溜息ひとつふたつ
邑楽 じゅん
溜息ひとつふたつ
私はため息をついた。なぜなら早く不幸になりたかったからだ。
俗に、ため息をつくと幸せが逃げるという。
ならばさっさと私の身から幸せが逃げてくれて、不幸になってしまえば良い。
不幸のどん底にいたら、きっと人生は上向いて薔薇色に輝いて、何をやっても昇り調子になるだけだから。
そもそも低賃金の契約社員というどうしようもない職場で、お局様や他の女子との関係も面倒くさくて、上司はノルマや数字しか見てない冷たい人で、実家の母親とは折り合いが悪くて、プライベートでも彼氏が他の女をつくったらしくアッサリ捨てられて、ストッキングは伝線するし、財布は落とすし、家の掃除をしていたら指の爪を割ってネイルもできない始末。
だから休日は化粧も外出もせずジャージ姿で缶チューハイを飲むだけ。
あぁ、私はいま不幸のどん底に落ちかけている。
だったらいっそのこと、どん底まで落ちてやろう。
それから私の幸福な第二の人生の一歩が始まるに決まってる。
なので私は願掛けよろしく、ただただため息をつくのが日課になった。
早く不幸になれ。
いや、もう充分に不幸だけど、今より私もっと堕ちろ。
もっともっと最悪な状況になれば、必ず輝かしい未来が待ってる。
なので、ため息と共に、自分が理想とする世界を頭に描いて。
ため息と同時に、自分を前向きにする暖かい言葉を心に乗せて。
ため息に今の邪気をたっぷりと含ませて、お腹の底からしっかりと吐き切る!
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彼女は今日も今日とて、ため息を吐いている。
そのおかげで、職場のメンバーたちはやや陰惨とした雰囲気に包まれているではないか。陰口を言う者もいる。直接私に文句を言う者もいる。
彼女は私の部下。
聞けば『早く幸せになるために今は不幸のどん底を目指している』と言う。
よくわからない理屈だったが、そのせいか仕事も遅延し、職務中でもどこか散漫でぼんやりとしていて、オマケに部下たちのチームワークも悪くなった。
仕事を頼んでみても「あたし、今どん底ですよ? あたしに仕事を任せたらチームが不幸になっちゃいますよ?」という謎理屈で拒否する。
前向きな改善であれば私も相談に乗るところだが、まったく理解できない。
「はあぁぁぁ~~~っ」
そこに彼女の大きなため息が聞こえる。
他のメンバーはひそひそと文句を言いながら、眉をひそめて嫌悪の表情を浮かべ、彼女に向けて指を差す。
むしろ私がため息をつきたい気分だ。
これ以上は職場の風紀に関わる。
もはやこうなると私の部署は混乱の一途だ。上からの視線も怖い。
だが偶然にも彼女の契約更新の時期ではないか。
もし早く不幸になりたいと言うのならば、彼女の希望を叶えてやるのも上司の努めだろう。
私はおもむろに彼女の背後に立った。
「やぁ。最近、仕事の調子はどうかな……ところで、ちょっといいかな? ここじゃナニなんで、ミーティングルームで大切な話があるんだが……」
彼女の肩にぽんと手を置くと、私は声をかけた。
溜息ひとつふたつ 邑楽 じゅん @heinrich1077
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