第64話【絆】
「ただいま.......って、誰もいないんだよな」
――夜。
つい今までのクセで挨拶を言ってしまう自分に自嘲気味に笑い、靴を脱いで台所スペースを抜け、居間に入る。
和室には不似合いな、大きく占領する見慣れたテーブルとソファ。
いらないと言ったんだが、結局これも世愛から譲り受けてしまった。
そのテーブルの上に、何やら小さな紙袋が置いてあるのが目に付いた。
「......かすみの忘れもんか?」
てっきり引っ越しの手伝いをしてくれたかすみの物だと思い手に取ると、紙袋の表には一枚のメモ書き。
『風間さんへ
私の代わりにこれを置いていきます。
寂しくなったらいつでも匂いを嗅いで私を思い出してください。
世愛』
「世愛の奴......」
引っ越し後に置かれたことを考えると、おそらく世愛がかすみにお願いしたのだろう。
こんな回りくどいやり方しないで、俺に直接渡せばいいものを......。
とはいえ、元娘からこんなサプライズをされて嬉しくない元父親はいない。
「――うぉッ!? あのバカッ!! 本当に渡してきやがったッ!?」
中身を確認すると、緩んだ頬が一瞬にして強張った。
紙袋の中から出てきたもの――それは世愛愛用の上下の下着だった。
しかも昨晩サイズが合わなくなってもう身に着けられないと話していた、世愛お気に入りの薄紫色のワンセットにして、世愛のイメージカラーを決定づけた思い出のある品。
それが今、こうして俺の手元に握られている。
「ったく。最後までつかみどころがない奴だな」
世愛の
「.........忘れるわけないだろ」
人目のあるところだから我慢できていたものが、一人になった瞬間、世愛の残していった匂いをきっかけに決壊を始めた。
「......俺、正しいことをしたんだよな? 世愛を過去の呪縛から解放して、未来を切り開く手助けもした。これ以上ない最高の結果のはずだよな? なのに......」
肩は震え、目からは熱いものがこみ上げ、流れる。
「だったらなんでこんなに胸が苦しいんだよ!! 教えてくれよ!! なぁ!!」
誰に問いかけるわけでもない。
ただ叫びたかった。
最悪な結果ならまだしも、世愛は過去を乗り越え、未来を自分自身の手で掴み取るために旅立った......ハッピーエンドのはずなのに、何故こうにも狂いそうな想いに襲われるのか理解できなかった。
彼女の残した下着を手に握りしめたまま、俺はソファに顔を
泣き疲れて声が出なくなるまで......。
食事を取る気力も体力も沸かず、気が付けばそのまま眠りについてしまった。
「風間さん、私がいなくてもやっていけそう?」
「......さぁな。わかんねぇや」
「大丈夫。かすみも
「世愛の方こそ、誰も知り合いがいない土地に一人で行って平気なのかよ?」
「私のことは心配しないで。今度会う時まで、風間さんがビックリするくらいのいい女になってやるんだから。覚悟しといてよね?」
「楽しみにしとく」
「ねぇ風間さん」
「何だ?」
「遠く離れた場所にいても、私はいつでも風間さんの中で見守ってるから」
「......そうか」
「うん。そうだよ」
「なら......頑張れそうだな」
「私も頑張る」
「そうか......それじゃあな」
「うん......またね」
――朝。
何か夢を見ていたような気がするが、よく思い出せない。
ただ不思議と嫌な夢ではないことだけは断言できる。
ソファから身体を起こし、テーブルの上に置かれたスマホを手に取ると、世愛からメッセージアプリの着信が届いていた。
画面をタッチすると、そこには一言『着いたよ』のメッセージが表示される。
「......ああ。そうだったな」
すっきりした頭で俺は『了解』とだけ打ち込み、メッセージを送信した。
今日から新しい生活が始まる。
顔を洗い、ひげを剃り、朝食を作る。
住む場所が変わっても、朝のルーティンは世愛の父親時代とほとんど変わらない。
変わることと言えば、これからは家賃や光熱費なんかも全て自分の稼ぎで賄わなければいけないため、バイトをする時間が長くなることくらいか。
現実は黙っていても無情に
いつまでも寂しさに浸らせてくれるほど、世の中は甘くないのだ。
「......行ってきます」
バイトに向かう直前。
俺は玄関から誰もいないはずの居間へと振り返り、行ってきますの挨拶を残した。
留守の間、この部屋をよろしく頼むという意味を込めて......。
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