第58話【縁】
「......そっか。寂しくなるねぇ......」
二月も半分以上過ぎた頃。
店のバックヤードに運んだバレンタインコーナーの残骸をバラしている最中、かすみに
どこの職場もそうだが、三月は人の入れ替わりが特に多い時期。
自分と同じ高二の世愛までバイトを辞めるとは思ってもいなかったようで、表情からは寂しさの色が見てとれる。
「今日、自分でお前に直接話すつもりみたいだったんだが、放課後に留学の説明やら何やらがあるらしくて。急遽バイトを休むことになっちまった」
「ううん。仕方ないよ」
「かすみにはいろいろ世話になったからな。早く伝えたかったんだろ。終わったらこっちに寄るらしい」
「気持ちだけで充分さね。にしても海外留学か......凄いね世愛っち。友達として鼻が高いよ」
優しい笑顔を浮かべながら、かすみは売れ残ったチョコレートをダンボール箱に詰めていく。
「しっかしロンドンはいくらなんでも遠すぎません? 旦那?」
「誰が旦那だ。調べたんだが、日本から片道12時間かかるらしい」
「12時間!? 私、車で母親の実家のある長野に行くだけでも長いって感じるのに」
狭い車よりかは飛行機の方が多少快適に過ごせるかもしれないが、だとしても200キロ程度の移動で根を上げるかすみには厳しい話だ。
日本からロンドンまでの距離は単純計算しても約9600キロもある。
おまけにこいつは性格的に長時間黙っていることが無理。
常に泳いでないと死んでしまうマグロとほぼ同類と言っても過言ではない。
冷房がガンガンに効いた機内で、長時間冷凍マグロのように固まった状態で空輸すればなんとかなるかもな――と、心の中で軽くディスってみた。
「それだけ飛行機に乗っている時間も長いと、当然交通費もバカにならないよね。簡単に会いに行くってことも難しいか」
「だな」
時勢によって多少価格に変動はあるものの、往復で6万から10万円前後。
貧乏学生とパート・アルバイターにはなかなか手の出しにくい金額である。
「でも半年くらい頑張って貯めれば行けなくもないよね。じゃあこれからは尚更バリバリシフト入らなきゃじゃん」
「ああ。そのつもりで社員にはもう話は通した」
どっちみち世愛からの給料が無くなる以上、俺は今以上にバイトのシフトに入らなければ最低限の生活費を確保できない。
できなければ退職して別の仕事を探す、または最悪ダブルワークが頭によぎり不安にも襲われた。
幸い、店側から労働時間が増えることに対し快く了承を得られたので、なんとか無事に事なきを得た。
あとは――。
「......ん? 世愛っちが留学するってことは風間氏、次の引っ越し先探さなきゃじゃん。もう探してるの?」
「まぁ、探してはいるんだがな」
世愛には料理の基本を一応全て叩き込んだので問題はない。
向こうでは寮ではなく、学校側が信頼を置いている家にホームステイさせてもらうことが既に決まっている。
だから料理する機会がやってきて世愛が恥をかくという事態は回避できそうだ。
問題は――それ以外の家事だった。
「あいつがホームステイ先で粗相をしないようにと思って、掃除の仕方やらあれこれ教えてたらなかなか手が回んねぇんだわ」
「風間氏、オカンみたい」
かすみは鈴を転がしたような笑い声を微かに上げる。
「前から思ってたんだけどさ、風間氏って、自分のことよりも他人のことを優先して行動するタイプだよね」
「昔、元カノにも同じこと言われた」
好きになった相手なんだから当然だろ、と返す俺に奏緒は『私はそういうの求めてない。お互い気楽に助け合って生きて行こうよ』と告げた。
今思えば、当時から給料の高かった奏緒に負い目を感じるあまり、余計に重たくなったのかもしれない。
「そんなんじゃ、いつかみんな風間氏の周りから離れて行って、最後は一人ぼっちになっちゃうよ?」
「......かもな」
親は俺を捨て離れて行き、三年間同棲した彼女とは別れ、今度は世愛までいなくなる――極論を言えば人間死ぬとき皆一人――別に気にすることではない。
なのに.......誰も知り合いがいなくなった世界を想像して、肩が小さく震える。
「まったくしょうがないにゃ~」
かすみはため息一つ吐き出し、こう呟いた。
「......良かったら、私ん家......来る?」
「......お前、正気か?」
「いやだ~! なに真顔で勘違いしちゃってんの~! 風間氏のエッチ!」
「お前がいま匂わせるようなこと言ったんだろうが!」
「いいから聞きなされ」
詰め寄る俺をかすみが両手を前に出して制し、説明を始めた。
「実は私ん家、アパート経営してんの。まぁ築年数はそれなりに古いから、見た目は結構年期入ってるけど。でも中はリフォームしてあるし、ちゃんとトイレとお風呂は各部屋に付いてるからさ」
「マジか! 是非頼む! ぶっちゃけると、今の収入だと部屋を貸してくれるところがなかなか見つからなくて。困ってたんだよ」
「な~んだ。困ってるなら最初からそう言いたまえ~」
よく高齢者や無職の人間は部屋を借りづらいという話は耳にしていた。
しかし実際は若くて職に付いていても、正社員じゃないからという理由で断られるケースがあることを身をもって体験したばかりだった。
この状況下でのかすみの提案は、俺にとってまさに渡りに船以外の何物でもない。
「どったの? 人の顔をマジマジと見て」
「『これでまた親父と兄貴が喧嘩した時に避難できるシェルターが確保できたぜ~』って安心しただろ?」
「嘘? なんでわかったの!?」
「お前との付き合いもそこそこ長くなってきたからな。つーか、思いっきり顔に現れてるぞ?」
俺の指摘にかすみは確認するかのように、自分の顔を軍手をしたままの手でペタペタと触った。
上手いこと黒い汚れが鼻先に付くもんだから、つい鼻を鳴らして笑みがこぼれてしまう。
思わぬ繋がりから新しい部屋を確保できそうになり、俺の肩の荷はちょっとだけ楽になった。
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