第57話【星空】

 クリスマスの夜、世愛せなとかすみがこうしてベランダから夜空を眺めていた気持ちがよくわかった。

 地上の作り物の光とは違う、小さいながらも生命の躍動やくどうを感じる星の輝きたち。

 眺めているだけで意味も無く癒される。


「風間さん、タオル濡らしてきたから冷やした方がいいよ」

「悪いな世愛」


 水で濡れたタオルを受け取り、自分の拳で痛めた額に当てれば、熱くなった患部に冷たくひんやりとした感覚が伝わる。


「......ひょっとして、泣いてた?」

「......ああ」

「なんで風間さんが泣いてるの?」


「お前の話しから、なんとなく兄貴がどんな風に扱ってきたのか想像はしていたつもりだったんだが......まさかあんな言葉が出てくるなんてよ......きっついな」


『あの世で父さんと母さんが産んだことを後悔しているだろう』


 本人の口ではなく身内から発せられた言葉だとしても、自分の存在を否定をされるというのは、胃を冷たい刃物で刺されたような――もだえ苦しい感覚が襲う。

 

「言い返せよ......はっきり怒れよ......なぁ......ッ!」


 来栖くるすが世愛に言い放ったあの一言が脳内にこびりつき、呪いのように俺を辛くどうしようもない気持ちへとおとしいれる。 


「私も怒ろうとしたよ......でも風間さんが私の分まで兄さんに想いをぶつけてくれた......」


 泣いている俺に世愛はふわりとした笑顔を浮かべ、


「風間さん、ありがとね」


 小さく呟いた。


 ......ホント、タオルを持ってきてくれて助かった......女性の前で男がボロボロに泣くなんてカッコが悪いからな......。


 目元をタオルで隠して俯く俺の頭を、世愛が優しく撫でてくれた。

 嗅ぎなれた柑橘系の化粧水の匂いが俺の鼻腔から脳内に伝わり、徐々に落ち着きへといざなう。


「――私ね、風間さんが兄さんに向かって頭を下げた時、全ての罪からよるされた気がしたんだ」


 世愛はいつくしむような笑顔で告げた。


「後悔の連続だった私の歴史だけど......それも全部、無駄じゃなかったのかなって......そう思えるようになった」


 夜空を見上げながら語る世愛の表情は、とてもすっきりとした様子で、同時に何か決意の固まった強い意思を感じた。


「......だから安心して」


 振り向いた世愛は、


「私、もう一人で歩いて行けるから」


 俺に向かって宣言した。


 その言葉は、俺から離れるという、明確な返事。

 寂しさが全くないわけがない。

 ――でも、星空に照らされて輝く世愛の瞳を見ていたら、全力で応援してやりたい気持ちに駆り立てられた。


「了解」


 タオルで額を押さえていた手を離し、世愛の瞳をしっかり見て、俺は笑顔で頷いた。


「世愛......頑張れよ」

「......うん」


 頬の朱い世愛は、タオルを持っていない方の俺の腕に自分の腕を絡め、身体を寄せてきた。

 言ってるそばから親離れできるか不安になってきたが......自分自身の過去と向き合い、自らの意思で未来を決めようと歩みを始めようとしている世愛なら、きっと大丈夫だ。

 二人で見上げる夜空の星々に、俺は世愛の幸せを願った。

 

 ――それから一時間後。

 世愛のスマホに来栖社長からメッセージが届く。

 内容は、留学の件を許可するという旨。


 そして――俺との共同生活は世愛がイギリスに旅立つ日までとする――この二つのみがスマホの画面に記されていた――。

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