第63話【別離】

 世愛せなが日本を離れる、別れの日の朝がやってきた。


 朝イチで依頼した引っ越し業者が手際良く済ませてくれたこともあって、思いのほか早く引っ越し作業が片付いてしまった。

 新居から家に戻る途中、コンビニでおにぎりやサンドイッチ等の軽食を購入する。

 もちろん、その中には世愛の大好物でもあるプリンも含まれているので抜かりはない。

 そういえばあいつ、留学先のロンドンでもコンビニのプリンが食べられるか本気で心配してたな。


 飛行機の時間は午後3時。

 家を出なければいけない午後1時まで、俺たちは何も無くなったリビングで共に昼食を取りながら歓談し時間を過ごした。


「風間さん、準備できたよ」

「おう......つーか、なんで制服着てんだよ?」


 いよいよ家を出る時間になり、スーツケースを引きながらリビングにやってきた世愛の姿に思わず眉を寄せる。

 

「風間さんに私の制服姿を目に焼き付けてほしいなーって思ってさ」 

「いや、俺別に制服フェチというわけじゃないんだが」


「もう隠さなくてもいいんだよー? 制服姿の私を見る時の風間さん、いつもと比べて鼻の下が伸びてるの気付いちゃってるから」


「そういうことにしといてやるよ」


 ニヤニヤと俺の脇腹を小突く世愛の額に、俺は苦笑を浮かべながら人差し指の腹の部分を軽く押し当てた。

 やれやれ。

 JKのやることはおっさんには理解できん。


 ***


 世愛が搭乗する飛行機の出発まであと約二時間。

 電車で空港まで向かえなくもないが、もしも電車が止まってしまった場合のこと考慮して、俺は家からタクシーで空港まで向かうよう手配していた。

 これなら遅くとも一時間前には到着するし、多少渋滞に巻き込まれてもギリギリ間に合いそうだ。


 ちなみに世愛の兄貴の来栖はどうしても外せない会議があるとかで、見送りを俺に任せてきた。

 言われるまでもない。

 はなから俺は世愛を空港まで責任を持って送り届けるつもりだ。


 途中、多少の渋滞に巻き込まれはしたが、無事ほぼ予定通りの時刻に空港へと到着。

 世愛が搭乗する飛行機のあるゲートにたどり着いた頃には、出発まであと一時間ほど。


「空が綺麗だね」

「そうだな......」


 空港の待合所のベンチに座り、ガラス張りの窓の外を眺めながら、俺たちは最後の二人のときを過ごしていた。

 何か特別な会話をするわけでもなく、他愛もない雑談を、ただ名残惜しさを胸に抱えて言葉を交わす。


 ――そしてついに、出発まであと30分を切った。


「私、そろそろ行くね」

「ああ......」


 ため息一つ吐き出し、世愛はベンチから立ち上がった。

 続けて、俺も世愛をゲートまでしっかり見送るためあとに続く。

 スーツケースを引きながら数歩歩いたところで、世愛は俺の方に身体を振り向かせた。


「風間さん、今まで父親役、お疲れ様でした」

「どうしたんだよ、急に改まって」

「だって最後だし。ちゃんと契約終了の挨拶をしておかないといけないでしょ?」

「律儀なやつ。こちらこそ、雇ってくれてありがとな」


 失笑しながらも、俺は感謝の気持ちを言葉に乗せて言った。


「たまにね、風間さんとは別の出会い方をしてたらどうなってたんだろうって、思うことがあったの。例えば学校の先生とか、友達のお兄さんとか、あとは家族とか......」


 言葉を選んで話す世愛に、俺もふと想像してみた。

 学生時代の同級生、または先輩後輩、そして家族.......。

 想像しても、イメージがパッと浮かんでこない。


「でもさ、やっぱりどれもしっくりこないんだ。今、風間さんに会えて良かった」


 世愛の言う通りの思考に俺も辿り着いた。

 別の出会い方、別の立場で世愛と出会う。あくまでも出会い方をしたからこそ、俺たちはここまでの関係を築けた。

 違う出会い方をしていたら、おそらく同じ関係を築けないだけじゃなく、お互い心にも残らない存在で終わっていたかもしれない。


「学校の先生でも友達のお兄さんでもない、元ヒモのワケアリな風間さんじゃなきゃダメなの」


 世愛がはっきりとした口調で言った。

 瞳を、ほんの少しだけ潤ませて。


「私がギリギリ未成年でいられる、JKの時に出会えて、本当に良かった......」


 そう言い切った世愛は、優しく穏やかに微笑んだ。

 

「俺も。世愛に出会て本当に良かったと思う」


 彼女のストレートな感情に触発され、俺も頷いて答える。


「俺も......世愛に出会えて......少しは自分の弱さに正面から向き合うことができて......自信が付いたよ」


 人は守るべき者ができると、自然と強くなれる。いや、強くなろうと無理をしてしまう。

 奏緒かなおとの交際経験で何も学んでいなかった俺は、世愛との共同生活を通じて、お互いが支え合って生きることの大切さを学んだ。


 人は弱い。


 弱いからこそ、それを受け入れて前に進む。


「......じゃあ、もっとその気にさせてあげる」

「どういう意味だ?」


 世愛はまっすぐに俺を見つめ、こう告げた。

 


