トンネルを掘ろう!

御角

トンネルを掘ろう!

 深い暗闇に覆われた、出口のない狭い世界。それが、僕らの生きる場所。


「どうだ、食料は見つかったか?」

「いや、もう氾濫した水で流されちまった後で、これだけしか……」


 この世界は僕らにとって、実に理不尽に出来ている。たび重なる洪水、いつ降ってくるともわからない食料。この一年だけでも多くの仲間が死に絶え、世界から消えていった。


「やっぱり、トンネルを掘るしか……それしか食料を得る道はない!」

「馬鹿な、トンネルは危険すぎる! どれだけの仲間が挑戦し、毒の洪水に絡め取られて死んでいったと思っているんだ!」

「でも! 今のままじゃ全員飢え死にしてしまうだけだ。誰かがやらなきゃ、僕らに生き残る道はないんだ」


 トンネル……それは昔、数多あまたの仲間が世界の出口を求めて掘り進め、結果、その多くを死に至らしめた魔境。そして唯一、洪水によって食料が流されない可能性のある場所だ。掘り進めれば掘り進めるほど、将来的に食料を得られる確率は上がっていく。


「僕は本気だよ、父さん。子供たちのためにも、トンネルを奥深くまで掘りまくって、そのついでに世界の出口だって見つけてみせる」

「……わかった。ならば人数がいるだろう。とりあえず、あるだけ食料を持ってくる。それで分身を作って挑みなさい」


 そう言って父さんは、かき集めた食べ物を僕に持たせてくれた。試しに一つ口に入れ、体に力を込めると、数秒で一人の分身を作り出すことに成功した。


「いいか、分身は増やせば増やすほど食料の消費も大きくなる。もし足りなくなりそうなら、トンネル内に放置された食料を補給物資として使うんだ。あそこは長年、誰も立ち入っていないから、きっと少しは流されたり持ち去られたりせずに残っているはずだ」

「ありがとう、父さん……。僕、絶対にこの食料は無駄にしない。必ずトンネルを掘り進めて、洪水が届かなくなるくらい深く掘れたら……そしたらみんなで、そこに住もう。二度と死ぬ危険のない場所で、ずっと一緒に暮らすんだ!」

「ああ、待っているぞ。息子よ……」


 こうして、僕の冒険は始まった。少し湿ったトンネル内に、僕は分身と二人で、そっと足を踏み入れる。


「よし、早速掘るぞ!」

「おう、もう一人の僕!」


 トン、カン、トン。一見、堅そうな目の前の壁も、二人でやれば効率がいい。補給物資を拾いつつ、分身を少しずつ増やして更にスピードを上げる。四人、八人、十六人……いつの間にか僕の周りには、小隊が編成できそうなほど多くの分身が出来上がっていた。トンネルもそれにつれて、どんどん長く、深くなっていく。


「よし、この調子で行けば……」


 そう独りごちた、まさにその時だった。


「うわあああ!」


 不意に後ろの方で、十六番目の分身が悲鳴を上げる。


「ヒッ……流される、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だぁ!」


 次いで十番目、十四番目が「死にたくない」と繰り返し呟きながら、寄せては返す波に呑まれていった。あれが、毒の洪水……。


「おい、何をボケっとしてるんだ、もう一人の僕! 掘り進めないとこのままアレに足を取られて全滅するぞ!」

「ハッ……そうだ、今はとにかく掘り進めなくちゃ!」


 足元に転がる補給物資を必死で口に含ませ、僕らは壁をひたすらに穿うがち続ける。一人、また一人と流され、気がつけば分身は当初の半分である八人のみとなっていた。

 命からがら窮地を脱した僕らは互いの無事を確認し合い、束の間の安息をしみじみと噛みしめる。そして流されてしまった自分自身に追悼の意を込めて、泣きながら祈りを捧げた。


