シャインマスカットの休日

笹木シスコ

ep.Shine Muscut

 12月ともなると、さすがに街はクリスマスムード一色に彩られる。

 俺の住んでいる場所は郊外の住宅地であるにもかかわらず、一般の家庭が庭やベランダに簡易的なイルミネーションを施しているくらいだから、街中になれば尚の事だ。

 休日を持て余していた俺は、久しぶりに電車に乗ると、少し時間をかけて繁華街の方へやって来た。目的はない。ただ、なんとなくだ。なんせ時間を持て余していただけなのだから。

 職場が自宅のすぐ側にあり、変わり映えのない通勤路の往復に飽きていた、というのもあるかも知れない。少し気分を変えたかった。

 でもここにもすぐに飽きがきてしまった。

 さっきからデパートの1階に連なるすべてのハイブランド店が、歩道に向けて派手に飾り立てているショーウィンドウの中で、「クリスマスですよ?プレゼント買いますよね?」と一斉に訴えかけてくるようで、俺の気分をげんなりとさせていた。


 俺はプレゼントが苦手だ。というより、相手を喜ばせることが苦手だ。


 愛しい気持ちが最高潮のとき、『ただの石ころだって嬉しい』そんな気持ちになることもあるかも知れない。でもそれで嬉しくなれるのは、贈る側の気持ち、贈られる側の気持ち、そして石ころの意味するもの、例えば2人でいつも過ごした河原で拾った思い出の石ころだとか、その3つの条件がすべて揃っている場合のみ嬉しい気持ちになるんじゃないのか?

 俺はそのすべてが揃った試しがない。いつも何かが欠けてしまう。いつも……。

 冷たいアスファルトの歩道を歩くスニーカーの足先が痺れてきた。もっと温かいブーツを履いてくるべきだった、と後悔し始めたとき、視界の先に大型家電量販店があるのを見つけてしまい、また、げんなりとする。

「もし、ついでがあったら、インクカートリッジを買っておいて欲しい」

 日曜だというのに急なトラブルだとかで会社へ出かけていった彼は、出掛けに俺にそう声をかけていった。

 面倒くさいな……。なんでよりにもよってこんなところに家電量販店なんかあるんだ、とため息をつきたくなったが、他に目的もない俺は、肩をすくめると仕方なく家電量販店の自動ドアを潜った。


 店内に入ると、寒さでカチコチに強張っていた肩が緩むほどには暖房は効いていたものの、まだコートを脱ぐ程、体は温まらない。俺はコートのポケットに手を突っ込んだまま、店の奥へと進んだ。

 入口付近には、おそらくこの店の主役であるスマホの最新機種やイチ押しのタブレット端末が、誰の手にもすぐ取れるような位置に並べて置いてある。脇役であるインクカートリッジなどの消耗品は何処に置いてあるのやら。

 店員に訊けば済む話なのだが、その後ついて回られて商品説明などをくどくどとされた日にはたまったもんじゃない。インクカートリッジくらいで商品説明もなにもないとは思うが、警戒心の強い俺は暫く1人でウロウロと店内を歩き回った。

 そして見知った男を目にする。その男は、デジタルカメラのコーナーで、グレーの厚めのハーフコートのポケットにスラリと長い両手を突っ込んだまま、じっと目の前の棚にある商品を眺めていた。

 どうやら、動画を撮影する為のビデオカメラやカメラを固定する三脚に見入っているようだが、俺はその見知った横顔を見た途端ほとんど無意識のうちに声に出してその名を呼んでいた。

上條かみじょう……」

「え?」

 男が振り向いた。「あれっ、篠宮しのみや?」上條が驚いた顔をして俺の名を呼ぶ。

 その真っ直ぐな目は、10年経ってもまったく変わらない。思わず逸らしたくなる、何も後ろめたさはありません、といった、俺には眩しすぎる目。

「うわー久しぶり!高校卒業以来だな。もう8…9年ぶり?」

 上條が、大して仲良かったわけでもないのに、嬉しそうな顔をして体を俺の方に向けた。

 出会ってからは10年ぶりだよ。こいつは高2のとき、俺のクラスに転入してきた。そして仲良かったわけでもないどころか、俺はこいつのことが苦手だった。

 俺はあの頃、一葉いちはにしか興味は無く、他の人間はすべて意識の外に締め出していたというのに、こいつは初っ端の自己紹介でいきなり俺の意識の中に土足で踏み込んできたのだ。

『僕の恋愛対象は男なのだ』と。

 俺は心臓を鷲掴みにされてぐちゃぐちゃと握り潰されるような気分に陥った。

 なんで簡単にそんなことが言えるんだ?俺が必死に、同性である山口一葉への恋心を隠しているというのに。俺と一葉は当時同級生でもあり、同じ児童養護施設で育った兄弟の様な関係でもあった。

