第5話 中国四千年の歴史が1カ所で見られる美術館!「藤井斉成会有鄰館」←どうしてこんなに無名なの?

京都有数の観光地、岡崎公園の南にちょっと異彩を放つ建物があります。


3階建てのビルの屋上に中華風の八角堂が乗っています。丹塗りの柱に黄色い釉薬の瓦が乗った、とても色鮮やかな「いかにも中華な感じ」のお堂です。

それを頂く3階建ての建物も、どことなくレトロモダンで由緒ありそうな佇まいなのですが……。

(2023年5月12日追記。写真を近況ノートにあげております→ https://kakuyomu.jp/users/washusatomi/news/16817330656674083928 )


ところが。いつ通りがかっても表門に人気が無く、ひっそりと扉が閉じられています。

ですから、前を通るたびに「この建物なんだろう?」と思いつつ、そのまま何十年も経過してしまいました。


ここがれっきとしたミュージアムであると知ったのは偶然によります。


ワタクシ鷲生は中華ファンタジーを書こうとしておりまして。

そのために手に取った資料本に『中国文化事典』というものがあります。

(この本の紹介はコチラ→「第4話 お値段以上!読み物として面白い!『中国文化事典』

https://kakuyomu.jp/works/16817139556995512679/episodes/16817330649421209588 )


そこに仏像の写真があり(416頁「菩薩立像」)、その像の収蔵先として「藤井済成会有鄰館」の名前が挙がっていたのです。

私も京都に住んで30年。美術館巡りも好きな方です。それなのに、そんな名前の施設を知りません。

急いでネットで検索して、「ああ、あの、岡崎公園の南の謎の中華風建物がそれかあ!」と納得した次第。


ところが、早速見学に行こうとしても、やはり「藤井済成会有鄰館」は謎めいた存在です。

独自のWebサイトもなく、京都の美術館を紹介するサイトの一部でしか情報を得られないのです。


それも不思議ですが、さらに謎なのは、その開館時間。

なんと! 第1・3日曜日しか開館しません。それも開館時間は11時から15時(しかも1月と8月はお休みです)。


いちおう美術館紹介サイトのURLを貼っておきます。

「京都ミュージアム探訪」https://www.kyoto-museums.jp/museum/east/59/


いったいどんなところなんだろう……?

おそるおそる直近の開館日に自転車とばして行ってきました。


到着しても、やはり岡崎公園南の疎水に面する正門の扉は閉じられたままです。

ただ、あらかじめ調べて「今日は開館しているハズ」と確信を持ち、「中に入りたい」という意思を持って辺りをキョロキョロ見回していると、「入口はコチラ」という看板が見つかりました(そうでもないと見つからないですw そこも魔術めいているというかw)。


東に和風の門があり、そこから敷地に入れます。

南にも建物があり、「第二舘」とあります。そちらは開いていなかったので、メインであろう北の建物に向かいました。


中はがっつりレトロな感じ。

出かける前にちょっと調べたところ、この建物は武田五一設計です。武田五一という建築家は関西で活躍した人で、京都大学の時計台などが知られています。

事前の調べでは大正15年(1926年)に竣工だとか。折上天井とか階段室など、この武田五一の建築自体も見どころであるようですが、まずは収蔵品を見て回ります。


受付で払うのは1300円。結構なお値段ですが……見学を終えた今の私は断言します。むしろ安いくらいかもしれない、と。


受付近くでは、しょっぱなから唐代の彫刻がお出迎えです。薄暗い展示室に一歩足を踏み入れると、漢の時代の画像石がズラリ。その先には世界史の資料集で出てくる、ガンダーラ仏!


必ずしも時代順に並んでいるわけではないんですが、殷墟から出土した青銅器とか、周代のそれとか。春秋戦国時代に秦、漢、五胡十六国、隋、唐……ほぼ全ての時代の何かがあるという感じです。


鷲生は日本史畑で、つい最近中華ファンタジーを書こうと中国史の調べものを始めたばかりなんです。日本の古いものを調べていると中国から到来したものも博物館や美術館でお目にかかることはありましたが……。殷とか漢とかは見たことないですよ!