「さあ、もう少し頑張ろう。流されてしまった僕のためにも、必ずユートピアを見つけるんだ!」


 僕らは自分とそっくり同じ顔をそれぞれ見合って、その固い意思を確かめるように力強く頷き合った。


 その後も僕らは掘っては死に、また分身を増やしては掘ってを繰り返す。永遠に続くかと思われたそのループは、突然上がった一声によって、意外にも呆気なく終わりを告げた。


「おい、見ろ! 穴だ、出口だ!」


 五番目が指すその方向には、確かに穴が空いていた。立ち塞がる壁に開けられた、針穴ほどの小さなほころび。しかしそれは、僕らにとって長年夢見た、希望の象徴だった。


「やった、やったぞ! みんな……」


 僕は喜びのあまり勢いよく振り返る。だが、そこにいたのは倒れ伏し、今にもこと切れそうな分身たちだった。


「おい、どうした! ……まさか、食料が?」


 慌てて懐を探るが、父から貰ったなけなしのパンも、道中で拾った補給物資も、もう使い果たしてしまっていた。かくいう僕も、飢え死に寸前で今にも眠ってしまいそうだ。


「クソッ、ここまで、やっとここまで来たのに……!」

「なあ、もう一人の僕」


 掠れた声で、二番目がうわ言のように僕に話しかける。


「実はな……洪水で危うく流されそうになった時、わらをも掴む思いでこいつにすがって何とか助かったんだ。だから本当はお守りとして食べるのを躊躇ちゅうちょしていたんだが……」


 そう言って二番目は僕の手に、小さな食料を乗せてそっと握らせた。


「お前にやるよ。必ず、生きて……それで、出口の向こうを、見届けてくれ……よ……」

「おい、二番目、二番目ぇー!」


 喉を枯らすほど叫んでも、返事はもう二度と、僕の耳には届かない。


「ああ、約束する……。絶対に、僕は、最後の最後まで諦めない!」


 託された最後の食料は、少しだけ涙の味がした。


 かろうじて生き延びた僕は、たった一人で壁を削り続ける。分身を増やす余裕はもうない。それでも、決して手を止めることなく掘り続け、出口に通じる穴はようやく、僕と同じくらいの大きさまで広がった。


「出口だ……。ついに、世界の出口を見つけたんだ、この僕が……!」


 穴を慎重に通り抜け、広がる景色を一望する。頭上からは所々枝分かれした紐のようなものがぶら下がっており、それは時々震えながら、下の広い空間へとどこまでも続いていた。

 試しにその奇怪な紐に触れてみる。すると、その紐は暴れ馬のように一層大きく震え、まるで僕の手から逃れようとしているみたいだった。


「きっとここまでは洪水もこない。この下に広がる空間、これこそが僕らのユートピアだ!」


 さあ、家族のもとに戻ろう。そう思った瞬間だった。

 突如とつじょ、地面が揺れ始め、辺りに轟音ごうおんが鳴り響く。


「ま、まずい! このままじゃトンネルが崩れる……いや、それ以前に帰れなくなってしまう!」


 僕は慌てて来た道を引き返す。視界を次々とよぎる分身たちの死体。しかし、それらを持ち帰る時間すら、残されてはいない。


 段々とトンネルが広く開けて、元の世界が見えてくる。あと少し、あと少しで、家族に……。


「なっ!?」


 トンネルの外に出た拍子に何かに足を取られ、僕は思いっきり、濡れた地面へと顔面を打ちつけた。足元に転がっていたのは……父の、死体だった。


「な、なん、で……」


 父だけではない。おもむろに顔を上げると、僕の可愛い子供たちも、一緒に過ごして来た仲間も、みんなみんな、息をしてはいなかった。


 再び地面が揺れ、いつも以上に激しい洪水が、僕らのしかばねを洗い流す。

 ——ギュイィーン。金属音が、僕らの努力の結晶を、無惨にも引き裂いていく。

 僕が最期に見たもの……それは、眼前に迫る大きな天敵と、崩れゆくトンネルが散らした一欠片ひとかけらの残骸、そして、物陰から涙目でこちらを伺う末っ子の姿だった。

 ああ、一人、たった一人生き残ってくれたならそれでいい。どうか、僕らが成し得なかった理想郷を、お前の手で叶えてくれ。

 一縷いちるの望みをその子供に託して、僕はたった今、「外の世界天国」へと旅立った。



「はい、終わりましたよー。神経までいってたのでしっかり削って、詰め物しておきましたから。何ヶ月かに一回はちゃんと定期的に受診して、状態をチェックしてくださいね」

「ふぁい……すみません。痛た……」

「あ、そうだ。これ、歯ブラシ、よろしかったらどうぞ。あと抗生物質出しときますんで、受付で貰って帰ってくださいね」

「はい、ありがとうございました……痛ぇ」


 僕らの戦いは、まだまだ始まったばかりである。

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