エピローグ【未来】

「オーケー。今回も特に問題な点は見当たらないわ。重要な部分はしっかりかつ分かりやすくまとめらているし。流石ね」


 事務所のデスクで残務処理に当たっていた奏緒かなおに、書類の最終チェックをしてもらったのはいいんだが、


「......でしたら何故そんな不満そうな顔を?」


 お褒めの言葉とは正反対に、露骨に渋い顔で書類を見ながら頷く奏緒こと、職場の先輩上司。


「だってつまらないじゃない」


「後輩が心血注いで作った資料をつまらないと切り捨てるのは、先輩としてどうかと思いますよ。だから新人が育つ前に辞めてしまうのでは?」


「あら、試用期間を終えたばかりのひよっこが言うじゃない。もう一回やり直してみる?」

つつしんで遠慮させていただきます」


 調子に乗った俺を、不敵な笑みを浮かべて奏緒はたしなめる。

 一応いまは先輩後輩の間柄なので敬語で接してはいるものの、調子はつい昔の関係性が出てしまう。しかも事務所にはいま俺と奏緒の二人きり。尚更だ。


 半年前、俺は奏緒に誘われて彼女が勤めている興信所に再就職することとなった。

 なんでも奏緒の元につく新人が次々に辞めていったとかで、所長からヘッドハンティングしてこいと辞令が下ったらしい。

 当時は何で元カレの俺? とも思ったが、性格を把握している人間と組む方が仕事がしやすいとは本人談。

 再就職にあたり、奏緒から唯一提示された心療内科に定期的に通院するという条件もクリアし、症状も以前に比べて大分楽になった。


「私ももうすぐ書類の整理が終わるけど、せっかくの給料日だし、このあと一緒に飲みに行かない?」

「あー、申し訳ない。これからちょっと野暮用があって」

「こんな時間から野暮用って、もしかして女性絡みじゃないでしょうね」


 眉を寄せ、奏緒は下から俺を睨むように問う。


「......一応女性絡みではあるんですけど......四足歩行する」

「どういう意味?」

「いえ、こっちの話しです。それじゃお先に失礼します」

「ええ。お疲れー」


 残念そうな表情を浮かべる奏緒一人を残し、俺は通勤鞄と上着を羽織り事務所をあとにした。

 野暮用がなければ特に予定も無いので行きたいところだったんだが......このあとは俺個人に舞い込んだ探偵の依頼をこなさければならない。

 

『風間氏、今どこ?』


 最寄り駅に着いた頃。

 かすみから俺のスマホに直電が入った。


「仕事終わって、いま丁度駅のホームに降りたところ」 


『私、いま彩矢花あやかさんに遊びに来てるんだけど、彩矢花さんが近所の公園で何度もクロスケを見かけたことがあるって』


「マジか。てことはそこを領域テリトリーにしてる可能性が高いな」


 かすみの声の後ろでどうも聴き覚えのある声がすると思ったら、やっぱりか。


 ちなみに『クロスケ』というのはかすみの家の飼い猫の名前。

 一週間前から家に帰って来ないらしく、日頃から仕事で探し慣れている俺に白羽の矢が立ったというわけだ。

 会社を通した依頼じゃないにしても、まさか試用期間が終わって初めてのご指名が猫探しとは――探偵という職業は世間のイメージとは裏腹にかなり地味な仕事だと日々痛感する。

 

『かもね。クロスケの奴、臆病であんまり遠出するタイプでもないから。公園の中で引きこもってるのかも』


「了解。情報の提供サンキューな」

『礼なら彩矢花さんに直接言いなよ』


 かすみがそう言って何やら近くの相手との会話が聴こえたあと、スマホ越しからでもまったりと穏やかな空気に変わったのを感じた。


『まーくん。夜遅くまでお仕事お疲れ様。かすみちゃんに頼んで冷蔵庫の中にお刺身とあら汁入れておいてもらったから、夕飯にどうぞー』


「ありがとう、あやねぇ。いつも感謝してる」

『ま~くんさ~ん。かぜひかないようにおしごとがんばってね~』

「うん。めぐるちゃんもありがとう」

『えへへ』


 最近になって俺をようやくお父さんじゃないことを認識してくれためぐるちゃん。

 それでも態度は変わらず、会う度に抱き着いてくるので可愛らしい。


 三人とは前職を辞めてもこうして繋がっている。

 かすみはたまに大家の娘特権を盾に父兄の喧嘩から避難してくるので、その度に愚痴なんかを聞いてやったりするんだが、全然苦じゃなかった。

 多分、愚痴を愚痴っぽく言わないかすみの会話のテクニックのおかげなのだろう。

 謎に人生経験豊富な元JKは伊達ではない。

 今月高校を卒業し、4月からイラスト関係の専門学校に通うことになったかすみの今後が楽しみだ。


 あやねぇはというと、三ヶ月前、無事に第二子となる女の子を出産。

 少し前まで実家に帰省していたんだが、最近になってまたこの町に戻ってきた。

 二人の子供を産んだというのに、年齢を感じさせない美しさと慈しみのオーラは健在。

 この一年でかすみとも仲良くなり、今日みたいに家に遊びという名目で育児の手助けに行くことも。俺の知らないところで、あの二人がそこまでの関係になるのはちょっと意外だった。


 何はともあれ、人の環境というのは日々少しずつ変化して行く。

 あいつも今頃は、そんな環境の変化の中で自分のやりたいことを見つけられているのだろうか――かすみとの会話の中、俺はもう一人のJKだった”彼女”のことを思い出す――。


 ***


 駅から5分ほど歩いて、クロスケがいるという近所の公園に到着。 

 夜8時を回ると流石に人影はほぼ無いに等しかった。

 敷地自体がそれなりに広いため、なかなか探すのに手間がかかりそうだが、そうは言ってられない。


 こちとら単独デビュー戦と家賃一ヶ月分タダがかかっているんだ!

