第56話【父親として】

 とにかく親父は厳しい奴だった。


 幼少期。

 部屋を少しでも散らかせば、烈火のごとく怒り脳天にげんこつを振り落とされる。

 テストの成績が悪いと、次のテストの時までゲーム機を没収されるのは当たり前。

 だからと言って、気合を入れて勉強を頑張って良い成績をとっても、褒められたことは一度も無い。


 俺にとっては恐怖の存在。


 なので親父のことはあまり好きではなかった。


 武道経験者でもあった親父には、口癖のようにいつも口にしていた言葉がある。


『正義を常に意識して行動しろ』


 子供心に”正義”という言葉に惹かれていたのもあるが、物心がつき始めた頃、俺はその

教えを守りどんな時にもそれを意識し生活していた。

 理不尽な出来事に襲われても、見逃さず、自分の正義を貫く――例え周囲に厄介な奴だと思われても――。


 高校三年。 

 卒業を間近に控えたある日。

 忘れもしない、あの事件が起きた。


『本日をもって家族を解散する』


 大事な話があるからと、母親に呼ばれ家の居間へとやってきた俺に告げた、親父の衝撃的な一言......。

 文字どおり、風間家を終わりにするから、これからは各々自由に生きろという意味に他ならない。

 理由をいくら訊ねても、二人は多くを語ろうとせず、数日のうちに家から出て行った。

 やがて家は売りに出され、俺は突然住む家を追い出されるハメに。

 さいわいい近くに住む祖母の家にお世話になることができたので事なきを得たが、当時精神的なショックはかなり大きかった。


 あとで知った話では、親父は俺が小学生の頃から外で愛人を作っていたらしく、俺が高校を卒業するタイミングを以前から待っていたとか。

 母親もそんな父親の情事に数年前に気付き、仕返しと言わんばかりに外で愛人を作っていたらしい。


 知らなかったのは俺だけ......子供というのは、いつだって親の身勝手の犠牲者だ。


 以来父親の教えを捨て、自分の気の向く、おもむくままに行動するよう悔い改めた。

 だから世愛せなの前での俺は、所詮自身が理想とする父親像を演じていたにすぎない――はずだったのに。


 気付けば世愛を本当の娘のように思い、愛し、幸せになってほしいとまで願っている自分がここにいる。

 だからこそ、血の繋がった兄貴のはずなのに、世愛を泣かせるコイツがたまらなく許せない。


 ソファから立ち上がるよりも前に俺の両手は拳を形作り、ただ目の前の相手を黙らせようと大きく腕を振りかぶった――その時。

 来栖くるすの後方――カラーボックスの上に飾られた写真立てが視界に入った。

 去年のクリスマス会でかすみの奴が撮ってくれた、俺と世愛が映った一枚。

 不愛想な笑みを浮かべる俺の隣には、ふわりとした笑顔でたたずむ世愛。


 ......そうだ。俺は世愛アイツの笑顔を守りたかったんだ。

 つかみどころのない、ふとした瞬間に見せる、人を幸せな気持ちにさせるあの笑顔こそが世愛が世愛でいる証――。


 いま来栖を黙らせるのは簡単だ。


 しかしそれでは根本的な解決にはならないうえに、むしろ世愛の笑顔をさらに奪うことになってしまう。


 何をやってるんだ、俺は!


 意味を無くした、振りかぶった拳を自分の顔の前にゆっくり降ろし、


 ――ゴンッッッ!!!