あさぁ」

 そこへ、まるで赤ん坊でも抱くかのように、ワインの瓶よりは少し大きめの物が入っていそうな長方形の箱を両腕で抱えた、茶髪にベージュのメッシュを入れた男が走り寄ってきた。ツーブロックにしているのか、上の長い部分が走るたびに犬の耳みたいにぴょんぴょんと跳ねる。

「うわ。何買ってんの、おまえ」

 上條が、ぎょっとしてツーブロック男に向かって言った。

「だって麻也あさや、果物摂りたいって言ってたから。スムージー作ったろうかと思って」

 どうやら、箱の中身はミキサーのようだ。というか、この声は聞き覚えがある。声というか、この2人のやり取りの感じが……。

「あっ!!篠宮じゃん!」

 ツーブロック男、杉本が俺に気づいて叫んだ。やっぱり……。俺は毎日のようにこの2人のやり取りを耳にしていた。何故なら、上條の席は俺の左斜め後ろ、そして杉本はその右隣、つまり俺の真後ろだったから。この2人は俺の後ろでいつも仲良さそうに喋っていた。

「髪が全然違うな」

 この状況で何も言わないのも不審に思われると思った俺は、気の利いた挨拶を捻り出す代わりに、取り敢えず見たまんまを口にした。杉本といえば高校時代、教師に散々指導されながらも3年間レモンの様な黄色い髪色を押し通したやつ、という印象が強かったから。相変わらず無愛想だ、と俺が思われるのは別にどうでもいい。

「あ、これ?うん、そうそう。いや、俺もさすがにアラサーにもなってあの色はどうかと思ってね〜。そしたら麻也が『犬っぽい髪型にして』って言うから」

「余計なこと言うなよ」

 上條が左手をコートのポケットから出して、杉本の肩を突いた。

 その手には、指輪がはまっている。当然のように薬指に。

 もしやと思ってミキサーの箱を抱える杉本の左手を見ると、上條のとお揃いっぽい指輪が薬指にはまっている。

「おまえら付き合ってたのか」

 意外な事実に思わず会話を続けてしまった。続けるつもりなんてなかったのに。

「付き合ってるんじゃない!夫夫ふうふだ!」

 杉本が全力で否定をした。日本にはまだ同性婚の制度はないから気持ちの上で、ということだろう。

「仕事は」

 また会話を続けてしまった。昔馴染みとの思いがけない再会に少し気分が高揚していたのかも知れない。

「スーパーの店員だよな」

 杉本が上條に向かって言い、上條が杉本をジロッと睨む。どうやら杉本の冗談らしい。

「俺は……まあ、公務員。こっちは…」と上條がチラッと杉本を見たところで、「主夫」杉本がすかさず、そう言った。それも冗談だろうと思って流そうとしたら、「こいつ昔は不器用だったくせに、今、結構家事できるんだよ。料理なんか店でも出せそうな凝ったやつ作ったり」と上條が言うので驚いた。横を見ると「料理は化学なり〜」と杉本がポーズを決めている。

 マジか……。確かこいつ結構いい大学の理工学部に受かっていた気がするが……。俺は高校の定期テストのとき、いつもクラス順位は1位を取っていたけれど、教科順位で数学と物理が1位を取れないのは杉本のせいだと思っていた。

「家事だけ?在宅ワークとかは」

 納得がいかない俺はつい食い付いてしまう。

「ちこっとバイトぐらいはしてるよ。今はデザイン事務所の雑用。1日4時間くらい」

 本当に主夫じゃないか。チラと上條の顔を見ると、少しその表情が曇っていることに気づく。でもすぐに元の穏やかな顔に戻っていた。まあ夫夫であるのなら、もし自分に何かあったらどうするのかという懸念はあって当然だろう。非正規雇用では十分な保証は得られない。上條がどんなに頑張ったところで、ちゃんとした婚姻関係がなければ与えられないものもある。養子縁組という手もあるが……その辺は本人たちにも思うところがあるのだろう。

 そういえば杉本は、高校のとき途中からあんまり学校に来てなかったな、と俺は思い出す。もしかしたらフルで働けない事情があるのかも知れない。起立性調節障害……という言葉が頭をよぎった。俺のところにもよくやって来る。起立性調節障害は、10代で発症しやすい自律神経の異常で、起立時に血圧や血流の低下が起こるため、朝、起きにくいなどの症状が出る……と、そこまで考えたところで、まるでさざなみが引くように全部どうでもよくなった。最近何に対しても、こうだ。きちんと最後までこなせるのは仕事だけ。

