第8話 カクヨムコン8終了

 ご無沙汰しております。


 皆さん、カクヨムコンに参加されていかがでしたでしょうか? 

 今回は自分の体験談ではなく、カクヨムコン全体を鳥瞰した話をしたいです。


 カクヨムコンは非常に面白い小説公募ですね。

 特に長編においては、他の公募にない点が三つあります。


1.連載形式のコンテストであること

2.未完も審査対象であること

3.読者選考であること


 今まで経験したことのないスタイルでした。Web小説に事前に参加していなければ、かなり戸惑ったことでしょう。


 しかも、カドカワグループの滅茶苦茶たくさんのレーベルが参加しています。

 普段公募に参加していると「この小説、このレーベルに合っているかな?」問題が発生しますが、その問題はカドカワ側が考える問題としている部分は、非常に新しく、好感が持てました。マッチング問題、あるある。


 よく「新風を巻き起こせ!」みたいなキャッチコピーで、新人向け文芸の賞が公募されますが、大賞を取る小説は、既視感のある設定のものです。結局、公募ではレーベルマッチというふるいにかけられているのだと思います。


 以下、それぞれの点で気になった事を未来の初心者向けに。


1.連載形式のコンテスト

 Web小説界隈ならではの募集形式ですね。普通は、15万文字くらいの、完成した小説を一気に送ります。

 カクヨムコンでは、わざわざ連載形式にしないと、読者票が伸びません。

 なので、じわじわと上がってくる作品もありましたし、出だしは面白いのに、失速していく作品などもありました。

 新参の書き手が、読者に露出する方法が「新規」「注目」「ランキング」しかないので、全部一日で出してしまうと、その日以外に来た人に露出できないわけです。

 また、カクヨムのスタイルでは、1ページに全部を入れると、完成度が高くても、読む気にならないというデメリットもあります。

 長すぎると、途中で離脱してしまい「10万文字も読めるか!」となります。

 なので、多くの作品が、だいたい50話以上の連載形式で行われます。

 そうなると、本来切れ目ではないところで、話を切る必要が出ます。

 これをうまく利用している人たちがいます。

 昔から「クリフハンガー」と呼ばれるテクニック名なのですが、話の終わりを、キリのいいところにせず、「え? どうなるの?」と思わせるところで終わるのです。

 そうすることでフォロワーが増えます。続きが気になるからです。

 これは小説のスタイルに依りますが、非常に有効な手段に見えました。


2.未完も、審査対象になること

 これは、とてもびっくりしました。未完ということは、オチがないということです。単に10万文字を超えていればOKという、その真意を考えた時、二つのことが考えられました。


・「物語全体のうまさ」ではないものを見ている。

・書籍化する時に、話が終わっていればいい。


 つまり、後者は「後からなんとでもなる」ということでしょうね。


 一方で前者は、じゃあ何を見ているんだ?

 という話です。


 完結していない物語で見ることができるのって、登場人物と関係性と物語の進行や世界観くらい? 10万文字あれば、話の流れも、一応見えますかね。


 つまりこれって、Web小説に多い「キャラクター小説」を審査する姿勢に見えます。キャラクターや世界観を審査することは可能ですね。

 これは、ちょっと後述して、詳しく推論したいです。


3.読者選考

 これは賛否両論でしょう。

 カクヨムコンでは、読者、特に読み専の方の支持が、その小説を上位に持っていきます。作者同士の★の入れ合いは、あまりコンテストとしては評価されないとされています。

 もっとも、基本的な露出が「新着」「注目」「ランキング」になるため、作者同士の★の入れ合いは、無駄にはなりません。


 一方で、古参の書き手には、固定ファンがいます。固定ファンを持っている方は、非常に有利に事が運びます。


「そんなの不公平だ」


 という声もあるようですが、コンテストがこれ一回きりなら、非常に不公平ですが、この先何度もあることを思えば、まあ、何回もやればいいというだけかもしれません。ただ寡作の方には不公平かもしれません。


 それよりも、これが一次選考、つまり普通の公募では「下読みさん」がしていることと同じであることが、興味深いです。


 公募の下読みさんは「良いと思われる小説を上(二次選考)にあげる」という仕事をします。二次選考は、そのレーベルの編集さんたちです。

 だいたい1割くらいを目安に、上にあげるそうです。

 その時、落とされる小説の例が以下のものとかつては言われていました。


・レーベルに合ってない

・小説の体を成していない

・文体の基礎が出来ていない


 です。これらは問答無用で1ページ目で落とされると言われたものです。今でも一般娯楽小説は、この基準で落とすところがあるようです。更に、時代小説や歴史小説はこの「基準」がとても高いハードルであることは、既に述べました。


