第61話【前夜】
「......ふぅ。こんなもんだろ」
リビングの大掃除を終え、見渡す俺の口からは満足のため息がこぼれた。
日頃からこまめに掃除は行っていたこともあって、思ったより時間がかからず助かった。
外を覗けば、空の青にほんのりと茜色が付き始めている。
「掃除、済んだぞ」
「ありがとう、風間さん」
世愛の寝室まで報告に向かうと、スーツケースの中に荷物を詰めている世愛が柔らかい笑顔で振り返り出迎えた。
元々ベッドに化粧台、衣装ケースくらいしかなかった部屋は、いまはベッドだけを残し寂しい様相である。
「夕飯どうする? できればキッチンを汚したくないからデリバリーにしたいんだが」
「風間さんの作るハンバーグとカレーが食べたい」
「......お前、いまの俺の話し聞いてたか?」
被り気味に答える世愛に、俺は苦笑を浮かべ問う。
「第一、冷蔵庫の中身ほとんど空だろ。食材も余ったら面倒だし」
世愛が留学するということは、当然この部屋を引き払うということになる。
よって食材なんかは調味料以外ほぼ全て使い切ってしまったし、米だって一粒も残っていない。
「だったら買って来ればいいじゃん。余らないように食材全部使いきりで。私も一緒に手伝うからさ」
「......マジ?」
「おおマジです。風間さんは明日まで私のお父さんなんだから。娘兼雇い主の言うことは聞きなさい」
「へいへい......ったく、最後までワガママな娘なことで」
俺の愚痴に世愛がにへらと笑った。
最近はあまり無茶振りを言わなくなった世愛だったが、一緒に生活を始めたばかりの頃、よく振り回されていたのが懐かしい。
文句を垂れつつ、俺は世愛の荷づくりが終わるのを待ち、二人揃ってバイト先のスーパーまで夕飯の買い出しに出かけた。
勤務中のかすみは俺たちの姿を見つけるなり、後頭部に付いた金のお団子頭を揺らし、両手を広げて世愛に思いきり抱き着いてきた。
昨日、家で行われた世愛の送別会であれだけ号泣していたかすみ。
せっかく化粧で目元の腫れを隠していたのが、しばしのお別れを告げた友人との思わぬ再会に涙し、再び化粧が落ちとんでもないことに。
かすみ以外のお世話になった方々とも退職する際にお別れの挨拶は済ませていたんだが、店内に響くかすみの号泣にみんな気付いたらしく、勤務中にもかかわらず駆けつけてくれた。
知ってか知らずか、自律神経を病んだ時の傷がまだ癒えきっていない俺をサポートする形で、共にここで働くことになった世愛。
きっかけは俺発進だったが、かすみという友人も出き、結果的にこの経験は世愛にとって良い経験になったと思う。
「なぁ、本当にお返しがこんなもんでいいのかよ?」
時刻は夜8時を回った頃。
夕飯を食べ終わり、まったりとしつつも、どこか寂しい空気に包まれているリビング。
タイミングを見計らって俺は世愛に頼まれていた一冊のノートを手渡した。
「いいの。風間さんとの生活の証を、少しでも形にしておきたいからさ」
「物好きな奴。こちらとしたら貰い過ぎて逆に怖いくらいなんだが」
「気にしすぎだよ」
世愛は留学中、学校側が用意した信頼のおけるホームティ先にお世話になる。
よって現在この部屋にある家電一式は、当初全て処分される予定だった。
しかしそれでは勿体ないという理由から世愛が機転を効かせてくれて、炊飯器や電子レンジに冷蔵庫等全ての家電を俺に譲るよう手配してくれた。
世代自体は何世代か前にしても、基本高スペック・省エネ機能が付いたものばかり。
ちなみに調理器具なんかも譲り受けるので、俺としてはいくら感謝してもしきれず、これ以上ない新たな生活の門出へのお祝い品に他ならない。
「――風間さん、凄く丁寧に作ってくれたんだね。しかも手書きで」
世愛はパラパラとノートをめくり、一ページずつ中身を確認していく。
そこに書かれているもの――それは様々な料理の作り方だった。
俺の教えや世愛自身の努力もあって、こういったものはもう必要ないはずなんだが......世愛のたっての希望により制作した。
最初はパソコンを使用する気満々だった俺だが、どうしても味気ない感じの仕上がりになってしまう。
迷いに迷って最終的に手書きの方が気持ちが伝わると思い、手書きで料理ノートを作るに至った。
「当たり前だろ。一応人に渡すもんだからな」
「あ、ちゃんとハンバーグとカレーの作り方も載ってる」
「この二つは絶対に外せないと思ってな。世愛、大好きだろ」
「うん。風間さんの作る料理はどれも美味しいけど、やっぱりこの二つは別格だよ」
素直に褒められ、恥ずかしさを誤魔化すように俺は目を背け鼻の頭を掻いた。
世愛が俺の手料理で初めて食べたのが、先ほど夕飯でも作ったハンバーグとカレーだった。
特にこだわりの食材を使用しているわけでもない、どこにでもある手に入りやすい調味料なんかが隠し味のそれら。
食材の環境がガラリと変わる海外でも、この二つだったら向こうでもなんとか再現できると思う。
「そう言ってもらえると、今まで作ってきたかいがあるな」
「私が健康で元気な身体がいられたのは、全部風間さんの料理のおかげです」
「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。もし俺の味が恋しくなったら、そのノートを参考に作ってみてくれ」
「もちろん。向こうの家の人たちにも振る舞って『これが私のおふくろの味です』って紹介するね」
「おふくろ......せめて家庭の味とか、思い出の味とかにしてくれ」
「いいでしょ。そのくらい私にとって風間さんの味は心に深く染みついてるの」
「へいへい」
口元を結び、眉を寄せて声を上げる世愛。
言い方は何にしても、俺の存在が世愛の中に強く残された証明のような気がして、悪い気はしなかった。
***
真っ暗闇の、見慣れた夜のリビングの天井。
明日は朝からいろいろと忙しくやることが多いため、俺たちはいつもより早い時間、日付が変わる前での就寝となった。
壁にかかった時計が一定のリズムで静かに時を刻む音を放ち、キッチンからは時折水滴が垂れる音が聴こえる。
普段はほとんど気にならないような生活音が、今日に限って妙に音が大きく感じ、眠れない。
――明日で、俺と世愛の親子契約は終わりを迎える――。
漠然と頭の中に大きくある事実。
寂しさやこれからの不安が全く無いと言ったらウソになる。
いつかはやってくるその時が、たまたま俺の予想より早かったにすぎない。
あいつは自分の脚で将来の夢を探そうと歩き始めた。
俺だって、負けていられるか。
でなきゃ父親としての面目が――って、俺もう明日で父親じゃなくなるんだったわ。
すっかり染みついてしまった思考に、布団の中で自嘲気味に一人鼻を鳴らす。
何度寝返りを打っても目は冴え、まるで明日がやって来るのを自分が拒んでいるような気さえ思い始めた。
「......風間さん、まだ起きてる」
日付が変わって30分ほど経過した頃。
同じく寝付けないのか、寝間着用のスウェット姿の世愛が、俺が眠るリビングへとやってきた。
「どうした......眠れないのか?」
「うん......あのさ、お願いがあるんだけど」
暗闇でも世愛が言いずらそうな表情をしているのは、なんとなく
「......私のベッドで、一緒に寝ない?」
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