 何がなんでも捕獲してやる!

 ......にしても、今晩は3月下旬にしてはちょっと肌寒い。

 できれば早く終えて家であやねぇの自慢のあら汁を楽しみたいものだ。


 そんな焦りが邪念となって表れてしまったのか、猫の子一匹とも遭遇できず、時間だけが経過していく。 

 猫探しの基本に沿って隠れやすい木の茂みや側溝の中なんかも見て回ったても、確認できるのは虫ばかり。 


 半分以上公園内を探索しても見つからず、少し疲れた俺は近くのベンチに座り、作戦を練り直すことに決めた。


 ――そういえば、あの夜もこんな綺麗な満月だったよな――。


 ふと、見上げた夜空に浮かぶ満月に、俺の脳裏には一年半前の出来事が甦る。

 風で揺れる木々に呼応するように、胸の辺りがざわめき始め、落ち着かない。

 俺はベンチから立ち上がり、あの夜の時みたいに、ベンチ裏の雑木林の中を入って行った。

 淡い期待を抱いて......。

 あともう少しで目的の場所である芝生のスペースに到達するというところ。

 慎重に歩を進めていた足は自然と駆け足になり、あっという間に雑木林を抜け、目的の

場所に到達し立ち止まった。


 原っぱの真ん中、人が寝っ転がっていた。

 その人影に、思わず息を吸い込んでしまった。

 そして引き込まれるように、相手にゆっくり近づいていく。

 洋画に出てくる清楚系お嬢様ヒロインが着ているような、大人っぽい衣服に身を包んだ美しい女性。

 月明かりと外灯に照らされて、少し薄紫色に見える、腰まで長い艶やかな髪。

 薄く化粧を施さなくても、十分端整と言える顔立ち。


 いま目の前にいる”彼女”は、記憶の中のものより一滴の大人の魅力が含まれている。


 ふわふわと現実感がともなわない感覚のまま、彼女の元に辿り着き、声をかけた。


「......お前、こんな時間に何してんだ」


 俺の姿を見るなり、彼女は目を細めニヤリと笑った。


「......前より少したくましい顔つきになったね」

「この半年間、先輩上司に鍛えられたからな」

「そうなんだ。偉い偉い」


 彼女は頷き、芝生から上体を起こして立ち上がる。


「お前の方こそ、そういう海外の清楚系な服装も似合うじゃねぇか」

「ふふ、ありがとう」


 そう喜んで、彼女は大人っぽい、シックなケープコート姿で両手を軽く広げてその場で回ってみせた。

 大人の服装と大人の表情。

 全てが成長した彼女は、あの時とは違う。

 なのに、どうしようもないくらい、懐かしさを感じる。

 

「風間さん」


 彼女は俺に言った。


「今度は偶然じゃないね」


 その一言で、仕掛け人が誰であるかを理解した。

 だが今はそんなことどうでもいい。

 胸の奥が熱くてたまらない。

 俺はどこかで世愛せなともう一度会いたいと思っていたのかもしれない。

 偶然の出会いから始まり、成り行きで親娘関係を結び、そして別れた。 

 世愛には世愛の未来があるいうのに、またこうして再び俺の道へと交わってくれた。

 こんなに嬉しいことは、生まれて初めてだ。


「おじさん、私を同居人として雇わない?」


 懐かしい言葉に、思わず俺は息を吹き出してしまう。


「安月給な上に大家の娘がうるさいけど、それでも良ければ」

「もちろん」


 この出会いを仕掛けた主犯であろうかすみは、今頃くしゃみのひとつでもしてることだろう。二人で共通の知人のことを考えて、揃って笑みを浮かべた。

 

 俺にとって世愛とは、人生を救ってくれた恩人であり、大切な人でもある。

 いくら忘れようとしても、俺の中で深く大きく刻まれた想い出が、彼女の存在を忘れさせてくれなかった。

 

 じゃあ、世愛にとって俺とは何だったのか。

 俺との日々が、彼女にとって”良いこと”だったのか。

 またこれから隣で同じ時を過ごしながら、ゆっくり答えを聞ければいい。

 留学先での話や、将来についての話も交えて。


 元ヒモとワケアリ女子高生。

 そんな”記号”を取り払っても、俺と世愛の間の絆に変わりはない。

 お互いの存在が、明確に繋がっているのだから。

 

「そうだ、まだ大事なことを言ってなかったね」


 隣の世愛が思い出したように呟いた。

 横目で俺を見ながら、こう言葉を続ける。 

 

「ただいま、風間さん」


 そして世愛は――ふわりと微笑んでくれた。


         (了)






 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

月給23万でパパ活JKにパパとして雇われた、元ヒモの俺。住み込みだから家賃もかからない。 せんと @build2018

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