第2話『赤い悪魔』

 念のためにドア窓から外を伺い見ると、そこには黒と銀色の二つの大きな兎のぬいぐるみを抱いた赤いずきんの女の子が立っていました。

 あらあらあらあら。こんな小さな子が一体何をそんなに追い詰められていたのかしら。

 本来子供は生き生きと、自由に何でも好きなことを体験して、生きることを楽しまなければならないはずなのに。

 なんとも由々しき事態ですわ。

 嘆かわしいことですわ。

 必死に縋るように二つのぬいぐるみを抱きしめている姿が、ワタクシの胸も締め付けます。

 さあさあさ。もう辛いこととはおさらばですわよ。

 ワタクシの館に招かれれば、もう辛いことと対峙する必要は皆無。

 おいでなさい。おいでなさい。永久の楽園へ。

 ドアを開ければ、女の子は辺りを伺うようにして恐る恐る一歩を踏み出しました。


「ようこそいらっしゃいました。ここでは誰もが癒しを飽きるまで体験できますよ」


 姿を現して出迎えれば、流石に女の子も驚いたように足を止めます。

 ですが、ワタクシがニコリと微笑み促せば、素直に後を付いて来ます。


 女の子がきょろきょろと通路の両側に並ぶドアを気にしていることは背中越しにも伝わってきます。

 さて。今女の子にはこの館のこの廊下はどういう風に見えているのかしら?


 ええ。ここは少し特殊な術が施されていて、館の内部そのものが、訪れた人々の望んだ姿で見えるのです。

 招き入れた瞬間から、己の夢見た世界だと知れたら、次第に人々の強張り翳った表情は、生まれ変わったかのようにキラキラとしたものになるのです。


 それを見るだけで私は幸せ。

 ですから、完全に油断しておりましたの。

 まさかその女の子が、


「さ、ここがあなたのお部屋ですよ」


 振り向いた瞬間。ワタクシに向かって猟銃を打ち放つとは、夢にも思っていませんでした。


 ガウン!!


 至近距離で容赦なく猟銃が火を噴きました。

 躱せたことは殆ど奇跡と言っても過言ではありません。

 ワタクシは無様に尻もちをついて、信じられないものを見たといわんばかりに女の子を見ました。


 女の子は、入って来た時の弱弱しさや初々しさなど微塵も感じさせない、恐ろしく冷たい眼で私を見下ろしていました。


 まったく理解が出来ませんでした。

 だって、この屋敷はワタクシの絶対的な聖域。

 そんな場所に、ワタクシを攻撃できる武器など持ち込めるはずがないのです。

 

 ですが、『っち』と女の子は忌々しげに舌打ちを、再び銃口をワタクシに向けました。

 直後、ワタクシの頭の中に蘇ったのは、【赤い悪魔】の話でした。


 どうして気付かなかったのでしょう?

 赤い頭巾をかぶった、女の子が【赤い悪魔】だと。

 どうしてその容姿などをきちんと聞いて置かなかったのでしょう。


 だって、誰もわざわざそんなものを――【妖魔ハンター】を引き入れるわけがありませんもの。と言うか、


「どうしてワタクシの館にあなたが入り込めたのですか?!」


 ワタクシの館には、心から疲弊し、癒しを求めるものしかやって来ることも、辿り着くことも、入り込むことも出来ないのですから。

 仮に、妖魔ハンターと言えども、条件に当てはまるものがここを訪れれば、瞬く間にこの館の虜となり、屋敷に取り込まれ、ワタクシの養分となるのですから。


 それなのに、【赤い悪魔】は微塵も取り込まれた様子もなく、まっすぐワタクシを見下ろして銃口を向けました。


 ワタクシは、逃げました。

 猟銃が火を噴きました。

 弄んでいるのか、狙いが甘いのか、銃弾はワタクシに当たることなく明後日の方向へ向かいます。


 まったくもって意味が解りません。

 ですが、ひとまずは身の安全を確保することが大切です。

 ワタクシは、逃げの一手に徹しました。


              ◆◇◆



【赤い悪魔】は恐ろしくしつこい存在でした。

 どこまでもどこまで追って来ます。

 

 これまでも、何故か唐突に我に返って【癒しの館】から逃げ出そうとしたものがおりました。

 それですら正直正気を疑ったものですが、残念ながらワタクシは一度飲み込んだものを吐き出す趣味はございませんの。

 ですから、逃げ出したものを捕獲するための罠を何重にも仕掛けておりますの。


 ですが【赤い悪魔】はその尽くを潜り抜け、ワタクシを追って来ます。

 正直、命が一度や二度。三度ほど失われました。

 ワタクシが妖魔でなければ、三度も滅ぼされているということです。

 

 ここ数十年で初めてのことです。

 一体あのハンターは何なのですか?!


