第4話 肆

 私は幼かった。

 小学生の時にいつも通っていた懐かしい教室で、妹がだれかと言い争っている。相手は複数の男子だったがそれが誰だったかは憶えていない。

 不意にある一人の男子が叫び声をあげた。見ると、その子の片腕がまるで木の枝みたいに折れていた。すると呪いが伝染したように、続けざまに他の男子の足が折れ、後にもっとも重傷だったと分かった子は口から吐血して倒れた。教室内はあっという間に阿鼻叫喚に包まれた。目撃した他の生徒に呼ばれて駆けつけた担任教師は、しかし怯えるばかりで、早く救急車呼んでという生徒の叫び声を聞いてようやく一一九番をした。

 そしてその時に私は知った。

 酷く恐怖に戦いた大勢の目がこっちを見ていると。

 ちがう……悪いのはあいつらだ……。

 

 ふと目覚めると私はバスの車内にいた。何も思い出せないけれど、どこかへ向かっているらしいという事だけは分かる。

 乗客は他にも何人かいるが影のように実体がない。

 私は静かに窓の外を見た。

 闇夜に包まれた深い森の中、私をのせたバスは直進していく。

 知っているようで知らない青い月がぽつんと夜空に浮かんでいるが、星はどこにも見当たらない。恐らく全く知らない世界だ。

 それでも私はひどく落ち着いていた。空気は澄んでいるし、なぜか恐怖心はなく、どこへ運ばれるのかも知らないのに安心しきっている。

 気がつくとバスはいつの間にか停車していて、乗客たちが降りていく。

 私もそれに続いて最後に降りた。

 時を刻む音が聞こえる……。

 たくさんの人が並ぶ舟のチケット売り場には大きな時計があった。『時間厳守』という看板がその下にあって、チケットを購入した人が次々と奥のほうへ進んでいく。

 私も列に加わった。何故だか分からないが、自分の意思なんてものはここには存在せず、あるのは〝無のままあるがまま、ただそうする自分〟だけ。

 自分の順番がまわってきてチケットを渡されると、私は奥のほうへ進み、笠を深く被った顔の見えない船頭のいる小舟へと足をかけた。

 闇夜の中、小舟は音もなく静かに川の上を進む。

 海のごとく遙か彼方まで広がるその川は、闇夜を映したように黒く染まり、その黒い水面はまるで泥のようにヌメヌメとしているようだった。上流からは朽ちた木々が流れてきていて、時折建物の残骸までもが小舟の横を通り過ぎていった。

 船頭は一言も話さない。ただ黙々と舟をこぎ続けている。

 やがて――一つの建物に目を奪われた。

 どっかで見たことのあるようなその建物は、他の残骸と同じように流れていくけれどこの世界においてはまだ新しめで、明かりがついていた。

 灯る明かりによって影絵のごとく浮かび上がった一輪車がどこか懐かしい。その隣には小さな子ども用の自転車の影。その向こうには動き回る人の影もあった。不思議なことにあれは玩具屋だと私には分かった。

 そんな建物も流されて私から遠のいていく。

 次いで見知らぬ朽ち果てたマンションが現れた。

 そこもまた明かりがあったものの、もうじき死を迎えるのか点滅していた。ボロボロに砕かれた壁には人の体液が腐ったような悪臭が染みついている。罰ゲームでもなければ決して入りたくない場所だ。はて、いったい誰のマンションだったか……と私は思い出そうとするが何も浮かんでこない。

 その後も続けていくつか懐かしさを思い起こさせる建物が流れては消え、流れては消えを繰り返した。そしてふと気がつけば先の見えない不思議な岸に到着していた。

 船頭はやはり何も言葉を発しないが、私は誰かに降りるよう言われた気がしたので陸地へと降り立った。

 見ると、同じように小舟に乗った人々が続々と岸に着いている。

 妙な光景だ。陸地には何もなくただ暗い空間がはるか向こうまで広がっているばかりで、それが永遠に続くもののように感じられた。しかしどういうわけか、私にはそこが『出発点』な気がしてならなかった。

 ああ、私も行かなくちゃ……。

 と他の人達と同様に果てしない彼方へ歩み出したその時、背後で声がした。

「お姉ちゃん」

 私ははっとした。

 振り返ると妹がすぐそばにいて、私はすかさず駆け寄って抱きしめた。

「どうして……なんで……」

「お姉ちゃん、泣いてる場合じゃないよ。先生がね……そろそろ全部思い出して与えられた使命を全うしなさいって」

「え……?」

 驚いて目を開けると、目の前に見知らぬ男が立っていた。顔全体に亀裂が入ったような傷があり、頭には奇妙な帽子を被っている。服装はいささか古い西洋の趣を感じさせるが、どこか不気味である。

 そんな男は一切喋れなかった。

 けれど私はなぜか男の思考をうまく読み取ることができ、それによって失われていた真実を知ることができた。

 特別な力を持っているのは妹だけではない。姉の私もまた特別な力を持っている。ただ幼かった頃の私は自分のあまりに強大な力を制御できず、周りを傷つけるばかりだった。だから来たる日まで先生は私の記憶を封印することを選んだ……。

 ああ、そうか。先生……そうだ、先生は私たちの夢の中に出てきていた……。でもいつもイライラすることしか言われないから妹と違って私は大嫌いだったんだ……。思い出した。あの時、小学校の教室で男の子たちを傷つけたのは妹じゃない。この私だ……。

 先生は私の頭にそっと手を置いた。幼い頃の私は大嫌いな先生に触れられることさえ拒んだが、今は素直に受け入れられる。先生の手を伝って流れ込んでくる記憶のぬくもり……懐かしい私の記憶……そして魔術に関する新たな知識……。

 やがてその感触は薄れ、ふっと先生の姿が影となり姿を消した。どうやらまた異なる世界の私以上に手のかかる弟子のところへ向かったようだ。

 私は残された妹と手を繋いだ。

「お姉ちゃん、向こうに戻ったらわかってるよね? わたし待ってるから」

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