「篠宮は就職組だったよな?まだ同じところで働いてるの?」

 上條が俺に訊ねた。まあ、そういう流れになるよな。

「いや……今は別のとこ」

「転職?」

「まあ」

 本当は間に大学へ行ったり色々あったのだが、その頃のことはあまり思い出したくない。

 これ以上、色々掘り返される前に、早くインクカートリッジを見つけて帰ろうと「じゃあ、お幸せに」と適当な言葉をきっかけに立ち去ろうとした。その時だった。

「山口は?」

 杉本の言葉に、俺はギクッとして立ち止まった。

 振り返ると、杉本がじっと俺の顔を見ている。

「山口は元気?」

 俺を見つめる大きな目に、一瞬頭がくらみそうになった。

 思い出した。俺はこいつの目も苦手だった。何も知らないとわかってはいても、何故か全部見透かされているんじゃないかと思わせるこの大きな目が。

 ここに至るまで、俺と一葉の間に何があったかなんて知る由もないだろうに、杉本の問いかけはまるで俺を試しているかのように聞こえた。

「元気だよ」

 不自然じゃないだろうか……と何故か少しビクつきながらそれだけ言うと、俺はすぐにでもこの場から立ち去るべきだと「じゃ」と軽く頭を下げた。

真咲まさき!もう行かないと予約の時間」いいタイミングで上條が声をあげる。

「あ、うん。んじゃね、篠宮」

 杉本が、ミキサーの箱を抱え直すと、先に歩き出していた上條の元に駆け寄る。杉本の意識が俺から逸れたことに少し安心した俺は、なんとはなしにその場に留まり2人の姿を見送っていた。2人は、高校のときと同じ様にわちゃわちゃと喋りながら店の出口に向かって歩いていく。

 おまえ、それ持ったまんま店に入るの?だって誕プレだし。サプライズ感ゼロだな。別にいいじゃんか。

 2人が店を出ていったところで、俺はホッとひと息ついた。

 その後インクカートリッジは見つかったものの、種類が多すぎてどれがいいのかわからず、結局何も買わないまま俺は店を出た。


 冬の夕暮れは流れるのが早い。店を出ると外は既に薄暗くなっていて、さっきまではくくりつけてあっただけのたくさんのイルミネーションが一斉に点灯してその本領を発揮し始めていた。

 よく見ると家電屋の向こうは大きな広場になっていた。広場の真ん中には、スポットライトに照らされた、5メートルはあろうかという大きなクリスマスツリーが立っている。てっぺんには星のついた赤いリボン。

 その光景につられて、俺はつい先日あった出来事を思い出す。


「篠宮先生も書きますか?」

 病棟のホールに飾られたクリスマスツリーに、キラキラとしたオーナメント以外に、星や三角帽子の形に切り取られた色画用紙が紐でくくりつけられているのを、回診の後で見つけた。俺が近寄ってそれを眺めていると、いつの間にか隣に来ていた看護師に声をかけられた。

 何枚もぶら下がっている色画用紙には、それぞれに『ニンテンドースイッチのソフトがほしい』『シルバニアファミリーのおうちをください』などと、可愛らしい子どもの文字が書かれている。

 どうやら、クリスマスに欲しい物をサンタさんにお願いするお手紙のようだが、こんな風に紐でくくったら、まるで七夕の短冊みたいじゃないか、と思いながら、俺は看護師の差し出す紐のついたツリー型の色画用紙とペンを受け取った。

 こういうのは、養護施設に居たときに散々やっていたことなので抵抗はない。

『みんなが元気で幸せになれますように』

「やだあ、篠宮先生。それじゃ七夕の短冊みたいじゃないですか」

 俺が書いたお願いを見て看護師が笑った。

 そのツッコミはもっと早い段階で出なかったのかい?と思い切り念を込めた目で看護師を見つめたが、その看護師は何もキャッチしてくれないまま俺の使ったペンを取ると、自分の業務に戻っていった。

 俺は黙ってそのツリー型の色画用紙を、ツリーの空いたところにくくりつけた。


 広場の中では、大きなツリーをバックに写真を撮る家族連れやカップルが楽しげに笑っている。みんな幸せそうだ。

 ふいに、さっき聞こえた杉本の言葉が蘇った。


 別にいいじゃんか。


 そうだ。別にいいじゃないか。誰が贈ろうと、誰に贈られようと、七夕の短冊だろうと。3つの条件なんて何一つ揃わなくたっていい。

 どうかサンタが本当にいるのなら、出来るだけたくさんの人に、元気で幸せな暮らしを与えてくれますように。

 俺はコートのポケットから左手を出して、薬指に光る指輪を、ツリーのてっぺんに向かってかざしてみせた。




     〈シャインマスカットの休日・終〉

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