予告

夏の音調

 ちりんちりん、と。

 どこかで風鈴の音がした。


 だれかに呼ばれた気がして、背後を振り返った。

 だれもいない、ただ木の葉の隙間から日を注ぐだけの道が続いていた。ずいぶん向こうに、のんびりと歩く老人の背中があるだけで、近くにヒトの気配はない。

 しゃわしゃわ、夏の音が世界を満たしていた。アスファルトに浮かぶ影模様はそよ風に揺れ、気持ち涼しげな空気を運んでくれる。

 朝十時の鐘の音、あるいは季節の到来。何にせよ、呼び声の主を捉えることはできず。

 視線を横にずらすと、土手を降りていった先に川が流れていた。日差しを受けてきらきらと光を反射している。向こう岸は河原になっているため、小学生の集団が水を巻き上げ騒がしい。

 私はそんな光景に目を細め、踵を返した。


 ちりんちりん、と。

 どこかで風鈴の音がした。


 軽い、けれどとても記憶に残りやすい音色だ。夏の暑さを爽やかにさらっていく。

 運んだ一歩を緩めて、すこしでも聞いてみたかった。縁側か、玄関先か。風流を好む家庭がちかくにあるみたい。

 そのガラスは、いったいどんな柄をしているのだろう。曇りを知らない透明の向こう、ゆらり揺られる舌と短尺。瞳を閉じ感じれば、離れても音色は風に運ばれてくる。

 ああ、でもちょっと風がつよいかも。

 私はいつもみたいに大きい帽子をかぶり、髪をおさえた。日差しも遮ってくれるあたり、やはりつばの大きい魔女帽子は夏にぴったりかもしれない。

 世間の人々が身につけるのはハロウィンくらいだから、季節外れも甚だしいけれど。

 まぁ、そんなことはどうでもいい。私にとって重要なのは、とても些細で簡単だ。


「……ん、く――」


 炭酸で喉を潤し、帽子の中にしまい込む。

 懐から懐中時計を取り出して、針の運びを睨め付ける。

 あと数分で、彼に会える。自然、足取りも軽くなる。

 私は柄にもなく、胸を躍らせていた。


 ちりんちりん、と。

 どこかで風鈴の音がした。

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ガラスの魔女は復活できない。Ⅱ 九日晴一 @Kokonoka_hrkz

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