これまで文献でしか見たことがない中国の王朝。こうして出土品を目の当たりにすると「実在してたんや!」とすごく興奮しましたw


と同時に……。

あまりに価値の高そうなものがバンバン並んでいるので、ふと「ほんまもんなんやろか……」と藤井済成会有鄰館さまに大変失礼な考えが一瞬脳裏をよぎりました……。


↑ 結論から先に言うと、ほ・ん・も・の! です。

それに、Wikipediaにも「藤井済成会有鄰館」の項目があり、ちゃんとしたミュージアムなんですよ。ミュージアムとしては。


Wikipedia「藤井済成会有鄰館」によれば、「国宝1件、国の重要文化財9件を含む所蔵品は、中国の殷(商)から清まで各時代の青銅器、仏像、書画、陶磁器など多彩である」とありますし、前述の中国文化事典に乗っていた菩薩立像の実物だってありました。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E4%BA%95%E6%96%89%E6%88%90%E4%BC%9A%E6%9C%89%E9%84%B0%E9%A4%A8


ただ……館内が限りなく古風で……。

大正期にできたそうですが、外側の建築だけでなく、内部もまたそのまま時間が止まっている感じです。すっごくレトロで……レトロの本気が過ぎてアヤシイ雰囲気といいますか……。

我々が知っている近代的なミュージアムとあまりに雰囲気が違うので、それでつい「本物?」などと無礼な疑問が浮かんでしまったのです。


ミュージアムと聞くと、天井から床まで届くガラスケースが壁に備え付けられている光景を思い浮かべるかもしれませんが、藤井済成会有鄰館の展示は、戦前とかからあまり変わっていなさそう……。むきだしのままとか、木枠にガラスがはめ込まれた古めかしいケースとか……。


むき出しなのは、生で見られてとてもイイんですが……。


鷲生が展示を見てる途中で、ちょっと靴ひもを締めなおそうと棚の陰にしゃがんだとき、床に置いてあったバケツにぶつかりそうになったんです。「ふっるいバケツやな~」と思いながらふとそれに目をやると……。 

ところが、コレ、「漢代」の金属容器! 展示品! 

すっごく無造作に床に置かれてるんですけど⁈ ですけどっ!!!(あまりに驚いたので2度言いましたw)


そして、展示の名称や説明は「手書き」(!)が基本です。黄ばんだ紙に筆で書かれた誰かの肉筆。大正、昭和を生きた、祖父や曽祖父世代の方が筆を取って書かれたものを読んでいるのだろうと思うと、中国四千年の歴史以外にも日本の近現代史を感じられて味わい深いです。


各展示室にスタッフの方がいらっしゃいますが。

スタッフという横文字が似合わない感じの方が多いです。フレンドリーに話しかけて来られる方が多く、そしてボランティアなのだとおっしゃいます。

(お客さんもあまりいないです。同じ展示室に3人もいれば多い方で、ガランとした部屋に鷲生一人だけって時間も結構ありました)。


ちなみに。鷲生は『中国文化事典』を持参してそれと展示品を見比べていたのですが。

おじいさんが話しかけてこられました。

「それはどこの何という本です?」「僕が持ってるのは○○いう事典ですわ」などお話しされ、私が『中国文化事典』の菩薩立像の写真を指差して、「これ、見たいんですけど、どこですか?」とお尋ねすると、「ああ、ほれ、そこですわ」と。

振り返った斜め後ろにありましたw


鷲生は昨年秋と今年の春に足を運びました。

今年の春はメモ帳を持参して書き込みまくっていたら、おばさまに「図録もありますよ」とおススメいただきました。

結構なお値段ですが、来るたびにメモするのも大変ですし。思い切って購入しました。


その図録によりますと(そしてWikipediaなどでも説明されていますが)、この「藤井済成会有鄰館」は近江商人だった藤井善助氏が個人で蒐集されたもののようです。

Wikipediaにも「日本の私立美術館としては草分けの1つ」とあるように、民間の施設なので運営が手弁当的というか……なのかもしれません。


その図録(『有鄰館精華』)の「収蔵の由来と特徴」を読むと、その志の高さに打たれます。

引用しますと(漢数字はアラビア数字にしております)……。


「当館は、近江商人の血を引く、四代藤井善助(1873~1943)によって設立されました」


「(上海に留学中)上海港から欧米へ次から次へと流出する中国古文化財に眼がとまったのです。設立者は、常々『同種同文のわが国への移入こそが自分の使命のように思える』と話していたそうです。その後、中国各地で私達の祖先文化への認識を深め(中略)、衆議院議員の間に犬養毅のもとで薫陶をうけ、中国との善隣友好の必要性を強く感じました」


