想像への応援コメント
はっきりとした形で表さず、ある程度それぞれの想像にまかせた方が、効果的なことってありますよね。文章書いていると、よくそう思います。
逆に、文章で説明せず視覚効果で見せた方が効果的な場合もあるわけで。
どっちがすぐれているわけでもないですよね。
使い分けはムズカシイ。
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
これも今でも意識することです、私は
この夏に怪談いくつも上げましたけど、文章だけだからこその怖さ、ヴィジュアルがないことの難しさ、その奥行きやバランスはかなり考えました
説明文が長くなると読者は物語に入りづらくなるし、だからといって怖さを演出する風景(の描写)がないとそれもまた怪談にはそぐわないし
難しいですよね
漫画でも、実写でも、絵があることで表現出来ること増えても、それがちょっとでも稚拙であると視聴者はそこを目ざとく見つけて興醒めしてしまいます
とにかくどちらも創作者の腕が試されるのでそこも難しいです
文章家には文章家の、漫画家には漫画家の、映像表現者には映像表現者の、それぞれ苦労ありますね
読者の頭のなかもそれぞれ(年齢層とか性別とか、経験とか)、どこを基準に置くかとかも考えないといけないとなるともう……
考えることが多すぎます!
今も頭悩ませながら書いています(全然、近況も更新しなくてすいませんですが)
今日も同調、ありがとうございました
おかえりなさいへの応援コメント
同じようなテーマの短編小説書いたことがあるのを思い出しました。歩様にコメントやレビューを書いていただいたなあ、って。その節はありがとうございました。
やっぱり、「いいなあ」って思いますよね、こういうの。
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
「半ドン」の時を思い出したって、あれですね(笑)
こちらこそ、温かいものを思い出させてもらった良質の物語をありがとうございました
「おかえりなさい」ってやっぱりいい言葉ですよね
迎えてくれる人がいてこそですし
居場所とか、迎えてくれる人とか、それに心を動かされるのはそれがなかったことの冷たさも知るからかもしれません
見過ごされがちですけどね
真沙緒さんの物語も素晴らしいですけど、私も同じように少しでも心に残るものを残せればと思うこと多いです
その意味でも、じんわりと心温まる感想もらえると嬉しいです
スパイスへの応援コメント
スパイスを求めて、見知らぬ世界の果てへ。食の欲求ってすごいなと思ったものです。
それが今ではご家庭に当たり前。
…なんとはなしに、そこはかとない怖さを感じました。考えすぎかな…。
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
怖いですか
真沙緒さんの感性を感じますね!
決して悪い意味ではないです、むしろそういう感想を受けると嬉しくなります
確かに人間の欲を感じるところでもありますし、またそれで戦争が起こったり植民地なんてものも出来たりしたところは、人間の果てない「業」というものなのかもしれません
現代、紆余曲折を経てスパイス各種を工夫しながらどの国でも作れるようになっていること、昔はその種とか栽培方法とかも国家で管理していることもあったのにと、それも思えば自由と平和にもなったと想いを馳せられます
いずれにしても、スパイスによって食は広がりましたし、それによって食べられるものも増えましたが、飽食の時代も招いてそこから食糧難(日本の買い負けとか)も招いていることも思えば確かに怖さもありますよね
様々な感想、いつもありがとうございます
作者の思いもよらないコメントいただけると嬉しいものですね
現在、ちょっと苦しみのなかにいるので
忙しさを抜けて気が抜けつつも、ここからは創作にまい進できると気持ちが急いて逆に何も出来なくなっていまして💦
カクもヨムもなんか金縛り状態ですが、少し力をもらいました
秋霖への応援コメント
拝読して、改めて、
「雨が降る」
ただそれだけのことにも、
日本語ってたくさんの表現があるんだよなと思いました。
ひとつひとつの表現に、表現者の思いや感性まで見えるようですね。日本語っていいなあ。
そして表現するがわは、それらを使いこなして、場面の雰囲気や登場人物の心情を表さなくてはならない…楽しいというか、やりがいがあるというか、ちょっとしんどいというか💧
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
しんどいですね
楽しめるといいんですけど、創作の悩み入ってしまうと
今はまさに秋霖の時季で、ある意味ぴったりですけど
今年は雨の時季に入ると一気に、涼しいより寒くもなって体調も崩しやすくなっていると思います
実際、私も(毎年のことですけど💦)ちょっとのどの調子悪く、それにつれて気分も落ち込みがちです
なかなかいろいろ大変ですよねえ、日本語って
この前の「短歌・俳句」では私、この「秋霖」の項も思い出しつつ、ここにもない表現も使っていっぱい雨の俳句を作りまくっていました!
