【赤い悪魔】
橘紫綺
第1話『癒しの館』
赤い悪魔がやって来る
世界を壊しにやって来る
赤い悪魔を入れてはいけない
赤い悪魔と出逢っちゃいけない
もしも赤い悪魔と出逢ったら――
◆◇◆
「ああ、癒される~。もう仕事なんて行きたくない」
「無能な上司の尻拭いなんてもうやりたくない。俺はこの推したちに囲まれて生きて行く~」
「手のかかる旦那や口うるさい姑や生意気な子供たちなんか放っておいて、ここで幸せに暮らしたい」
「もう学校になんか行かない。僕をイジメる連中も、見て見ぬ振りする先生とも会いたくないからここにいる」
「借金なんて知るか! 仕事するために必要な道具を買うために借金して、その借金返すためにまた金借りて。遊ぶことなく働き詰めでも返しきれなくて。俺は借金を返すために人生過ごしてるじゃない! 癒されたっていいじゃないか!!」
ガチャリ、ガチャリと、ずらりと並ぶドアを開けて、中の様子を見て歩く。
一部屋に一人ずつ。
ベッド一つ分の広さしかありませんけれど、老若男女問わず、誰一人として不平不満を訴える人は見かけません。
だって、それだけあればことは足りるのですもの。
ふふふ。
人の世は、生き苦しいもの。
いつもどこかで我慢我慢。
お姉ちゃんだから、お兄ちゃんだからと我慢させられ。
男だから。女だからと我慢させられ。
夫だから、妻だからと我慢させられ。
若いから。年寄りだから。勉強だから、勝つためだから。仕事だから、部下なんだから。
嫁なんだから、婿なんだから。子供だから。大人だから。だから。だから。だから。
人と人が顔を合わせれば、常にそこには我慢が生まれます。
自分を殺す。殺して殺して殺しまくれば、やがて心が死んで逝く。
それはあまりにも気の毒なこと。
ですからワタクシ、決めましたの。
そんな辛い皆々様を救って差し上げることを。
人には癒しが必要なのです。
綺麗なものを愛でるのでも良い。
美味しいものを食べまくるのでも良い。
美しい音色を聞き続けても。
見目麗しい若人たちを侍らせて好き勝手するのでも。
モフモフの獣たちに癒されるでも。
とにかく何でも、辛い現実から逃避できる癒しは必要なのです。
ですが、日常生活において、どれだけの人がその癒しを十分に満喫していることでしょう。
朝起きて、食事を取り、仕事に行き、帰ってくれば家族が居る。
寝ても覚めても、人と人が顔を合わせればそこに役目が生まれます。
役目が生まれれば、こなすための我慢も生まれます。
人が真に癒しを満喫するためには、一人になる必要がどうしてもあるのです。
癒しを公言している人もいるでしょう。
ですが、中には癒しを公言できない人もおります。
できない理由は人それぞれでございましょう。
モノがモノだけに。
コトがコトだけに。
公になれば、世間的に抹消されかねないモノやコトを癒しとして求めている方々もおられましょう。
だからこそ、この『癒しの館』を訪れる人は後を絶たないのです。
ここにいる限り、誰の目も気にせずに好きなだけ癒されることが出来るのですから。
ええ。それこそ一生を終えるまで、癒しの中で生き続けることが出来るのです。
他人の顔色を窺って、他人のために自分を殺して生きることに一体何の意味があるのでしょうか?
所詮人は独りで生まれて独りで死ぬのです。
いくら他人のために心を砕いたところで、その心は正確には相手に伝わることはありません。
努力をしたところで、必ずしも実るわけでもなく。
正しいことをしたところで、必ずしも認められるでもなく。
小汚い手を使うものが、卑怯なものや狡いものが、あっさりと利を奪って行く世の中です。
我慢をしたものが報われるのであれば、誰もが忍んで耐えて生きて行くことでしょう。
自由奔放に我慢をしないものが損をして惨めな思いをするのであれば、誰もがああはなるまいと自分を諫めることでしょう。
ですが、蓋を開ければ『やったもん勝ち』と言うのでしょうか?
我慢をしているものの方がバカを見るのです。
それをまざまざと見せつけられて、それでも自分のために相手のことなんざ知ったことかと切り捨てられない優しい人間たちが苦しむのは大間違いだと思うのです。
ですからワタクシは用意したのです。
ずっとずっと我慢を強いられて来た人たちが、己のためにだけ生きられる場所を。
この癒しの空間を。
初めは思い詰めて今にも死にそうな顔をしていた方も、我慢の限界が来て怒り心頭だった方も、世の中に絶望していた方も、無気力になっていた方も、今ではすっかり幸福に満ち足りた顔で、子供のような心からの笑顔を浮かべて楽しんでいるのです。
その姿を見ているだけで、幸せオーラを発しているのを見ているだけで、ワタクシの心も癒されると言うもの。
何てワタクシは素晴らしい存在なのでしょう。
これほどまでに人々に感謝される存在もないのではないかしら?
だからこそ、部屋に空きが出来ればすぐに次のお客様をお招きしなければなりませんの。
だって皆さま、順番待ちをなさっているのですもの。
誰だって早く幸せになりたいですわよね?
嫌なものを見ずに生きて行きたいですわよね?
余計なことに心を煩わせたくはないですわよね?
ですから、寝食を忘れるほどに癒された方が、文字通り『死ぬまで』癒された後は、速やかに迎えに行ってあげなければなりませんの。
だってそれがワタクシの義務ですから。
でも先日、ワタクシと似たような運営方法をしていた館が、ある筋から襲撃を受けたとの情報を得たのです。
まったく嘆かわしいことこの上ないのですわ。
こちらはむしろ、疲れ果てた人々を救済して差し上げているのですから、ワタクシたちを襲撃する前に、世の中をどうにかして欲しいものです。
ピンポーン
あら? これは新しいお客様のご来店の合図。
こうしてはいられません。早くお出迎えをしなければ。
今回はどのような癒しをお求めのお客様かしら。
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