第3話『思わぬ反撃」


【赤い悪魔】は、銃口を降ろし、『っち』と一つ舌打ちをして、廊下で動揺を隠し切れない人々を見回した後に、『さあここから逃げるのよ』と言いました。


 ですが、人々は口々に言ったのです。

 嫌だ――と。


【赤い悪魔】は幼い顔の眉間に深い皴を刻みました。

 無理もありません。【赤い悪魔】にしてみれば、妖魔に捕らわれた人々を救いに来たはずですからね。感謝されこそ憎まれるとも思っても見なかったのでしょう。


 ですが、人々は怒りを滾らせ【赤い悪魔】を責め立てます。

 ワタクシの心は震えました。

 ええ。感動していたのです。

 ワタクシのしていたことは悪ではないと。人のためになっていることだと。

 それを邪魔した【赤い悪魔】こそが、ここでは悪なのだと。


 人はみな、癒しを求めているのです。

 すっかり心を病んでしまっているのです。

 一体誰がそんな風にしてしまったのか。


 誰もがせかせかと時に支配され、お金に支配され、自由を奪われ、生きる目的を見失って馬車馬のように働かされている。


 我慢するものはひたすら際限なく我慢を強いられ、自由を謳歌するものはどこまでも自由に好きなように暮らす。

 その不公平さが行き場のない怒りを生み、心から余裕を奪い、疲弊させ、思っても見ないことを口走らせたり、愚かな行動に走らせる。


 心に余裕があれば。常に癒され幸福に満たされていれば、起きない悲劇もあったかもしれない。

 故にワタクシは生まれ、人々を救っているのです。

 ええ。確かに、人の世から見ればワタクシは人を食らう妖魔でしょう。

 ワタクシに捕らわれたら最後、二度と現世には戻れぬと恐れるでしょう。


 ですが、追い詰められて自ら命を絶つことと、癒しに癒され幸福のまま眠るように生きることを終わらせること。どちらが幸いか。

 そんなものは考えなくとも分かること。


 あえて辛い思いをする必要はないのです。我慢する必要はないのです。

 癒しに逃げることの何がいけないと言うのでしょう?

 癒されていいのです。

 心健やかに生きることが、本当の生きることになるのです。


 だからこそ、人々は【赤い悪魔】を責め立てました。

 帰りたくなどないと訴えました。

 余計なことをするなと罵りました。


 人々の眼に憎悪と怒りが宿ります。

 ただならぬ禍々しい気配が立ち込めます。


【赤い悪魔】は小さな女の子です。

 立ち上がられたら圧倒的に人々の方が背が大きく、瞬く間に取り囲まれ見えなくなります。


 ああ、なんて可哀想なのかしら。

 自分は褒められると思っていたのに、感謝されると思っていたのに、蓋を開けて見れば責められる。

 きっと心がズタズタになっていることでしょう。苛立っていることでしょう。

 このまま心を弱らせれば、付け入る隙はいくらでも生まれます。

 そうなれば、【赤い悪魔】を取り込んでしまえば、妖魔界隈の中でもワタクシの名が上がると言うもの。


 さて、そうなった暁には、どうやって【赤い悪魔】を食らってやろうかしらと、考えるだけで心が弾みます。

【赤い悪魔】はどんな快楽を望んでいるのかしら。

 どんなことをされたら心を蕩けさせるのかしら。

あの氷のごとく冷たい眼を、表情を、だらしなく、切なく崩すにはどんな癒しに漬け込めばいいのでしょう。


 そのためにも、皆々様には散々に【赤い悪魔】を責めて罵ってもらわなければなりません。

 少なくとも、ワタクシの躰が完全に復活し、力を補充し切るまでは――と思ったときでした。


 ガウン!