当時は大変でしたが、そう楽しんでもいました
でも、見事に何もコンテストでは認められなかったという
ああ、しんど
笑っておきますけど
楽への応援コメント
今日ちょっと落ち込んでいるので、心にしみます…。
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
お疲れさまです
労います、すべてのがんばっている人を!
というか、本日、私もがんばり尽して今やっと今日の分が終わって
ぐったり
って、いうところです
ある方からも励ましもらいまして
「自分を好きになれない」ことをコメントしたら、きちんと「大丈夫」と返してもらって恐縮しきりなのです
そのときにこの「楽」でしょ?
改めて、過去の自分からというか、今こそというか
「頑張ったね」「頑張っているね!」
それに気付かせてもらって真沙緒さんにもありがとうございます! お返しに「頑張ったね」とこちらからも送らせてもらいます
お互い、いろいろ大変
それでも支えてくれる、応援してくれる人はいるので
「楽しく」息抜きもしたいです
もったいないへの応援コメント
昔はあんまり使い捨てできるものがなかったから、でしょうか。でもほかの国だってそうだったでしょうに、この概念が日本だけって、不思議ですね。やっぱり、
>人間は自然よりも下位にある。
この意識でしょうか。
江戸時代には、ロウソクのロウとか紙くずを買い取る業者さんがいたらしいですし。
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
自然より下位にあるっていうアニミズムの精神は確かにですよね
今でもそれは日本人の心に根付いていると感じるときは多いです
ただ、そうなんです、江戸時代の話でいうと、本当にすっごく節約社会だったっていうのはこの一年で知りまして、そこもあるのかなあって
「江戸に行けば何とかなる」的な、そんな商売あるの? みたいなものもありましたしね
正月のあいさつ回りは侍の仕事、そこで相手に送るのが白扇
それは今でいうリサイクルされていたようです
熨斗もともと「乾燥したアワビ」なんですけど、それも
たくさんもらったところはリサイクル業者へ、送る側もそこで購入、結局ぐるぐる回っていたという
正月に忙しいのはそんなあいさつ回りの侍で、商人、町人は大晦日こそ取り立てで大忙し、正月になるともうぐったりだったそうですけどね(落語でよくあるネタです)
そんなこぼれ話しつつ、米が為替の基準であった時代、特に不作の多かった東北では「物がない」「食べるものもない」こと多く、それでもったいないも生まれた気がし出しています
江戸、京大阪の都会は飽食、米ばかり食って脚気になって、それを「江戸病」とか「大阪病」とか言っていたらしいですけど
豊かになると「もったいない」を忘れがち
昔は……って、いうのはあれですけど、でもSDGsとか言っているよりも、もったいないやおおらかな日本人の心で今の世も行きたいとは思います、私は
分け合う気持ち、助け合い、ものがない時代だったからこそのそれも必要かと
ちょっとずつ進化?(笑)している考え方、引き出してもらって長文になりましたが、今日もお付き合いくださいましてありがとうございます
不偏不党への応援コメント
「偏らないことに偏る」
と書くと、なんか皮肉ですね(苦笑)。
私は考えが極端に走りがちなので、
「たまにはあっちに偏ってみようか」
くらいでいてもいいのかな、なんて
勝手に思っています。
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
私も偏りがちです!