 つまり「小説として面白いか面白くないか以前に落とされる小説がある」ということです。


 これは新人作家が往々にして「粗削り」なので、型からはみ出ている小説を全部ダメにしてしまったきた出版業界の悪癖かなと思います。


 一方で、編集は「誤字があっても、少々、おかしなところがあっても、面白ければいい」と公言している人がいます。


 特にラノベ界隈では「面白ければいい」という選考基準が徐々に広まっています。その為でしょうか。昔、新人賞受賞作品が、誤字誤用だらけのとんでもない小説が出版されて話題になったこともあります。まあ、そんなこともあったとしても、ラノベの審査基準が「面白さ」になっているのは事実でしょう。


 これこそ、カクヨムコンの主旨なのかもしれません。


 何故ならば、編集者への忖度もなく、出版社のデータから「次はこのジャンルだ」というヨミもなく、読者が「いまはこれが面白い」と思ったものを、多数決的に上げる仕組みが、存在するからです。理屈的には。


 それが機能しにくいという問題があるだけですね。

 

 機能しにくい理由は、仮説ですが、往々にして本当に面白いと思えるものは、少数の中から生まれるということと、この形式のコンテストでは、読者が面白いと思える部分が「企画」面しかないからです。なので、今流行っているのと似たようなものが上がってくるのは、仕方がないことです。新風は吹かせにくいかなと思います。


 改めて、各ジャンル上位の小説を読むと、なるほど面白いです。異世界とプロ作品は、とても読みやすく、完成度も高いなと思えます。最後まで読み切っていませんが、出だしからぐいぐい引き付けていく魅力があります。


 プロ作品は是非、皆さんも出だしの数ページだけでもご覧になると良いかと。


 さすがに書籍化したときに添削を受けているので、ほとんどの方が、小説作法が出来ています。出来てない人も少しいますけど、その作家さんの癖か、書籍化する時に直せばいいという考えかもしれません。


 一方で、他のジャンルは、読みにくい文章のものが上位にたくさん出現しました。面白い現象だなと思います。

 でも、カクヨムコンは、それでもいいのです。

 もっと言えば、一般的に言われる小説としての完成度が低くてもいいのです。

 何故ならば、完結していなくてもいいくらいなので。

 その話が「企画」として面白ければ、です。


 これが機能していないとしたら「企画としても面白くないものでも、組織票的に上位に上がってくる」小説がある場合ですが、それは最後に編集が実際に読んで判断するという形になると思います。




 さてさて。小説を、書き手側の脳内から解析すると、おおよそ「企画」「構成」「文体」の三つが、書き手の力量として現れるように思えます。少々乱暴ですが。


 ですが、恐らく皆さんも、たとえプロットを考えない人であっても、この三つは、なんとなく考えていると思います。


 企画というのは、その話で伝えたいテーマ、世界観、キャラクター、出来事、主人公の成長などです。小説になる前段階で練るものです。これらは書き手固有のもので、書き手にしか創造できません。テンプレと呼ばれるものも企画です。王道も新風も企画に依るものです。全ての小説で、これは重視されますが、ライトノベルが特に重視します。


 構成と言うのは、その企画から生まれるアウトライン、ストーリーをどう読ませるのかと言う、起承転結や三幕構成。またそれを誰の視点で語るかや、どういう時系列の組み方がいいのか、どこから話始めるか、などです。これは、それだけで教則本になるほど重要ですが、教えることができるものです。


 文体とは、まさに文章表現です。地の文や台詞の言い回しなど、作家の個性が強く出る部分でもあり、文章作法が存在していて、自由の少ない部分でもあります。これも基礎レベルでは教則本が山ほど出ていますし、作家の個性としても見られる部分です。個性的な文体を用いる作家は多いです。時折、純文学などが重視する要素でもあります。娯楽作品でも文体が面白い作家というのはいます。でも、これだけしか面白くないという人は、あまりいません。


 このうち、構成と文体は、カクヨムコンではほとんど重視されていないかもしれません。


 完成していない小説では、構成の妙味が出しにくく、また構成の妙味が出ている作品は、加点されることはあっても、構成が普通でも減点されません。

 文体も同様です。

 この二つに関しては、実は後から直せると考えているのが最近の潮流です。


 そう考えると、実は、作家を育てるのは簡単なのかもしれません。しかし面白い企画、売れる企画を出せる人、つまり天才は、発見するしかないのかもしれません。


 それも踏まえて、では尚更添削サービスを受ける必要があるのか?


 で言えば、企画ができる人ほど、やるべきでしょう。同じくらい面白い企画を出せる人の、片方は粗削りすぎて、よくわからない人。もう片方が、丁寧に読ませる文章を書ける人なら、後者を選ぶからです。


 別に対人の添削サービスだけが正解ではなく、その手の本を読めばいいのですが、「読まれることを意識する」のであれば、悪癖を直すためにも、対人サービスがよろしいかと。


 一方で「書きたいように、ただ書きたいのだ!」というのも理解できます。それがWeb小説の醍醐味かと思います。でも、いつか「読んで欲しいのだ!」という欲求に変わった時に「企画」以外の「構成」や「文体」に難がないのかを考えてみてください。つまり「読みにくい」可能性です。


 その時、添削サービスは手段の一つになるでしょう!

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