 猟銃が一切を黙らせるかの如く、轟音を響かせました。

 人々が、【赤い悪魔】を中心に尻もちをつきます。

 そのただ中で、【赤い悪魔】は猟銃を天井に向けたまま、堂々とした立ち姿で、ワタクシに向けたものと同じ、限りなく冷たい眼を人々に向けておりました。


 人々も、まさか【赤い悪魔】が猟銃を撃つとは思ってもいなかったのでしょう。

 顔を蒼褪めさせて目を瞠り、怯えを張り憑かせて見上げておりました。


 そんな人々に向かって、【赤い悪魔】は吐き捨てました。


 ――見苦しい。


 眼も表情も裏切らぬ、恐ろしく冷たいものでした。

 なぜこんな女の子からそんな恐ろしい声が出るのか。


 ――癒しが人に必要なことは私にだって解る。

 ――でも、それで他人に迷惑をかけていることに目を閉じ耳を塞ぎ知らない振りをするのなら、それはあなた達も「そちら側」と言うこと。

 ――あなた方のことを心配し、助けを求めて来た人たちを裏切る行為。

 ――でも、あなたたちがそれを望むなら。自身のことを気に掛けてくれている人たちの存在などないに等しいと無視をするのなら、それはそれで構わない。


 淡々と。恐ろしく淡々と【赤い悪魔】は諫言を垂れます。


 ――ある子供は、母に会いたいと泣いていた。

 ――ある人間は、自分が味方だと口にして寄り添っていれば攫われなかったと自分自身を責めていた。

 ――ある年老いた夫婦は、自分たちが失敗したせいで息子にばかり負担をかけていたと後悔していた。

 ――苦しみから解放されたいと望むのは自然なこと。ただ、その一方で苦しむ人々を生み出していることを忘れないで。

 ――自分だけが良ければそれでいいと言う奴は残ればいい。依頼人はそう証言する。供に帰った者には、その裏付けをしてもらう。

 ――だから選んで。帰るか、帰らないか。

 ――自分だけが幸せでいいのか、共に幸せになりたいと思うものと共に幸せを築くのか。

 ――ただし、今から名前を読み上げるものは問答無用で連れ帰る。連れ帰ってくれとの依頼だったから。

 ――だから、その他のものは選べばいい。


 そう宣言すると、【赤い悪魔】は鞄から紙を取り出して名前を読み上げ始めましたわ。

 するとどうでしょう。

 名前を呼ばれた人間たちが、まるで夢から覚めたかのように泣き出したのです。

 そして、帰りたいと訴え始めました。


 まったくもって意味が解りません。

 自分だけが幸せになることの何がいけないのか。

 何故他人のことまで考えなければならないのか。


 帰ったところで誰かに利用されるだけ。押し付けられるだけ。嫌な思いをするだけだと言うのに、何故そこで心が動くのか。


 中にはそれでも帰りたくないと抵抗するものもおりました。

 ですが、そんな相手に【赤い悪魔】は、鞄から注射器を取り出して言いました。


 ――言ったでしょ? リストに入っているものの答えは聞いていないと。抵抗するならこの毒を打って引き摺り出す。

 ――毒を飲まないと言うのなら、力づくでその手足を折って、自由を奪った後に引き摺り出す。

 ――嘘だと思うのなら試してみればいい。私は『ハンター』。受けた依頼は必ずこなす。

 ――さあ、どうやって帰るか選びなさい。


「あ、悪魔か……」


 と、誰かが呟きました。

 まったくもってその通りだと思います。

 弱者の気持ちが分からぬ強者の発言。

 あれこそが、人々を苦しめるものだと言うのに、人々は、一人また一人と立ち上がると、【赤い悪魔】と供に帰ることを選びました。


 ――聞こえているなら開けなさい。


 苛立ち交じりの命令に、見えて居なはずだと思いながらもワタクシはびくりとしました。

 残念ながら、ワタクシは荒事に特化した妖魔ではありませんの。

 癒しに取り込めないのであれば、従うしかありません。


 ワタクシは出口を作ってドアを開けました。

 こんな危険分子はさっさと捨てるに限りますわ。


 それでも、何人かは留まった人々がおりました。

 その人間たちは、まるで親に置いて行かれた幼子のように、今にも泣きそうな顔をしておりました。

 おそらく、名前を読み上げられなかったことで、自分を救ってほしいと願うものが居なかったのだと思い知らされたからでしょう。


 ワタクシは、その者たちの前に再び姿を現して促します。


『さあ、嫌なことは全て忘れて癒されましょう。大丈夫です。誰が見捨てたとしてもワタクシは見捨てません。あなたたちは何も悪くはないのです。何を選ぶかは人それぞれ。生き方も人それぞれ。ワタクシは味方です。誰が見捨てようとも、ワタクシはあなた方と共に居ります。

 ですからさあ。お立ちになって。お部屋の中へ戻りましょうね』


 幼子に語り掛けるように促して、改めて生み出した部屋の中へと誘います。


 皆が全て部屋へと入るのを見届けて。

 ほっと息を吐いた次の瞬間でした。


『うっ』


 ワタクシは突如喉を塞がれたような感覚に喉を抑えて身を折りました。


『ぐっ』


 次に襲って来たのは、躰中を引き絞られるような痛み。


 一体ワタクシの身に何が起きたのかと焦ります。

 汗がダラダラと吹き出します。

 そのうちワタクシは、ワタクシの手が紫色に染まって行くのを目にしました。

悲鳴すら出ません。

 

 それどころか、どんどんどす黒く変色すると、パキリ、パキリとひびが入り始めます。

 言葉にならない恐怖がワタクシの心を締めあげました。


 こんな症状これまで見たことがありません。

 ワタクシの躰が崩れていきます。


 何故? 何故ワタクシが?

 黙っていられずのたうち回ります。

 そのさい、ワタクシは見つけたのです。


 出口を作ったその場所に突き刺さる注射器を。

 そして、ワタクシの躰同様、どす黒く変色し、ボロボロと壁面が崩れていく様を。


 お陰でワタクシは察しました。

 全ては【赤い悪魔】の置き土産だと。


 ワタクシは生まれてこの方味わったことのない怒りを覚えました。

 大人しく返してやったと言うのにこの仕打ち、絶対に、絶対に、復活した暁には、あなたを取り殺してやると硬く心に誓って。

 ワタクシは、ありったけの憎しみと怒りを込めて、【赤い悪魔】!! と叫んで消え去りました。


               ◆◇◆


 ボロボロと姿を崩す『癒しの館』を見上げながら、【赤い悪魔】と恐れられている妖魔ハンターは、「ふん」と一つ鼻を鳴らして、迎えの馬車で手招きしている同僚の元へと帰って行った。その際、名残惜しそうな顔を見たものは誰一人としていなかった。

                                                                             『完』

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【赤い悪魔】 橘紫綺 @tatibana

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