だからこそ「不偏不党」を座右の銘にしているという(笑)
座右の銘って結局、出来ていないからそれを心にとどめておかないといけないわけで
出来ているなら別に気にしなくてもいいので
シーソーみたいなものですよね
いや、砂時計かな?
ずっとどちらかに偏っていると使い物にならなくなります
別のほうから見たり、アプローチしたりするのもバランス取れるもとだと確かに思います
私も特に世界情勢では日本から見た世界だけでなく、世界から見た日本、あるいは世界から見た世界とか、見方を変えることも心掛けています
中間ばかり行くのも難しいですしね
はっきりノーが言えるようにもなりたいです(笑)
コメント、ありがとうございます
今日の近況の通り、励みになります!
最初への応援コメント
はじめの一歩って、たいへん。
…だからこそ、気合を入れるために
一番最初、まず初めに…という言い方をしたのが、定着してしまった…なあんてね。
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
こんばんは
応援コメント、いつもありがとうございます
言葉って本当に変化しますよね
私は言語学者ではないので言葉の成立や変化がどのようにして起こるのかまでは分かりませんけど、「そもそも」って、「そも」でしたし、最近は「ほぼ」を重ねて「ほぼほぼ」もちょっとだけ定着しています
こういう言い方が正しいのかどうかはともかく、時代が求めたら、また時代が許せば、それが定着するのでしょう
「まず一番最初に」とかなるとさすがにおかしいと思うはずなんですけど、それさえ時々耳にする気がします(笑)
さて、一歩め
大変です、本当に
創作に置き換えても最初の1ページとかね、ものによれば一行、一文字から
この前、短歌・俳句やっていたからなおさらそれを感じます
書くぞ! って、気合入れても空回りで、もういいや! ってなってからのほうが逆に書けたりも
一歩目の大変さって、そこでも感じています、私は(苦笑)
貧乏神への応援コメント
一神教と多神教とでは、「神」の意味合いがまったく違いますよね。おっしゃる通り、同じ「神」をあてたのは、ちょっと…でしたね。
以前読んだ昔ばなしで、貧乏神と福の神が争うのを、夫婦が「ガンバレ貧乏神!」と応援して、福の神が「えっ?」と驚くという話がありました。
いろいろなものを神様にしちゃった日本人、おおらかというか柔軟というか…おもしろい発想ですよね。
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
おはようございます
今回もコメントありがとうございます
今にもつながるんですよね、日本人の「カミ」感
「神ってる」「神か!」と、若い人ほど人に対してもそれを使います
ふと思ったんですけど、「仏」は軽く言わないですよね
穏やかで人間的にも優れている人に対しては「仏のよう」と使われますが
(「仏」はブッダをさし、また「悟りを開いたもの」の意味でもありますから、「神」とは違うんですけど)
仏像のイメージもあると思われます
それに対してカミはイメージがない、漠然とした「大きな力」だから人に対しても使うんだと思います
思いますの連発ですけど(笑)、日本人の「カミ」感に関しては様々な学問からもアプローチされていますからやっぱり研究意欲をそそられるものであるのは間違いないです
昔話のそれ、きっと私も知っています
多分、「まんが日本昔ばなし」にもあったんではないでしょうか?
押し入れで貧乏神がえんえん泣いていて、福の神が来るから追い出されると
でも、おじいさんおばあさんは貧乏神のほうを応援して、福の神を追い出してしまうってやつですよね
最終的には福の神が落としていった打ち出の小槌でみんなが幸せになるという(貧乏神は福の神となり)
「まんが日本昔ばなし」
けっこう怖いものもありましたけど、今の子にも十分通じる、教訓にもなるの多いので、ネット配信でも何でも見てもらいたいですよね❤
伝わるへの応援コメント
職場でよく実感します。
離席中に電話があったらしく「〇〇さまより✕✕の件でお電話ください」とのメモが。〇〇さまって知らんぞ誰だと思いながら電話してみたら、〇〇ではなく△△さまからのお電話で、✕✕ではなく□□の件についてだったと判明。
なにひとつ合ってねえー何も伝わらんぞー!
