第60話【招待】

「こんな朝早くにお呼び立てしてしまい申し訳ありません。何分仕事のスケジュールが詰まっていまして、出勤前のこの時間帯くらいしか空いていないものですから」


 午前7時。早朝も早朝。

 俺は世愛せなの兄である来栖くるすに呼び出され、都内某所の高級ホテルの中にあるレストランへとやってきた。


「いえ......お気になさらず」


 テーブルを挟み目の前に座っているのは、まだ太陽が昇りきったばかりの時間帯にも拘らず、眠気など一切感じさせない来栖――だけじゃない。

 隣にはボディガードと思わしき、黒地のスーツ姿の屈強な体格の男性が一名。

 股間の前辺りに手を重ね、いつ何が起きてもいいよう臨戦態勢で静かに周囲を警戒している。

 もちろん俺もその警戒対象とやらに入っているらしく、サングラス越しから鋭い視線が

飛んできて萎縮してしまう。 


 何故こうなったのか――それは三日前に遡《さかのぼ》る。


「兄さんが風間さんと一対一で話したいらしんだけど」


 世愛のロンドンへの旅立ちがあと10日と迫った、ある日。

 彼女のスマホに来栖から一本のメッセージが入った。 


「俺に? 世愛じゃなくてか?」

「うん。ほら見てよ」


 差し出されたスマホの画面を覗けば、確かにそのような文面が書いてあり、相手の意図がよくわからない。


「......どうする? 断る?」


「......いや、下手に断ってお前の留学が取りやめにでもなったら困るから。招待されに行って来るよ」


「本当に大丈夫?」


「心配性だな世愛は。向こうは仮にも大企業の社長様だ。自分の立場が不利になるような変な行動はしないだろう」


 ――なんて言ってた三日前の俺。

 この状況をどう説明する?


 ボディガード様の視線と来栖からの視線が刺さるだけでなく、場違いな場所に来てしまったという緊張感から、俺の心臓は既に限界を迎えようとしていた。


 ――もしかして俺をここに呼んだ理由は、最後の晩餐を取らせるためでは?


 なんて被害妄想が頭の中を駆け巡り、暖房の効いた店内で冷や汗をかく。



「......あ、これは気が利きませんでした」


 来栖は俺の様子から察したらしく、隣にたたずむボディガードに手を上げ下がらせた。

 表情一つ変えず、ゴツゴツとした背中を向け俺たちの視界から消えていく。


「立場上、24時間付けておかなければいけないものでして」

「なるほど。大企業の社長も大変ですね」


 世愛の兄でもある前に、この人は大手ペットボトル飲料メーカー『三国園みくにえん』の代表取締役社長でもあることを、俺は今更ながら痛感した。

 よくもまぁ、そんな超大物相手に啖呵たんかを切ったものだと、我ながら勢い任せに乗り切った過去の自分が恐ろしい。


「......それで、俺に話しというのは?」


 ボディガードが下がったとはいえ、あまりこの場に長居したくはない。

 俺は焦る気持ちを抑え、短刀直入に来栖へ訊ねた。


「世愛の留学の準備は進んでいますか?」

「ええ。はい」

「7日後の今頃には飛行機の中ですか......早いですね」


 ガラス張りの窓の外、青空を眺めながら、来栖社長はホットコーヒーを手に取る。

 ただそれだけの所作だというのに、大企業の長としての風格と気品が漂い、つい見惚れそうになってしまう。


「......世愛の両親、つまり私の本当の両親は、とても優しさに溢れた人たちでした」


 嘆息し、来栖は語り始めた。


「休日は私をいろんな場所に連れて行ってくれたり、毎日一緒の部屋で寝起きし......あの幸せな時間は今でも忘れられません」


 目をつむる来栖の表情には、冷徹さを含んだいつもの張り付いた笑顔ではなく、自然な笑みがこぼれていた。


「――私が10歳の時。両親は悪い人間に騙され保証人になってしまい、その結果多額の借金を背負ってしまいました。人の良かった両親は最後まで裏切った相手を信用していたようですが、悪い人間というのは偽善の表情を浮かべたまま、心で爪を研いでいるものです。最初から約束を反故にする気の相手にいくら期待しても無駄以外の何物でもありません」


 若くして大企業のトップに就いていると、俺なんかが想像もつかない、様々な人間関係

の気苦労があるのだろう。言葉からそれらがひしひしと伝わる。


「職を失い住む家も差し押さえられ、路頭に迷う寸前――私たちを先代の三国園の社長。つまり今の私の父親が手を差し伸べました。あることを交換条件に」


「交換条件?」


「私を養子にもらうということです。そうすれば借金を肩代わりするだけでなく、新しい職と家も用意すると。世愛もですが、私たち兄妹は一度見たものを100パーセント記憶する能力を持っています。そのおかげで学力は全国でもトップレベルの成績をキープできていたので、先代は私の力が欲しくてたまらなかったのでしょう」


 人格ではなく能力欲しさに子供を要求してきたということか.......。

 来栖は寂しそうな笑みを浮かべ、言葉を続ける。


「両親は悩んだ末、私を養子に出しました。当時、世愛はまだ1歳。その時のことは覚えていなくて当然です。新しい職と住む家を手にした両親は、いつの日か私を取り戻そうと必死に働いていたそうですが――その想いは徐々に薄れ、結局二人は事故死と自殺という最悪な形でこの世から去ってしまいました」


