ワープロ彼女

詩人

Title:ワープロ彼女

 ワープロ彼女、という言葉がある。


 パソコン、或いはスマホのSNSアプリのアカウントの中に男性──に限らず女性も時々──からダイレクトメッセージが届き、そのお客さんが思い描く「理想の彼女像」を私が文章上のみで演じるサービス。それを人は「ワープロ彼女」と呼称する。

 それは金銭の授受が発生する、れっきとしたビジネスであり、割とサービスとしてはメジャーである。


 昔から小説や漫画、アニメなどで様々な個性的なキャラクターに触れ、憧れていたからこのサービスは私にとって都合が良かった。大学生になってから何かアルバイトをしようと思っていたが、自分のなりたいものになれる上に文章力も磨ける、そして結構いい稼ぎになるので入学と同時にアカウントを開設した。


 今では五人のお客さんの「彼女」を同時並行して演じている。お客さんからのメッセージは一回の利用につき50レスポンスと決まっているから、お客さんは目まぐるしく交替してしていくが、大抵同時に五人ほどだ。


 大学に行きつつ、家に帰ったら画面にくぎ付け。同棲している本当の彼氏である裕太《ゆうた》には申し訳ないとは思いつつ、「ワープロ彼女」のことは未だに言い出せずにいる。お客さんに、私が本当の彼氏がいることなんて言うようなことは勿論ないが、祐太にはどうしても申し訳なくて言い出せない。


涼夏すずか、今日の夜はご飯行ける?』

「んー、いいよ。行こっか」


 祐太から晩ご飯の申し出を二つ返事で返し、やはり画面にくぎ付けになってしまう。祐太とは高校時代からの同級生で、気ごころ知れた仲だとは思っているが、その一言で許されるとは思っていない。


 祐太は優しいを具現化したような人間で、こちらが困惑してしまうほどの「人畜無害」である。変な表現だなと思うけれど、人生で一度も骨折をしたことがなさそうな、そんな人間だ。その優しさに甘えてしまうのが、今の私のダメなところ。


『あのさ、涼夏』


 キーボードを叩く音が、二人の空間に響き渡る。


「なーにー?」

『パソコンさ、何してんの』


 自分のパソコンの画面は見られていないはずなのに、なんだか覗かれている気がして祐太をじっと凝視した。彼の表情がいつも通り柔和であったが、少しだけ、ほんのちょっと寂しげでもあった。


「べ、別に。卒論の準備もうすぐしなきゃなーって思ってるだけ」


 私は嘘が苦手だ。というかそもそも祐太以外の人と対面して話すこと自体が苦手なのだ。だから「ワープロ彼女」を始めたのであり、当然今の咄嗟に吐いた嘘も祐太には見透かされてしまったに違いない。


 バレるのか──? もしバレたら祐太、絶対傷ついちゃう。


『最近なんかずっとパソコンの画面にくぎ付けじゃない? まあ僕が言うのはあれだけどさ』


 祐太がパソコンをずっと触っているのには正当な理由がある。私と同等に扱われて良いわけがない。いよいよ本格的に罪悪感が私を襲った。罪が軽くなるわけではないけれど、祐太に先に知られる前に私の方から「ワープロ彼女」のことは言おう。

 もし祐太が何かの拍子に知ってしまったら、精神的な負担が大きくかかる可能性があるから。嫌われることを覚悟で、私は晩ご飯の時に言おうと決意した。


「やっぱり晩ご飯は家で食べない? 私が作るよ」


 祐太は驚いたような表情を浮かべたが、すぐにいつもの笑顔になってくれた。それだけで安心してしまえるほど、彼の笑顔は素敵。何かの一番になったことはない彼だけど、私の一番であることは間違いない。「ワープロ彼女」も、もう辞めよう。私も祐太みたいにちゃんと生きるんだ。


 決意を新たにしたところで、私の罪が拭われるなんて都合の良いことはない。

 夕食を囲むテーブル、私と祐太の間五十センチに重い沈黙が流れる。十秒ほどにも思えたし、もっと長くも感じた。実際にその時間は分からないけど、怪しく不可解な雰囲気が流れていることは紛れもなく事実だ。


「あのさ」


 沈黙に耐えられなかったのか、私の口が勝手に話し始めた。


「私ね実は、『ワープロ彼女』ってサービスしてて、そこでお客さんの望み通りの彼女になりきってチャットをしてたの。今まで隠してて、ごめん」

『いつからそれ、やってたの?』

「大学入ってすぐ。私がスマホとかパソコンばっかり見てたのはそのせいだったんだ」

『そっか。じゃあ僕は二年間も騙されてきたんだね』


 祐太の表情が明らかに陰った。思わず私は、飲もうと口に近付けていたコップを滑らせて床に落としてしまった。

 ガラスは割れ、破片が床に散乱する。慌てて掃除しようと席を立ったが、──ただならぬ気配を察して結局そのまま座った。もう私はその場から動くことが出来なくなってしまった。