「しかし、当時の中国を低文化視するわが国の悪弊を改めさせるのは、容易ではないことをさとり、中国の文物を収集し、これを展示し、目の当たりに見せることこそ最善の方法と、古印の蒐集を契機に、有鄰館を設立し、一般公開することになりました。そのために収蔵品は、中国四千年の歴史の、各時代の仏像、青銅器、磚石、書画など、多種であることが特徴です」



なるほど~。

日本の古代文化に大きな影響を与えた中国の歴史をリスペクトし、日本にその良さを伝えるべく、網羅的なコレクションとなっているのですね……。

で、21世紀の現在、中華ファンタジーを書こうとした私がメモ帳片手に見学に訪れる、とw


いついつの時代に作られたという客観的な情報とは別に、美術品としての価値は主観的な面もありますが、古美術品としても素晴らしいものが多いように思います。


一階展示室入って中ほどの壁際の仏像がとても魅力的で、おもわず足を止めて見入ってしまいました。

図録で確認しようとしていても、写真写りが悪いのかコレというのは定かじゃないんですが図録126頁の菩薩立像(北周~隋 重要美術品)じゃないかと思います。最初に述べたように、近代的なガラスケースなどなく、ごく間近で見られるので、引きの写真と印象が異なります。で、生で見てても全く飽きないエエ仏さんなんですよ~。


ガンダーラ仏も蠱惑的です(同じ並びにエジプトの彫刻の頭部も飾ってありましたw こういうところはカオスですw)。


3階にある唐三彩は艶やかですし、すらっとした胡人俑が素敵です。明代の家具や清代の衣服はとてもゴージャス!


一風変わったものとしては、Wikipediaにも載っていますが「科挙試の際に使用されたとされる、四書五経とその注釈全60万字を細かい楷書で表裏全面に書いたカンニング用の下着(丈134cm)」なんてのもあります。


歴史的にも美術的にもすっごく見ごたえのあるコレクションなのに。何でここが無名なんでしょう?。

専門家の間では有名なのかもしれませんが、観光客はまずいないですし、限られた開館時間にも展示室に鷲生一人だけというのは、お客さんが少なすぎだと感じます。

話しかけてこられたボランティアさんが「ここはインターネットとかやってへんから」とおっしゃるように、Web上で発信されていないからでしょうか……。


そして個人コレクションとしてひっそり運営されていると、そのまま時間が止まり(図録『有鄰館精華』によれば空調とか雨漏りとかの工事はされてきたようですが)、ここにしかない独特の雰囲気が醸し出されているのかもしれません。


古風でレトロで……ぶっちゃけて言えばかなり「オンボロ」なんですが、それが武田五一設計の気品と遊び心のある建築と、何より中国四千年の歴史の重みを有無を言わせずつきつけてくる収蔵品のド迫力とあいまって、とってもとっても妖しくも不思議な時空間。

隠れ家というか、秘境というか……。


皆さまにも、一度、京都の疎水沿いに佇む武田五一建築の中の、ミステリアスでファンタジーな雰囲気を味わいに来ていただきたいです。

ここの収蔵品がどこかに持ち出されて特別展が開かれるとしたら、そりゃもうチケット代が2000円近い値段になってもまったくおかしくないとと思いますよw


2023年のゴールデンウィークが始まりました。予定通りなら5月7日の日曜日は開館されるはず。

もし、遠方からでも京都にご旅行の方がいらっしゃいましたら、ちょっと予定を詰めてコチラの藤井済成会有鄰館おススメです!

(京都中が観光客で溢れかえりそうになっても、ここだけはガラスキのハズ)。

関西圏で京都に来やすい地域にお住まいの方。ぜひぜひ近いうちに行きましょう!


この鷲生の連載は「東奔西走過去未来」というタイトルですが。

チケットを買えばすぐに入れる異世界が、この藤井済成会有鄰館には広がっています!

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東奔西走過去未来。小説のネタになるかもしれないエッセイを。 鷲生智美 @washusatomi

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