第96話 【Mission on the Tokyo Bay 2】

#23:30。


万九郎は今、佳菜の客室にいます。


今日の活動結果を、報告するためです。


広くて贅沢な佳菜の客室には、佳菜と万九郎、それにサングラス2人がいるだけです。


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「それで、その女性が、この階より下に行くのは、万九郎でも危険だと言ったのね」


「そうだ。俺は、明子に悪意を感じなかったから、明日は彼女と一緒に、下の方の階に行こうと思っている」


「その女性は、Enlightenmentと万九郎、それにアスカのことを、知っていたのね?」


「ああ。だが、それ以上のことは、分からない。彼女のプライバシーについて、詮索するのも失礼に当たると思っている」


「万九郎が、一度見ただけで、そこまで信頼する女性に興味があるわ。明日、その人の客室に行くときに、私も同行します」


「いいのか?佳菜は、今回のミッションの依頼主で、俺のボスだ。大将は、前線には出ないのが鉄則じゃないのか?」


「サングラスたちからの報告を見たけど、ここまでの階は、あなたの言った通りだったわ」


「下の階に行ったサングラスは、いないのか?」


「あなたの報告を聞いて、Go、NGを決める予定だったの。サングラス部隊には、お金がかかってるのよ」


そう言えば、そうでした。


「万九郎でさえ、単身で危ないというのが本当なら、計画を練り直す必要があるわ」


「だから、その女性に私自身が会うのが、重要なの」


「分かった」


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1月5日。

15:00。


万九郎と佳菜は、明子の船室の前にいます。


「ここだ」


「贅沢なドアね」


「佳菜の船室のドアは、割とシンプルだからな」


「サングラスたちが、ドアで立ち往生するようじゃ、無駄でしょ」


「そりゃそうだ」


明子の船室のドアには、押すべきブザーが、見当たりません。


「これは・・ノックすればいいのか?」


「さあ?」


2人が、短い会話を交わした時、ドアが音もなく開きました。


「万九郎と、もう1人は知らない女性ね。遠慮なく入ってちょうだい」


船室の中から、明子の声が、聞こえました。


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「失礼する」


「入らせてもらうわ」


万九郎と佳菜は、明子の客室の中に、入って行きました。


後ろで、ドアが音もなく閉まる気配がしました。


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明子の客室は、入ってすぐの部屋が、リビングになっています。


明子は、ゴージャスなソファーに、座っていました。


「いらっしゃい」


「おう」


「はじめまして。私は、松浦佳菜」


「はじめまして。私は、藍染明子よ」


佳菜と明子が、初めて、顔を合わせました。


「そちらのソファーに座って」


万九郎と佳菜は、言われた通りに。明子の対面にある長めのソファーに、腰を下ろしました。


(おっ)


座っても、お尻に圧力を感じません。


「こりゃ、いい」


「でしょ」


佳菜は特に、何も言いません。


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ソファーに座った後、少しの間、沈黙になりました。


佳菜と明子が、互いをじっと見ています。


万九郎は、何も言うことが、できません。


「昨晩、調べさせたのだけど、『藍染明子』という人は、日本のどの自治体にも、住民として登録されていませんでした」


佳菜が、沈黙を破りました。


「万九郎が帰ったのは、かなり遅い時間だったはずだけど」


「私なら、どうとでも、できることです」


「あなたは、アスカほど完璧じゃないけど、万九郎のボスになるだけの器なのね」


「素性がはっきりしない方と、万九郎を組ませることは、できません」


佳菜が、ズバリと言いました。


「そのうち、適当な自治体に登録するつもりだったのよ。この船の状況が、思っていた以上に早く、酷く、悪くなっているから、それへの対処を優先していただけ」


「はっきり聞きます。あなたは、何者なのですか?なぜ、万九郎やアスカを、知っているのですか?」


「答えにくいことを、はっきりと聞くのね」


「万九郎は私にとって、替えの効かない手駒です。あなたの答え次第では、私の手下(テカ)の者たちは、万九郎を含め、撤収させます」


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少しの間、沈黙になりました。


明子の船室は、静音が効いており、静か過ぎて耳鳴りが聞こえるほどです。



「万九郎に帰られるのは、困るわ」


明子が、言いました。


「敵はおそらく、1~3階の非公開のデッキにいるわ。そこまでの階は全て、Enlightenmentの支配下にあり、万九郎と言えども人間であるため、一人で行けば誘惑に勝てず、破綻するでしょう」


「あなたは・・」


「明子でいいわ」


「では、私のことも佳菜と呼んで」


「分かったわ」


「それで、明子はEnlightenmentに、耐性があるの?」


「私は、人間に見えるでしょうけど、まだ完全には人間に、成り切れていないの。Enlightenmentは、人間に対してのみ、作用するようだから」


「人間に成り切れてない?」


「当然、魔物じゃないわよ」


「・・」


佳菜が、珍しく考え込んでいます。


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「万九郎の安全は、保証するのね?」


「私がするのは、万九郎が本来の能力を発揮できるように、手助けすること」


「分かったわ。だけど、私としても、かなり大掛かりなミッションを組んだ以上、敵を倒して終わりじゃ、十分ではないのよ」


「お金ね」


「ズバリ言うのね」


「この豪華客船は、大金持ちだけのカジノでもあるから、非公開デッキには膨大な資金の貯蔵があるはずだわ」


「私としては、事が決着を見た時に、直属の部下たちが、資金回収に行けないようじゃ、困っちゃうのよ」


「・・」


今度は、明子が考えています。


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「従業員専用のエレベーターなら、使えないことはないでしょう。従業員をEnlightenmentで汚染しても、船の運用に支障が出るだけだから」