 この得体の知れない恐怖感は何なのか。

 怖い。怖いよ、助けて祐太。

 もしかして、祐太、アンタが──


『そう言ったら嘘になっちゃうか。実は結構前から気付いてたよ。涼夏って色んなキャラになれるんだね。僕には見せたことない、クール系とかお嬢様系とかね(笑)』

「ほ、本当に申し訳ないって思ってて……あれだって全部演技だから、アンタしか好きって思ってないの!」


 もう私の言葉は、彼には届かない。偽りの言葉に聞こえてしまうから。


『-hfgん03えdw。き』

「え、ちょっと、祐太……?」

『蜷帙?驕輔≧縺ョ?』

「祐──」


 祐太は、声にならない叫びを上げた。

 いいや、違う。


 祐太の叫びは、


 本能が身の危険を察知し、椅子から崩れ落ちた。当然床にはガラスの破片。あまりの痛みに私は悶絶した。

 祐太が私の元へ寄って来る。だけどその目は殺意に満ちていて、私は逃げたいのに痛みで体が動かなかった。

 大々的にニュースに取り上げられて、お茶の間のネタにされるんだろうな。見出しは「女子大生 同棲中の男子大学生に刺されて死亡」だろう。


 ──しかし、予想に反して祐太はすぐに私の傷を手当てしてくれた。それは私にとっては意味の分からない行動で、困惑したまま再び椅子に座るよう促された。

 祐太は、をカタカタと叩いた。着脱式のタブレットに文字が映し出される。文字を創るアイテム。喩えではなく、本当にワープロの画面だ。


『驚かせてごめん。涼夏に僕の昔の話、したことなかったよね』


 祐太の昔の話。今の彼がどういう状況なのかは理解しているが、どうしてそうなってしまったかは知らなかった。聞けなかった、というのが正しいかもしれない。


『僕が失声症になったのは、大学に入るちょっと前、高校を卒業してから。その時に実はお姉ちゃんが仕事のストレスで首吊っちゃって、現場を一番最初に発見したのが僕だったんだ。それでめちゃくちゃ精神的に病んで、声が出せなくなっちゃったんだ』


 祐太は声が思うように出せない、失声症を患っている。聾唖《ろうあ》とは違って体の器官に障害があるわけではなく、精神的な問題が影響して声が出なくなった。だからこうしていつでもコンパクトサイズのタブレットとキーボードを持ち歩いて、筆談で会話している。


『涼夏には言ったことなかったけど、春休みで会ってない間に実家の二階から飛び降りたりもした。骨折だけで済んだけど、死ぬよりも辛かったんだ。……だけどね、そんな時に涼夏が「付き合おう」って笑いかけてくれたんだ。あの時初めて生きようって思えて、なんて言うか、本当に嬉しかった。涼夏が「ワープロ彼女」やってるのも結構前から知ってたし、それに凄く怒ってるわけじゃないんだけど……多分嫉妬してる。わざわざ文字化けサイトとか使って、どうやったら怒ってる感を出せるか考えてたほどだし(笑)』


 こんなことはおかしい。許されないけど、どうしても涙が止まらなかった。

 笑顔でキーボードを叩く祐太に、やはり私は恋をしている。

 抑えきれないほど、どうしようもなく、恋をしている。


「祐太、ホントにごめんね……。私、もう辞めるから。祐太がそんなに私のこと想ってくれてるなんて……なのに私、」

『わがままかもしれないけど、僕だけ見てて』

「……っ!! ……涙で画面、見えないっ」


 すると祐太は立ち上がり、私を抱きしめた。彼の心音を私の右胸に感じ、私の心音を彼の右胸に感じさせながら、強くふたりは抱きしめ合った。

 二度と離したくないと思った。彼もそうであってくれたなら嬉しいなと、思ってしまった。

「す……す、き……好き……!」

「え」

「え?」

「「ええええええぇぇぇぇ!!!???」」

 祐太が、声を出せた。



「や、やば。ぼく、声、出せてる……」

「うん、うんっ! ちゃんと喋れてる!」


 まさかの出来事に、私たちは約一時間も抱き合って泣いていた。気持ちが落ち着いても、やはり心の興奮は冷めなかった。


「涼夏が、ぼく、の、呪いをと、解いたんだ、よ!」

「そんなことない、祐太が自分で頑張ったからだよ。ホントに凄い、凄いよ祐太ぁ……」


 祐太と声で会話が出来る。それだけでこんなにも涙が出るのは、幸せな気持ちになるのはなぜだろう。普段は冷静な祐太も、今は平静を保てていない。とにかく言葉を発したくて仕方がないのだ。


「涼夏、ぼくと、けっ……」


 二年ぶりの発声で、まだ会話に慣れていない。それも仕方ないこと──なんで祐太、顔が赤く……?


「涼夏、僕と、結婚、して、くださ、い」


 拙くも温かい彼の手のひらが、私の頬に触れた。

 彼は笑っている。


「涼夏は僕の、世界を、創って、くれた」


 その意味を理解した瞬間、彼の秘めたる文学センスに度肝を抜かれた。

 彼は笑っている。しかしその笑みは厭に怪しい。

 煽っているのか、本気なのか、意図は分からないが答えは決まっている。


「なってあげる。祐太だけの『ワープロ奥さん』にっ!」

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ワープロ彼女 詩人 @oro37

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