 普通に暮らしていくには充分の生活環境を保っていた世愛の両親。

 どうしてそこまで仕事詰めだったのかずっと引っかかっていたが......ようやくここで謎が解けた。


「最愛の人たちに裏切られた私に待っていたのは、三国園を継ぐべく強制的に帝王学を学ばされ、遊ぶ暇も息抜きする暇も与えられない地獄の日々でした」


 表情からは苦いものが浮かび、養子に出されたあとの幼少期・学生時代が如何に過酷

だったことが窺える。


「やがて先代が病で倒れ私があとを継ぎ、ほどなくしてからだったと思います......父から連絡が来たのは」


 その言葉に、俺は思わず目を見開いた。


「10年ぶり以上に聞く電話越しの父の声は、昔に比べ枯れていて、年月の経過と苦労の歴史を感じました。最初は直ぐに電話を切るつもりでいましたが、尋常ではない父の様子からためらってしまい、そのまま話しを聞くことにしました」


 尋常ではない......世愛を母親だと思い込んで肉体関係を結んだあとだろうか?


「父はこれまで私にかけた迷惑を一方的に詫び、最後に一言『世愛をよろしく頼む』とだけ言い残し、電話を切ってしまいました。後日確認できましたが、どうやらあれは自殺する直前にかけてきたようです」


 世愛も知らないであろう、父親の自殺に関する新たな事実を耳にし、俺は口の中に溜まっていて唾液を一気に呑んだ。


「私を救うこと諦め、それどころか存在自体を家族から抹消しようした人間の身勝手な願いを、とてもではありませんが私は聞き入れるつもりはありませんでした」


「じゃあ何故?」


「......世愛が、母とそっくりだからです」


 来栖は頬を緩め、幾分照れた様子で俺に告げた。


「恥ずかしながら、私はどちらと言えばお母さん子でした。特に笑った時の顔が母そっくりで、そんな妹を放っておけない気持ちから彼女の保護者に名乗りでました。ですが――」


 視線をテーブルの上、自身のコーヒーカップへと視線を落とし、言葉を詰まらせた。


「なにせ妹と一緒に暮らしていたのは一年のみで、しかも当時世愛はまだ一歳。ほぼ初対面も同然です。どう接していいかわからない私は、世愛独りを広い部屋に放り込み逃げてしまった。そのうえ将来まで勝手に決めつけ、世愛の言葉に耳を傾けようともしない......両親を身勝手だと揶揄やゆしていたのに同じことを......最悪です」


 自分に対する呆れとも嫌悪とも取れる言葉を彼は吐露し、大きくため息をついた。

 理由はどうあれ、世愛を生活の面で救っている。

 彼も彼なりの葛藤があってのことなので、あまり強く非難する気にはなれなかった。


「あなたは、どうして世愛からの誘いを受けたのですか? やはり金銭目的で?」

「まぁ、そこが全く無かったといえば嘘になるかと。そうですね......」


 来栖からの質問に呻きながら考えた結果、


「――多分、可愛かったからだと思います」


 なんの捻りもない、ありのまま、素直な気持ちが飛び出した。


「あの日、家も失ってお金すらも尽きてホームレス寸前だった俺は、夜の公園で世愛と出会いました」


 半年前の出来事を、未だに俺は昨日のことのように覚えている。


「月明かりに照らされた世愛は可愛くて綺麗で、そのうえ女子高生とは思えないほどの色っぽさもあって、人生最大の危機に現れた魔女か何かだと思ってしまいました。まぁ、ちょっと酔っ払っていたのも原因かもしれませんが」


 来栖は鼻を鳴らし微笑みをたたえる。


「彼女の瞳の奥に映った悲しみの色に、俺は同族意識を感じてしまった。同時に、彼女ともっと話してみたいと思ってしまった」


「......なるほど。でもそこまで想っていて手を出さないなんて、あなたはかなり変わっていますね」


「だって相手は未成年。女子高生じゃないですか。例え相手の了承を得ていても、それは若さ故の、一時の気の迷いから起きている可能性だってある。あとで文句言われたらたまったもんじゃありませんから」


「......やっぱり。あなたは面白い人だ」

「どうも......」


 ウソ偽りの無い気持ちを語った俺を、彼はどういうわけか気に入ったらしく、拳を口元に当てクスクスと品の良い笑い声を上げた。

 ほんの数分前まで何を言われるのか内心びくついていた俺がバカみたいだ。


 この人は妹との意思疎通を取るのが極端に下手なだけで、本当は誰よりも妹とのこと愛しているのかもな。

 若くしてそのカリスマ性で大企業の頂点に君臨する、天才代表取締役社長様だというのに。おかしな人だ。


「――妹の世愛のことをこれからもよろしくお願いします――。さぁ、話が長くなってしまいましたが、そろそろ朝食を頂きましょう。ここのパンケーキ、絶妙な甘さ加減で私の好物なんですよ」


 用件が済んだ来栖はイスから立ち上がり、嬉々と俺を朝食ビュッフェのコーナーへと案内した。


 これからも――か。


 その期待に応えることはできないと告げることができず、俺の胸はズキズキと痛んだ。



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