明子が、言いました。


「それは私も考えたわ。だけど、それなりの数の部下を送り込むためには、この船の管理コンピューターをハックする必要があるのよ。万九郎、あなたはどう思う?」


「俺は、開発はともかくハッキングはやったことがない。持ち込んだ電子機器と言えばiPhoneだけだし、第一、この船で使われているOSすら知らないんだ。お手上げだよ」


「万九郎でも、無理なのね」


「ドクとミサトなら、何とかなると思う。以前、田平(タビラ)のドクの研究所に行ったことがあるんだが、主要国の衛星、防衛施設、金融機関などのサーバーやイントラネットに侵入して、重要なデータをダウンロードしまくっていたよ。ミサトによると、ドクと共同開発したハッキングツールを使えば、いかなるファイヤウォールも感知されずに突破して、全く痕跡を残さずにログアウトできるそうだ。研究所の資金も、少しはそれで賄ってるんだとさ」


「あのドクとミサトのコンビなら、驚かないわ。でも、2人とも今は、何か別のことに注力してるって話だから、協力してもらうのは、無理ね」


「つまり、この船の管理システムには、手を出せないってことね?」


「ええ。これは困ったわ。ミッションの収支が赤字なんて、私がわざわざ出張ってきた意味がない」


万九郎は、佳菜がいきなり「赤字」とか言い出して、内心「おいおい」と、少しだけ思いましたが、難しげな顔を、かろうじてキープしました。


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「今、万九郎に帰られたら、困るわ。私一人だと、かなり時間がかかるでしょうし、何より、最終的に勝たなければ意味がないの」


「勝ち負けの問題なの?」


「地球人同士でさえ、お互いの常識の違いから、戦争が絶えないでしょう。でも、地球で生まれ育ったからには、共有する最低限の常識があるわ」


「敵は、異星人なの?」


「厳密には違うけど、似たものと考えていいわ」


「まだ要領を得ないけど、サングラスたちには荷が重すぎるようね。サングラスたちは一部を除いて秘密裏に下船させ、クルーザーを調達させて、この豪華客船の周りで待機させます」


「私と万九郎に敵を排除させて、安全を確保してから、部下たちがクルーザーから乗船。十分な額の資金や、それに類するものを、クルーザーに搬送するというシナリオね」


「その通りよ。ミッションの成否は、明子と万九郎にかかっているの」


「万九郎が、私と一緒に来てくれるのなら、そちらの損得勘定は、どうでもいいわ」


「報酬は、要らないの?」


「この船で、もう十分に蓄えたわ。それに・・」


「それに?」


「私には、お金は問題じゃないの。良い魂が多く存在するところに居るのが、私の願いよ」


「そう言うのなら、なぜ、この船にいるんだ?」


万九郎が、言いました。


「万九郎。あなたとアスカを追って、地球に降りて来ていた時に、見つけたのよ。私より先に降りた、地球人とは異質な、暗い寒い悪意の存在を」


「それが、この船にいる敵なのか?」


「そうよ。私の能力は、今でも十全に回復していないの。だから、私一人では無理。万九郎が、必要なのよ」


「それで明子のことは、大体、把握したわ。私たちの敵の敵。それだけで、今は十分よ。万九郎、私は自分の船室に戻るわ。あとは・・、武運があらんことを」


「うん」


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佳菜とサングラス2名が、明子の船室から出て行きました。


「万九郎。今から下の階に行くけど、1日に1階ずつよ。場合によっては、1つの階に数日、かける場合もあると思うわ」


「明子がそう言うのなら、それに従う。だが・・」


「だが?」


「正直に言う。俺は、ギャンブルには、とても弱いんだ。学生時代に、住んでたボロアパートの近くにパチンコ屋があって、一度入ったことがあるんだが、ボロ負けだったよ。どうすれば勝てるとか、考える余地もなかった。必死で働いたバイト代が、たかだか30分でパァだ。アパートに最低限の金を残しておいたから何とかなったが、もうあんな目に会うのは、まっぴら御免だ」


「ギャンブルなんて、不正が当たり前でしょ。その頃の万九郎は、純粋だったのね」


明子が、微笑みながら、言いました。


「それと・・女には注意して」


「女?」


「これから向かう先には、とても魅力的な女性がたくさんいるわ。でも、皆が例外なく、多かれ少なかれ、Enlightenmentの支配下にあることを忘れないで」


「了解した」


「まあ、いかがわしいことが行われているのは、もっと下の方の階だから、あまり気張らないで。敵に察知されないように、あくまで自然体で動いて」


「ああ」


「それと、決して私から離れないでね」


「おう。それなら大丈夫だ。明子ほど魅力的な女は、ほかにはいないだろうから」


「そう、その調子」


「じゃあ、行くか」


「ええ」


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明子は、自分の客室を出ると、自分の左腕を万九郎の右腕に、絡ませてきました。


「離れないとは言ったが、ここまで密着する必要があるのか?」


「客室エリアから出たら、至るところに監視カメラが設置されているわ。万九郎は、この船では新顔で、しかも若い男でしょ。離れて歩いていると、万九郎が私に何か仕出かさないかって、却って監視カメラのモニター係の注意を引くわ。どうせ男がやっているのでしょうし」


「それもそうか」


万九郎は、明子と並んで、歩き始めました。


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第7デッキ「プロムナード」






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