 そのまま額を目がけて打ち抜いた。


「「!!!???」」


 奇行に走った俺に、二人は驚いた表情を浮かべる。

 重く鈍い痛みが冷静さを失っていた頭に、いま自分のやるべきことを思い出させる。


 ――大丈夫だ。しゅんの時みたいに、また怒りに支配されて暴れたりなんかしない。

 

 しんと静まり返った室内。

 自分に向けられていたはずの拳が、あらぬ方向へと放たれたことに驚きを隠せない来栖。

 いましめとして受け止めた額の痛みに耐えながら、俺は彼の目を見据え口を開いた。


「親に――保護者に子供の将来を決める権利なんてありません」


 準備してきた文章なんか、うの昔に頭の中から消えている。 

 今ここにある想いを、ただ吐き出し、相手にぶつけるのみ。


「子供にとって勉強は、将来の選択肢を増やすための手段。なりたい職業に就きたいと思った時、届かなくて後悔しないようにするための力なんです」


 隣で見守る世愛をちらとひと目だけ見て、言葉を続ける。


「世愛は今まで親父さんの件があって、将来についてどうしても前向きに考えることができなかった。でもそれが、高校三年生を目前に変わることができた。自分自身で将来の進む道をしっかり決めたいと」


 瞳を潤ませ、頬にまだ涙が残ったままの世愛が小さく頷く。


「俺なんかより大企業の社長を務めるあなたの方が余程ご存じだと思いますが、世の中は本当に広い。留学という手段は、もっと世愛の知識を広げるためには絶好の良い機会なんです。見知らぬ土地に行くのは、最初は不安で辛いかもしれません。でも世愛ならきっと大丈夫です。妹さんは、もう昔とは違います。ですから――」


 俺はソファに座る来栖の横に移動すると、


「世愛を、もういろいろなもので縛り付けるのをやめてください」


 その場で土下座をし、嘘偽りの無い想いをストレートに発露させ、ぶつけた。


「できることなら、俺があなたの代わりに正式な親代わりになって育てたい。でも俺じゃダメなんです! 俺には金も地位も無いどころか、ただのフリーターにすぎない。家だってここに居候させてもらっている身の、本当にどうしようもなく情けない大人なんです!」


 溢れ出した感情はダムのように勢いよく流れ、カーペットに押し付けられた額は摩擦で熱を帯びる。


「大企業の社長で世愛の保護者でもあるあなたなら、世愛を幸せにできる。何かあった時に世愛を守ってやれる。血の繋がっていない俺では、もしもの場合に守ってやることができない! 俺には、その資格も権利も無いんですから!」


 悔しいが、俺がどんなに世愛のことを守ってやりたいと思っても、正式な親では無い俺にはどうしても法律のうえで手の届かない事態が起こりうる。

 血の繋がりというのは、思っている以上に大きい。


「......何故、そこまで世愛のことを」


 黙って俺の言葉を静かに聞いていた来栖が訊ねた。 


「親が子供に幸せになってほしいと願うことは、当たり前じゃないですか」


 顔を上げれば何かを探るような視線が飛んでくる。

 契約で繋がった、まがい物の親子関係だとしても、想いだけは本当の親に負けたくなかった。


「......気が変わりました。あなたのことを即刻、しかるべき所に通報します」

「構いません。その変わり、世愛の留学の件を許可すると約束して下さい」


 お互いの鋭い視線が交差し、一歩も引かない状況。


「風間さん!? 私のことはもういいから!」

「いいわけねぇだろ!」


「兄さん! これからはちゃんと兄さんの言うとおりに従います! だから風間さんに酷いことをするのはやめて!」


「いえ! 今すぐ俺を警察に突き出して下さい! お願いします!」


 俺の隣にやって来るなり、世愛も一緒になって自分の兄である来栖に土下座する。

 いくらやめさせようとしても世愛の意思は固く、一向に頭を上げようとしてくれない。辛かった。


「......全く、何なんだ。金で繋がっているにすぎない、家族ごっこのくせに......」


 目の前で二人に土下座をされている来栖の表情には、明らかに困惑の色が見てとれた。

 俺たちから顔を背け、苦虫を噛み潰したような渋い表情に加え、呼吸の荒さも窺える。

 そこに冷徹な仮面を付けた男はいなかった。


「......勝手にしろ」


 そう一言、短く言い残し、来栖は部屋から出て行ってしまった......。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る