黒き鏡の玉兎。

秋色

黒き鏡の玉兎。

「大丈夫なん?」


そう一言書かれたラインメッセージの下に呑気に心配しているような丸い顔のスタンプ。小絵はそれを病室で見た時イライラした。返事する体力も気力もなかった。タメイキが出る。職場のパートのおばちゃんからだ。それがコロナ療養一日目の夕方。



 そして療養二日目の病院の朝。



 とりあえずにと必要な物を入れてきた小旅行用のヴィトンのボストンバッグからロルバーンのロフト限定のスケジュール帳とペンを取り出す。必要な事を書いておかなくては。

 でも眼が痛くて頭も痛くて、何も書く事ができない。気分が悪くて身の回りの事等、もうどうでもいい。この手帳も旅行鞄も手に入れるのに苦労した物なのに、なぜか何の愛着も湧いてこないのだろう?

 これまで小絵は身につけるものには神経を使ってきた。高校から大学まで通っていたエスカレーター式の学院。そこは身に付けるものにこだわりを持つ学生が多く、ある意味スクールカーストというものがあったから。


 小絵はラッキーだった。父親が中途入社した会社で、親しくなった人がいて、家族ぐるみで親しく付き合うようになっていた。その家の長女は同じ学院の卒業生で、センスが抜群だった。そのお姉さんから色々とファッションやその他のアドバイスをもらえたおかげで、小絵は女子のスクールカーストの中でかろうじて真ん中あたりをさまよう事ができた。


 だから何か物を買う時にはいつもそのお姉さんがどういうふうに思うか意見をきいた。きけない時にはお姉さんならどう言うだろうかと考えた。これはなかなか有効な方法だった。


 ものを選ぶ時の基準として、出処の分からないもの、誰が作ったどこの会社のものか分からないものは買わないという鉄則があった。それは、買い物に失敗しないための基本のルールだった。


だけど……。昔は違った。子どもの頃は。


出処も何も分からず好きな物がたくさんあった。何だっただろう? コロナウイルス感染のためか、はっきりとは思い出せない。



混沌としながら二日目の夜を迎えた。





 その日の夢の中で、小絵は病室でなく、野原に置かれたベッドの上に横たわっていた。夜だけど、明るい月夜で、風が涼しくそよいでいる。ベッドの四方には、それぞれフワフワの白ウサギがいる。手を伸ばすと、そのフワフワとした温かいぬいぐるみのような可愛い生き物に触れた。そして抱きしめる。温かくて心地良い。他のウサギ達は、夜風に揺れるススキの間を楽しそうにピョンピョンと跳ねまわっていた。見上げると深い紺色の空にはたくさんの星がきらめいている。何だかうれしくなって、夢の中で小絵はウサギとじゃれ合い、声に出して笑っていた。




 目が覚める。療養三日目の朝だった。昨日みた夢の続きがまだ頭の隅に残っていて、幸せな気分だった。


 あのウサギ達には遠い昔、どこかで会った気がした。学校の飼育小屋? 動物園? 絵本の中?


そして記憶の一つにヒットした。






 小絵は子どもの頃、田舎に住んでいた。父方の祖父母の家に小絵の家族は同居していたからだ。


 田舎の家の中は昭和の香りでいっぱいだった。和箪笥わだんす、ちゃぶ台、旅先で買った風景写真、そして昔ながらの水屋。


 この水屋の中には食器の他に、お客さんが来た時に、お茶やお菓子を運ぶためのお盆が入っていた。木目の入ったお盆の他に、黒くてピカピカしていて、中に線画のようなウサギの絵が入っているお盆があった。小絵はこのピカピカのお盆のウサギの絵がかわいくて大好きだった。だから年始など、お客さんがやって来てこのお盆が活躍する時期になるとウキウキした。でも本来はこれは九月の中秋の名月か、干支がうさぎ年の年始に使われる絵柄だと祖母は話していた。


 妹と一緒に、大人がいない時こっそり水屋の中のウサギのお盆を出す事もあった。妹がこのお盆に飽きて、縄跳びを持って庭に行ってしまった後も、小絵は飽きずにこのお盆を見つめていた。顔の前にかざすと、小絵自身の顔が鏡のように映っている。それが縁に沿って描かれているウサギの絵と一緒になって、まるで小絵がウサギ達に囲まれているように見えた。


