第62話【思い出】

 今までの自分だったら『一緒に寝よう』と言われても、恥ずかしく断っていたかもしれない。

 だが寂しさやら何やらで寝付けそうになかったこともあり、俺は世愛せなからの申し出を受け入れた。


「......お邪魔します」


 世愛の寝室にあるベッドは、部屋の半分を占めるほど大きく、見た感じおそらくダブルかクイーンサイズといったところ。

 普段この部屋に入るのは掃除機をかける際の僅かな時間くらいなものなので、招待されて入ることなど当然初めてだった。


「遠慮しないでほら。寒いから早くベッドに入りなよ」

「ああ.......」


 いざ普段から世愛が使っているベッドの中に入るとなると、何かいけないことでもするかのような罪悪感を感じて躊躇してしまう。

 ベッドを挟んで反対側で立ったままの世愛は、明らかに俺が入るのを待っている。

 3月後半とはいえ、深夜はまだまだ肌寒い。

 あまり長引かせて風邪を引かせてしまっては世愛に申し訳ない。

 意を決して、俺は布団をめくって滑り込むようにベッドの中に進入した。

 柔らかい笑顔でその様子を確認してから、世愛も遅れてベッドの中に入る。


「どう風間さん? JKのベッドに潜り込んだ感想は?」

「まるで俺が夜這いしに来たみたいな言い方するな」

「ごめんごめん」


 人一人分のスペースを空け、仰向けの状態で隣同士で眠る俺たち。

 距離がいつもより近く、世愛が顔を横に向ける度に彼女の吐息が微かに顔に届き、くすぐったい。


「いや、どうって言われても......世愛の匂いがするとしか」

「いい匂いでしょ?」

「......まぁ、な」


 安心する、嗅ぎなれた世愛の身体から発せられる柑橘系の香りに包み込まれ、俺の身体中は風呂上りでもないのにポカポカと温かくなってきた。


「私ね、風間さんとこの家で一緒に暮らす毎日が、凄く楽しくて幸せだった」


 身体を横に傾け会話を続ける世愛に、俺も同じ体勢に変えて話を聞く。


「誰かがが私の帰りを家で待っててくれていて、玄関を開けたら誰かが『おかえり』って言ってくれることがどんなに嬉しいことか。風間さんが来てくれなかったら今でも知らなかったと思う」


「んな大袈裟な」


「ううん。それだけじゃない。風間さんは私にいろんなことを教えてくれたり、思い出させ

てくれた。本当に感謝してる」


 ふわりと微笑む世愛。

 こいつは誰もが当たり前に受けているはずの温もりを、ほとんど受けずにここまで育ってしまった。

 普通だったらもっとひねくれた人格の人間に形成されていてもおかしくはない。

 それでも優しさを忘れずにいられたのは、世愛自身が持つ魂の強さのおかげであったと思う。


「俺だって、世愛にはいくら感謝してもしきれない」


 頭を横に振り、俺はまだ世愛に伝えていない、自身の黒歴史について語ることにした。


「......実は俺、むかし自律神経を病んだことがあってさ」

「うん。知ってた」

「やっぱりか」


「きっかけは風間さんがアルバイトを始めようとした時。初日で辞めてばかりいたから、これは何かあるなーって気がして。そこから確証に変わったのは平田さんの一件の時かな」


 平田という忌まわしきワードが出てきて、思わず顔が強張る。


「風間さんのお友達だった高遠さん? が風間さんの悪口を言ってた時に......その、前の職業で起きた出来事のことをちらっと言ってたの」


「あの野郎......今度会ったら骨のもう二・三本くらいへし折っておくか」

「ほどほどにね」


 あの二人から怖い目にあったというのに、世愛はクスクス笑って俺の半分冗談の言葉を流した。


「だから俺もお前と一緒で、いつまでも前に進めず、昔のトラウマに縛られたまま生きてきた。いろいろ虚勢張ってカッコイイことも言ってきたけど、本当は弱くて惨めなおっさんにすぎない。どうだ、減滅しただろ?」