せめて正直に、聞き取れなかった、くらい言えやー!
…すみません、毒はいてしまいました…。
伝えるって、難しいんですかね…。
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
吐いてください、毒も
なかなか面白エピソードでした(笑っちゃいけないのですけどね💦)
ビジネスの場での「伝えたつもり、でも伝わっていない」は本当に厄介です
「伝えることは難しい」「自分の思いと他人の思いは違う」ってことを自覚していない人ほど伝えることがへたくそなのでしょうか? 「ま、いいや」程度の軽さも腹立ちますよね!
これもビジネスマナーの話ですけど、メモ取るとか、電話なら復唱するとか、大事なことが抜け落ちている人はけっこういますよね
ビジネスの場だからこそ、私も腹立ちます!(二度いいます!!)
私はけっこう日常で「伝えることの難しさ」に悩んでいたりします
誰に何をはプライベートとしても、はいはい、うんうんとうなずいていたくせに、聞いてないとか、まるで違うことをしているとか、忘れていたとか……怒
私も毒を吐きました(笑)
主人公への応援コメント
どういう過程で、禅の言葉が見いだされて小説等フィクションにあてられるようになったのか、興味深いですね。
(たぶんそんな過程はもうわからないでしょうが)
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
おはようございます
朝から学習(笑)にお付き合いただきありがとうございます
他の方へも「主人公」にいただいたコメントで返信しているんですが
江戸時代の通詞(今でいうところの通訳)から始まり、明治・大正にはときの文豪たちが翻訳というよりももはや変換とでもいうべきことをなされているんですよね
調べると結構、面白いです
あれもこれも造語だったんだ、何かから持ってきたんだって
多分、そのなかの一つとして主人公もあてはめられたのだと思います
いずれにしても、当時からなじみ深い、でもちょっと難解なところで仏教から言葉を持ってきていたんだとは勝手に推測しています
無知の知への応援コメント
新しいことを始めると、知らないことって必ず出てきますよね。
「ふんっ、そんなの知ってるもん」とふるまうより、「ここでは自分は新米」と思う方が、気づきも学びも大きいですね。私もここカクヨムではまだまだ勉強中です。
前回のお返事ありがとうございました。失礼な書き方になってしまってないかなあ、とは思いつつも、個人的にはなんだかしんどそうな気がして、ああいった表現をしてしまいました。
私は一時期、引きこもっていたことがあります。自分語りをしてもしょうがないのですが、まあそういう時期があったわけです。前回のお話拝読して、あの時点の自分の心理でアレを言われたらつらかっただろうな、という気がしてしまいまして。
歩様のお返事拝読して、自分もまだまだ画一的なものの見方してるなあと反省しきりです。
すみませんでした。
改めて、あたたかいお返事をありがとうございました。
…はっ、これって、ある意味「無知の知」では。おお、今回のテーマにつながった。
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
こんばんは
苦い経験、自分にとって語りたくないことをさわりでも話していただいてうれしいです
勝手ながら信頼を感じてしまいました
引きこもりも、それを語ることも、どれほど苦しいことか、私自身がよく分かっているので
まず「無知の知」
これを知った時、私は衝撃を受けました
真沙緒さんの感想と同じく、謙虚に、すべてを吸収しよう、自分よりも優れている人たちはいっぱいいるんだからと、それを思って今も生きています(大げさ!)