「風間さん、私と結婚を前提にお付き合いしてください」



 ――世愛の言葉を聞いた瞬間、周囲の音が全く耳に入らなかった。

 まるでこの世界に、俺と彼女しか存在しないような感覚におちいり、言葉が何度も頭の中でリピートを繰り返す。

 世愛とは目が合ったまま、真剣な表情で、俺の返事を待っている。

 

「......冗談だろ?」


「ううん。そんなの間違っても冗談で言わないよ」


 いつもみたいにからかうつもりで言った発言だと判断し、酷い言い方をしてしまった自分を後悔しつつ、困惑する。


 思えば昨日の夜の出来事。

 俺はてっきり、一時いっときの寂しさから性行為を迫ったもんだと誤解していたが、考えてみればそれにしては度が過ぎていた。

 俺に好意があるからこその行動と思えば辻褄つじつまが合った。

 奏緒に言われた言葉が頭によぎる。


『......ねぇ、あんた。いっそのこと世愛ちゃんと恋人同士になっちゃえば?』


 ――物事が単純だったら、どんなに楽で幸せなことか。


「前にも言ったと思うが、ガキは守備範囲外なんだよ」


 金で繋がった俺たち契約親子の関係は、最初の頃に比べてかなり深い関係性へと変化していった。

 その契約が無くなり、世愛と俺は本当の家族――夫婦になる――。

 いくら想像しても、その”ビジョン”が頭の中で思い描くことができなかった。

 大切な存在ではあっても、俺にとって世愛は”元娘”という認識しか出てこなかった。


「......そっか」


 俺の返答に世愛は瞳を揺らし、言葉を続けた。


「でもその言い方だと、ガキじゃなくなったらOKってことだよね」

「まぁ、な。お前が一人前の大人になったら可能性はあるかもな」


 俺が言う大人とは年齢的なものではなく、自立して生きて行くことが可能な人間のことを指す。

 学校を卒業し、世愛が立派な社会人になった頃、俺は確実に30歳を過ぎているだろう。

 

「じゃあ一年後。私が留学から帰ってきたら、また会ってください」


「会わねぇよ。俺のことなんかさっさと忘れて、向こうでいい男捕まえてこい。んでもってそのまま移住しろ。イギリス人は紳士な奴が多いっていうから、きっとお前のことを大事にしてくれる奴がすぐ見つかるさ」


 嫌な思い出ばかりのある日本に帰ってくるより、新天地で気持ちを新たに生きて行った方が世愛にとっても幸せなはず。


 ――それに俺には俺の恋愛がある。

 今はフリーの身の上だが、どこでどんな出会いが待ち受けているかわからない。

 世愛との共同生活の中で、家庭を持つことの良さを実感できたんだ。

 今度こそは真摯しんしに異性と付き合いたいと思う。

 

「......どうしてそんな寂しいこと言うの?」


 突き放すような俺の一方的な言動に、世愛は声を震わせ呟いた。


「風間さんはどうしようもない私に、いろんな大切なことを教えてくれた! それだけじゃない! 私が忘れかけていた家族の温もりや、人の優しさも思い出させてくれた......契約親子の関係じゃなくなっても、私にとって風間さんが大切な存在であることはこれからも変わらないよ」


 世愛は俺の右手を両手で握り、潤んだ瞳を向け必死に自分の気持ちを訴えた。

 

 ......最後の最後で、俺は大バカだ。


 世愛の俺に対する好意は、子供が大人に憧れているような、一種の熱病的なもの――そう勝手に決めつけ、彼女を傷つけてしまった。

 これでは来栖くるすがやってきたことと一緒じゃないか。


「だから......戻ってきたら絶対また会いに行くね」


 唇を結び、世愛が強い意志の乗った言葉で俺に告げた。


「......わかった」


 世愛の気持ちが本当かどうかなんて、今の段階では何とも言えない。


 だが――大人になった世愛と会ってみたい。


 イメージできないからこそ尚更、どんな成長を遂げたのかこの目で見てみたい――そう思ったら、無下むげに断ることができなかった。


「俺も......また会う時までには、もう少し立派な大人になっておくよ」

「うん......楽しみにしてる」


 両の瞳から溢れる涙を拭おうともせず、世愛は俺にふわりと微笑んだ。


「じゃあ私、今度こそ、行くね」

「ああ。身体に気を付けてな」


 飛行機の搭乗時間が迫っているアナウンスが流れたところで、世愛は俺から手を放し、スーツケースに手を伸ばした。


「風間さん、行ってきます」

「......行ってらっしゃい」


 お互い笑顔で別れの挨拶を交わし、俺はスーツケースを引っ張りながらゲートに向かう世愛を、姿が見えなくなるまで見送った。

 途中何度か振り返りこちらに手を振ったように見えたが、出発時間が近いために人で混雑しはじめ、よく確認できなかった。


 やがて世愛の乗った飛行機が飛び立つのを無事に見送ったあとも、俺はガラス張りの窓から暫く長い時間、青空を眺めていた――。

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