「何か絵本の世界みたい」


 小絵のはお盆の中の世界に入り込んだような、優しく温かな気持ちになるのだった。


 自然に囲まれた田舎の生活は、ワクワクする事の連続で、毎日が楽しかった。

 妹も含め、いつも一緒に遊ぶ近所の子ども達のグループがあって、夕焼け小焼けのメロディーが公民館から聞こえてくるまで、外で遊んだ。

 その中には勉強はできないけどいつもみんなに頼られるリーダー格の男の子、同じく勉強はイマイチで体格は小さくて、でも絵の上手な女の子もいた。そして足が速くて擦り傷だらけでいつもみんなを笑わせるキャラの女の子、子ども向け百科事典を丸暗記していて、囲碁が得意な男の子もいた。小さな山を探検したり、魚釣りに来た人達に混ざってキラキラ光る川面を眺めたりして、毎日を過ごしていた。







 大好きな地方だったけど、小四の途中で引っ越した。みんなから寄せ書きをもらい、都会のマンションへと引っ越した。分校のような学校から都会の生徒数のひじょうに多い小学校へ。初めは戸惑いの連続だった。でもそんな環境にも馴染み、前に住んでた田舎にはいないようなフクザツな人間関係、たまには悪意のあったりする人間関係に馴れるでもなく、慣れてきた。前の小学校の友達とは手紙のやり取りを続けていた。友達からの手紙を郵便受けに見つけると、心がはずんだ。



 やがて高校生になると、田舎にいた頃の友達との手紙のやり取りもだんだんとフェードアウトしてきた。今の友達と過ごす日常の方が鮮やか過ぎたから。


 中学までは、祖父母の家を年に何回か訪れた際、昔の友達に会い、ずっと話し込んだり、遊んだものだった。でも十代後半になり、昔の友達に会う事もなくなった。会いたい反面、自分が、みんなの流れにもう合わないのではないかと心配だった。






「少し元気になったみたいね」

看護師さんが言う。


「はい、今日はだいぶ気分がいいです」


 確かに昨日までの頭痛は消え、そして昨日みた幸せな夢のおかげで少し元気になれた。


 まだ自分はあの牧歌的な世界にいた頃、お盆を鏡にしていた空想好きな少女時代とあまり変わっていない、そんな気がしていた。いや本当はそんなはずはないのに。




 大学を卒業して就職した会社では残業続きで苦労した。多忙な時期には、深夜近くに家に帰る事もある。慣れない仕事で取引先の人のクレームを受け、上司と謝りに行った事もある。


 同じ部署のパートのおばちゃんからはいつも辛口コメントを言われたり、かと思うと無責任な謎の励ましを受けたりした。


 おばちゃんはいつも謎の嫌味を混ぜて話す。この間も休憩中にイタリアンの話をしていて、小絵がカッペリーニの事を話してたら、「あんたはカッペリーニというよりカッペやん?」と一言。


 大人になるのは意外と大変だった。でも長い旅をしてきたつもりでも、実はそんなに遠い所までは来ていなかったという事もある。

 療養前に届いていた、田舎にいた頃の小学校の同窓会を知らせるハガキ。自分は引っ越したのでそこの卒業生でもなかったのに送ってくれていた。何日か前そのハガキを見た時には、行くのを躊躇していたけど。


――やっぱり行ってみようかな……――


郵便受けに手紙を見つけた時みたいな、希望に心がはずむ感覚を久しぶりに味わった。


「やらなかった後悔より、やった事の後悔をした方がマシ」


それはあのパートのおばちゃんから聞いた言葉だ。それで思い出した。


スマホである言葉の意味を調べる。



ラインのトークの画面を開く。この間のおばちゃんのスタンプには返事をしないままだった。


「だいぶ良くなりました!」と小絵は、メッセージを送った。


「ところでこの間、私の事、カッペって言ってたけど、あれって田舎者っていう意味ですか? いや怒ってるわけじゃなくてうれしいんです。そう見える方が」


そして『ありがとう』とスヌーピーとサリーが抱き合うスタンプを送った。


おばちゃんからはすぐに返事が来た。


「だいぶ良くなったんやね。良かった。カッペは確かに田舎者という意味やけど。なんでありがとうなん? 後遺症? だいじょうぶ?」


 そして呑気な丸顔のキャラクターが首を傾げて困ったポーズをしている、クエスチョンマーク付きスタンプが続けて送られてきた。



〈Fin〉




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黒き鏡の玉兎。 秋色 @autumn-hue

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