「そんなことない。風間さんは、少なくとも私にとっては頼れる立派なお父さんだよ」


 語気を強め、世愛は俺の目を見据えて気持ちを言葉に乗せた。

 いくら本当の父親らしく振舞っていても、結局は金で雇われた偽物の存在。

 こいつの望む親子関係を築けているのか常に気にしていた俺にとって、その言葉は最高の誉め言葉。胸の奥から温かいものがにじんでくる。


「私たち、結構似た物同士だったんだね」

「だな」


 同族は惹かれ合うと言うが、俺と世愛が出会ったのは案外偶然じゃないのかもな。

 にへらと笑う世愛に思わずつられて笑みがこぼれる。


「もうちょっと、そっちにいってもいい?」

「狭いか? だったら少し外側にずれ――」

「風間さんは動かなくていいから......そのままにしてて」


 俺の二の腕辺りを掴み、そのまま世愛は身体をこちらに寄せ密着させた。

 顔が更に近づき、首元には空気を含んで膨らんだ長い横髪がこそばゆく触れている。


「ねぇ風間さん.........私、もっと風間さんとの思い出がほしいな」

「いきなり何言い出すんだよ」


 眼前の世愛は、淡い紅色を頬に落としながら羞恥しゅうちを漂わせ呟いた。

 

「私......今日大丈夫な日だからさ......もしも何かあっても風間さんは一切責任を負わなくていいから......お願い」


 言い切る前に何を求めているのか察してしまい、大きく唾を呑み込む。


「......お別れになる前に、一度くらい私とエッチしよう。お互いを忘れないように......ね」


 とろけた瞳で甘く囁いた声が、俺の理性の鎖を大きく揺さぶり、心臓の鼓動も同調して高ぶられる。

 それでもなんとか冷静でいられたのは、過去二回、世愛に迫られた経験があるからだ。

 どうやら寂しさのあまり、変なスイッチが入ってしまったのだろう。

 ホームステイする前にホームシックとは――やれやれ、最後まで手のかかる娘だ。


「風間さん?」


 突然ベッドから上体を起こした俺を、世愛はきょとんと驚いた顔で見上げている。


「......あのなぁ、俺たち半年間もここで一緒に暮らしたんだ。しかも親子の契約なんて結んでまで」


 俺は世愛の横髪を優しく指ですき、


「そんな一生に一度あるかないかの貴重な出来事......絶対忘れない」


 頭を撫で、そう告げた。


 忘れようにも忘れられるわけがない。


 子供を育てた経験の皆無かいむの俺が、ある日いきなりJKの父親になるなんてこと――インパクトが強烈過ぎて一生覚えているだろう。


 はっきりと言った俺の言葉に、じわりと世愛の瞳に涙が溜まり、頬をつたいこぼれた。

 そして世愛は俺の胸に飛び込み抱きついてきた。


「......うん。私だって忘れないよ」


 そう小さく呟き、はなをすする世愛の頭を撫でてやると、この湿っぽい空気を変えてやろうとつい邪念が湧いてしまう。


「前から思ってたけど......世愛って一緒に暮らし始めてからちょっと太ったか?」

「太ったんじゃありません。成長期なんですー」


 世愛は俺の頭に胸をぐりぐりと押し当て、涙声のまま否定する。

 それから少しの間、俺も世愛も一言も喋らず、黙った。

 俺の意識は世愛から伝わる体温を強く感じ、温かい幸せな気持ちになる。

 この温もりを感じることはもう二度とないと思うと、やはり寂しい。


「仮に太ったとしても、それは風間さんの作る料理が美味しすぎるからなんだから......責任とって受け取ってよ」


「何をだよ?」


 先に沈黙を破ったのは世愛だった。

 悪戯っぽくニヤリと笑って俺を見上げる。


「私の下着。もうサイズが合わなくなったものがあってさ。ほら、風間さんお気に入りの薄紫色のやつ。良かったら貰ってよ」


「貰えるか! つーかそれ俺じゃなくてお前のお気に入りだろうが!」


 俺がツッコミで返すと、世愛はくすくすと笑った。

 湿っぽさを無くそうとからかった結果、見事に倍返しで跳ね返されてしまい、最後の夜も、俺と世愛は、普段と何ら変わらない会話を交わしながら眠りについた。



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