立つ、髭の大男が応えた。

見れば、自分も郎党も、腰に蒙古兵の首級を幾つもぶら下げている。

これから少弐殿に、お味方の戦勝の報告と、自分の手柄の申告に行くところらしい。

『わぬしは、こんな処でなにをしておる?』

と、髭が謳揚に尋ねる。

『実は蒙古相手に先駆けをつかまつろうかと思うてな。少弐殿の許しも得てきた。』

と、幾らか誇らしげに五郎の殿。

ところが髭は

『止せ止せ、そんなこと。死んだらつまらんぞ!だいたい、相手は、名乗りを挙げてる者に、雑兵が集団で矢を射掛ける様な野蛮な連中だぞ』

と、そううそぶくと、上機嫌で行ってしまった。

『こちとら、功名してナンボなんだ。生まれつき裕福な、あんたとは違うよ。』

その背に呟く五郎の殿。

仁左は、貧乏武士の悲哀を見た気がした。

殿の功名したがる理由も解らんじゃない。

殿の背中が、心なしか悲しく見える。


『決戦』

馬首を揃えて尚も行くと、松原に沿って、敵が移動しているのが見えた。

胸板に右手を突っ込んで持ち上げ、胸に風が通る様にすると気持ちいい。

敵の一団が、馬体の左になるよう、大きく迂回して、流鏑馬の要領で騎射の矢をつがえる。

鐙を踏ん張って名乗りを挙げたところで、矢を射掛けられるのが関の山だから、身を低くして、射る寸前に名乗ることにして、五郎の殿を見習って、敵の真ん中辺りに突っ込んだ。

『我こそは肥後の住人、音に聞こえし菊池の末裔、竹崎の五郎季長なり!』

殿の名乗りが聞こえる。

仁左は、名乗ることが無いから、黙っていた。

『我こそは追い剥ぎの末裔、吉崎の仁左衛門資光!』

と、名乗るわけにもいかない。

初めのうち、騎馬武者が突っ込んで来たので算を乱した敵の徒歩の集団も、相手がたった5騎の小勢だと判ると、押し包んで倒そうとする。

『討たすな!』

とばかり、敵と五郎の殿との間に割って入った三井三郎資長殿も、林のように並んで繰り出される敵の矛に苦戦している。

流鏑馬の要領で騎射し、一人を倒した後、次の矢をつがえようとして、振り向いたまでは良かったが、赤土の斜面に『まさのぶ』が滑って、踏ん張れずに転んだ。

咄嗟に飛び降りて、鞍の下敷きにならずにすんだ。

すんだものの、蟻が死んだ蝉に群がるように、蒙古兵から矛が突き出されてくる。

弓を投げ捨てた仁左は、防戦一方となった。

長刀で矛を打ち返しちゃいるものの、腕と言い体と言い、細かい手傷だらけだ。

己が防ぐのに精一杯で、五郎の殿や三井殿の助太刀など、とてもじゃないができそうにない。

たった今、斬り倒した蒙古兵の向こうに、彼岸花が赤く綺麗に咲いている。

三郎二郎と中間はと見ると、こちらも、乱戦にこそ巻き込まれていないが、飛んでくる矢を防ぐので精一杯で、とても助太刀に回る余裕はない。

『さすがに、これまでか。』

仁左は討ち死にを覚悟した。

不思議に怖くはない。

ただ、こんな、何処かも知らない処で、雑兵に討たれるのが、残念なだけである。

もう駄目かと思ったその時、斬り結んでいた敵が血しぶきを上げて倒れた。

何事が起きたかと、仁左は我が目を疑った。

見る間に、目の前の敵が、4人3人と射倒されていく。

刺さっているのは長い日本の矢だ。

よく見ると、矢には『六郎通泰』と書いてあるのが混じっている。

振り向くと、肥前の御家人の白石通泰、福田兼重、及び白石党の面々が後続より到着し、各個に騎射を始めたところだった。

たまらず、蒙古勢が引いて行く。

『助かった』

ホッとした。

『おーい、竹崎殿ぉ、大事ないか?』

『おー、白石殿、かたじけないっ』

殿様同士、呼び交わす声 も力強い。

『おい、ここは何と言う?』

泥まみれの仁左は、一息つくと、通りすがりの白石党の騎乗の若党に尋ねてみた。

『ここは鳥飼潟じゃ。そんなことも知らんのか?己の生き死にをかける場所くらい覚えておけ。』

彼は半ば呆れながらそう言って、さっさと行ってしまった。

行きがけに、仁左が投げ捨てた弓を拾ってくれた。

日も暮れてきたので、今日はこれまでと、息の浜の陣まで引き上げると、五郎の殿の顔を見た少弐殿は、

『お、生きておったか!』

と、余所ごとのような反応で、菊池武房殿に至っては、

『だから、言わぬこっちゃない。命があっただけ儲けものじゃ。いひひひひ。』

と、ニヤニヤしていたそうな。

仁左は、きつめの塩で握った握りメシを食べた。

腹が減っていたし、汗を沢山かいた後なのでか、きつめの塩が心地よく、六つも食べてしまった。

鎧を脱いでみたら、五郎の殿と三井三郎殿と仁左の手傷が酷かった。

三井三郎殿に至っては、太刀まで曲がってしまっている。

三郎二郎も中間も、もとより手傷を負っている。

仁左が握りメシを食っていると、

『さっきは助けに行けんで済まんかったのぉ』

と、三郎二郎。

『なぁに、ワシの方こそよ。なんせ我が身を守るので精一杯でな』

と、仁左。

彼が怒っていないと知れると、三郎二郎は途端に饒舌になった。

『まぁ、蒙古の奴らも、上がやかましいから、一生懸命やりよるんじゃろうが、首になったんじゃ、ワリに合わんな』

と、菊池武房殿の陣の方を見ながら言う。

仁左は、

『結局、今日、得した者は誰じゃ?誰も居らんのじゃないか?』

と、考えていた。

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