第59話【団欒】

 世愛せなとの共同生活の終わりがあと三週間を切った、ある日の夕方。

 先日のお返しをどうしてもしたいと言うあやねぇが家にやってきた。

 しかも大量のブリを持参して。

 

「言ってくれれば荷物持ちしに家まで迎えに行ったのに。何かあったら旦那さんに申し訳が」


「心配性ねまーくんは。このくらい平気よ。お腹の赤ちゃんも安定期に入ったし、少しは身体を動かさないと」


 旦那さんの実家から送られきたらしいそのブリたちは、見事に色鮮やかな鱗をまとい、身も大きく膨れ上がりまさに食べ頃な状態。

 申し訳ないが、ウチのスーパーで扱っているものとは別格の存在と言っても過言ではない。


「ご飯ができるまでの間、お姉ちゃんと一緒に遊んでようか」

「うん! わかった!」


 俺とあやねぇが夕飯の準備をしている間、世愛にはめぐるちゃんの相手を任せた。

 先日貧血を起こしたあやねぇを家に連れて来て看病したのがきっかけで、めぐるちゃんとも交流を持つようになった世愛。

 カウンターキッチンの中から覗く、リビングでたわむれているその二人の姿は、まるで年の離れた姉妹のよう。見ているだけで微笑ましい気分になる。

 

「偉いわまーくん。ちゃんと包丁の手入れもしてるのね」

「そりゃな」


 いくつになっても、この人に褒められるのは純粋に嬉しい。

 つい頬が緩んで情けない顔になりそうになるのを、俺は必死にこらえた。


「それじゃ私はお魚をさばいていくから、まーくんはそれ以外の準備をお願いできる?」

「了解」


 長い髪を後ろで結んだあやねぇは俺に指示を出した。

 俺自身、魚をまったくさばけないわけではないのだが、ぶりに関しては未経験。

 下手に失敗して、せっかくのあやねぇからの頂き物を粗末にしたくはない。

 そのことをあやねぇに話したところ『お姉ちゃんに任せなさい』の一言で快く引き受けてくれた。

 言葉通り、あやねぇは慣れた手つきでブリに包丁を入れ、あっという間に一尾の解体を終える。

 これが専業主婦の力というやつか。


「夫の実家、漁師なの。だから定期的に送られてくるんだけど、いつも食べきれないことが多くて」


 なるほど。

 だったらさばき慣れているのも納得だ。


「これからは余った分はまーくんにお裾分けするわね」

「そいつはありがたい」

「次のお家はかすみちゃんのお母さんが管理しているアパートなんでしょ?」

「ああ。このまえ内見ないけんに行ったけど、思ったより広くて綺麗な部屋だったよ」


 アパートの内見をしたその日。

 俺はそのままかすみの母親兼大家さんと面接を行うことに。

 恰幅かっぷくの良い体型はほっそりとした娘と全然似ていないが、陽気さと笑い方はかすみそっくり。癖のある人だったらどうしようという心配は一瞬にして吹き飛んだ。

 面接もスムーズに通り、晴れて俺の新しい住居は決定した。

 

「唯一心配するとしたらかすみの奴かな。あいつ、大家特権振りかざして無茶振りしてきそうで」

「あら。賑やかで楽しそうじゃない」

「知ってるかあやねぇ。賑やかと騒がしいって紙一重なんだぜ?」

  

 真顔で告げる俺にあやねぇクスリと笑った。

 そんな他愛もない会話を交わしながら全ての食材を切り終え、鍋の中に火の通りにくい順に具材を投入。

 あとはご飯の炊きあがりと鍋の完成を待つばかり。

 

「......本当に、一緒について行かなくていいの?」


 あやねぇが使い終わった調理器具を洗っている最中、隣で受け取り、それらに付いた水気をふき取り片づけている俺に呟いた。

 言っている意味は理解している。


「ついて行くも何も、俺は別に家族じゃないからな」


 付け加えると恋人でもない。

 ただ金で父親として雇われている同居人だ。


「世愛ちゃんはまーくんにとって大切な存在なんでしょ?」

「......ああ」


 ――大切な存在――


 あやねぇの問いに、一拍間をおいて答えた。

 確かに世愛が大切な存在であるのは当たっている。

 でもそれは”家族として”の感情だ。

 恋愛的な感情を俺は世愛に抱いたことは一度たりともない。


「住む家も仕事も向こうで探せばいいじゃない」

「簡単に言ってくれる。そもそも俺、日常会話の英語すら怪しいレベルだぞ」

「そんなの、愛があればどうにかなるわよ」


 洗い終えた包丁を差し出したあやねぇの表情からは不敵な笑みが浮かんでいる。


「一年会えないって、短いようで結構長いわよ。私はもう慣れちゃったけど」


 あやねぇの旦那さんは海上自衛官の職に就いていて、一年の半分以上は海の上で生活している。

 結婚してからは多少マシになったらしいが、それこそ独身時代は年に数える程しか会えなかったという。

 

「世愛ちゃんを向こうの男性に取られてもしらないわよ?」

「あいつを幸せにしてくれる男なら、国籍なんて関係無く大歓迎だ」


 俺たちの視線の先には、めぐるちゃんとあやとりをして遊んでいる世愛。

 産まれる前に妹と死別してしまった世愛にとって、めぐるちゃんはある意味妹の生まれ変わりみたいな存在なのかもな。


 ――正直、俺は世愛が日本から旅立ったら、もう二度と会うつもりはない。


 せっかく一人で立ち、歩いていこうとする世愛にとって、俺の存在は邪魔そのもの。

 ひょっとしたらあやねぇの言う通り、留学先のロンドンで素敵な人と巡り会って、そのまま生活を向こうで送るなんてこともあり得る。

 自分の人生なのだから、これまで好きに生きていけなかった分、精一杯楽しんで日々を過ごしてほしい。

 とにかく、俺の父親としての役目、契約はあと僅かで終わりを迎えるのだ。


「また強がり言っちゃって。本当は離れたくないくせに。お姉ちゃんわかってるから」

「うるせー」

「ふふ。まーくんの『うるせー』、久しぶりに聞けたわね」


 そっぽを向く俺を、あやねぇは母親のような慈しみの表情で微笑んだ。

 ......どうもこの人には、いくつになっても勝てる気がしないな。

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