 一体何故ワタクシが責められなければならないのか。

 ワタクシは人間のためにこの館を作り出したというのに――


 いいえ。この館とワタクシを生み出したのは、むしろ人間たちだと言うのに!

 ワタクシは人間の願いによって生み出されて、人間のためにこの館を管理しているというのに、どうしてワタクシがハンターに命を(狙われたところで本当に滅ぶことがないのが妖魔と言う存在ですけれど)狙われなければならないのか。


 死なないからと言って、恐怖や痛みを感じないわけではありませんのよ?!

 まったくもって忌々しい。

 このままでは、せっかく貯めた命の予備まで使いかねません。


 ワタクシは意識を集中して【赤い悪魔】を仕留めに掛かります。

 いくら強いハンターだと言っても、所詮は人間。

 この館に辿り着き、足を踏み入れられたということは、心の中では追い詰められて癒しを求めていたということ。

 ならば、振りほどけぬほどの癒しをバラまくのみ!!


 ワタクシは、【赤い悪魔】が初めに抱きしめていた兎のぬいぐるみを参考に、ぬいぐるみの間と兎の間を出現させます。


 するとどうでしょう。

【赤い悪魔】の動きが鈍りました。

 後はその隙を逃さず、一気に捕らえに掛かります。


 兎たちが【赤い悪魔】の両手足を抑え、モフモフのぬいぐるみたちが【赤い悪魔】から武器を取り上げます。

【赤い悪魔】は忌々しげな顔をしますが、瞳を潤ませた兎たちを振りほどくことが出来ずに、葛藤を滲ませます。


 その隙に、ワタクシは体力と妖力を補充するために貯蔵庫へ向かいます。

 そこには、癒されたままこの館に飲み込まれ、ワタクシの原動力となった人々の幸せいっぱいの魂が貯蔵されているのです。


 ですが、そこで待ち受けていたのは、


 ガウン!


 猟銃を構えた【赤い悪魔】でした。


 ◆


 銃弾は、ワタクシの顔の左をごっそり奪って行きました。

 ワタクシの躰を形作っているものは、この館と同じもの。

 これまでこの館に救いを求めて来た人間の魂によってできているのです。

 その躰が欠損すると、すかさず修復が始まります。


 ワタクシは、踵を返して逃げました。

 猟銃が次々とワタクシを貫いていきますが、その度に館がワタクシを修復します。


 その度に所蔵庫からは魂が消えて、それすらなくなれば館そのものを使ってワタクシを修復します。


 妖魔は死にません。

 ですが、館を形成できなくなると、一時消えることになります。


 そこまで考えて、ワタクシは【赤い悪魔】の狙いを知りました。

 ワタクシを、この館を、一時的にでも消し去ろうとしているということを。


 一度でも完全に消えてしまえば、復活するまでに時が掛かります。

 そうなれば、癒しを求めて苦しんでいる人々が路頭に迷うことになります。


 それは何としてでも回避しなければなりません。

 ワタクシは、背に腹は代えられぬとばかりに奥の手を使うことにしました。


 気配だけで、【赤い悪魔】がワタクシを猟銃で狙っていることは分かります。

 故に、ワタクシは走り抜け様に部屋のドアを開け放って行きました。


 途端に背後で上がるのは、突如癒しが消え去り、夢の時間が終わってしまった人間たちの戸惑いの声。

 そう。ワタクシは今囲っている人間たちを解放することで、戦略的撤退をすることにしたのです。


【赤い悪魔】の狙いは、ワタクシたち妖魔に捕らえられた人間を助け出すこと。

 だとすれば、今捕らえている人間を解放すれば、見捨てることも出来ずに助けるはず。


 ワタクシは断腸の思い……と言うのかしら? そのぐらいの思いで、突如癒しを奪われて戸惑う人々に心で詫びて逃げました。

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