ソクラテス自身は謙虚とは程遠い生き方で寿命も縮めてしまいましたけど(笑)
さて、今朝の返信ですけど、こちらこそあれでよかったかなあと思っていたところなのでお礼をもらえるとほっとする想い強いです
こちらこそありがとうございます
引きこもって、何もかも信じられない、殻に閉じこもっているときに「変わらないといけない」はそりゃしんどい! なおさら引きこもりますよね
私の場合は先にも言ったようにギリギリの状態、もう本当に最後の最後、頼った方がよかった、そこからのつながりで変われた、ということですし
ドアのなかにいるか、ドアを開けたかの違いは大きいです
引きこもりって簡単にくくられますけど、それこそそれぞれで事情は全然違います
ここまで私も順調に来たわけでもないです
大げさでも比喩でもなく、変わることをがんばりすぎて何度も倒れていますから
頼れる人、支えてもらえる人、またはよりどころ、居場所は必要と痛感するばかりです
「過去と他人は変えられない」「変えられるのは未来と自分だけ」
その考え方に変えていくこと、実は認知行動療法になるんですけど、それもまた信頼できる人と二人三脚でやることです
私にとって、今の居場所はここ「カクヨム」様です
皆さんに支えてもらって、しょっちゅう感謝申し上げております
リアルでは今でもカウンセラーさんとはお付き合いさせもらっています(もう15年にはなりますか)
一人で何もかも背負うことは出来ないし、課題をクリアすることも出来ません
それこそ「無知の知」で勉強です!
勉強といっても肩の力抜いて、楽しくやっていきたいですが(笑)
変えられるのは自分だけへの応援コメント
「過去と他人は変えられない、変えられるのは未来と自分だけ」
引きこもりの段階で、これを繰り返し言われるのもしんどいような…💧
あるいは、繰り返し言われたからこそ、少しずつでも変化が起きたのかもしれないですが…。
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
おはようございます
確かに、いわれて見れば(笑)
でも、そうなんです、(笑)と出来るんですよ、今では
朝からちょっと長文になりますがお付き合いくださいませ
反論とかそういのではないので肩の力抜いて
なるほど、歩はそんな人生歩んでいるんだなって、思ってもらうくらいで
前提として、この言葉をもらったのは、自分から何とかしないとと部屋から出てきたからこそです
その時期だったというか
引きこもりの問題の一つで、無理やり部屋から引っ張り出して搾取するような、引き出し屋にあたったわけではありません
そんな卑劣なものはカウンセラーさん怒ります、私も憤ります
そんなわけなので、変わらねばならない、自分が変わらないと何も変わらない! というような暴力的な思考はありません
むしろ、「ねばならない」は今でもカウンセラーさんからそれをほぐしていかないとといわれております
「ねばならない」に陥るとしんどいですから
世間もその風潮ありますけどね
こうでなければいけない! みたいな
そういうのではなく、もっと楽に、私は創作活動が生きる支えですけど、それは別に構わない、むしろあったほうがいい、じゃあそれを続けるためにはどうすればいいのか? というような感じ
逃げる、休む、考え方を変えて見る
コンテストに挑戦もいいけれど、たった一つ一年に一回よりもいろいろなものにアタック
でも、無理はしない、自分に向いていないものに対して無理にアタックすることもない
一人でずっとやってきましたけど、一年前にやっとそこも変えて、「カクヨム」様にお世話になるようになりました
そんな感じ(すべて、自分で「変えて」います)
変わることもパワーいりますけど、やってみると案外「なんだ、こんなんでいいんだ」って楽になります
私の場合、本当にねえ、なんていうのか、周りの無理解に苦しんでいて
それを「なんで分かってくれないんだ」と内にこもっていましたから
それを打破するというか、柔らかくするためというか、そのために「過去と他人は変えられない」といってもらった面もあります
気負わなくていいんだよ、道はいろいろあるんだよ
ねばならないはしんどいよ
そんな意味で私はこの言葉を胸に刻んでいます
今も、こうして真沙緒さんにお付き合いただくことで改めて自分を振り返っております
まだまだ、ねばならないに捉えられて、それの克服が課題とカウンセラーさんに言われるんですけどね
気付き(と、いうか改めて見つめ直すこと)また与えてもらえてうれしいです
こうして私も長文の返信すること「エッセイ」の時からありますし、むしろ返信長いのはうれしいものですから私に対してはお気になさらずに
凪への応援コメント
大人気の鬼退治アニメに「凪」という技が出てきましたね(第何話だったか、ちょっとすぐ思い出せないのですが)。敵の攻撃を無効化して防いでしまうというものですが、イメージとして「なるほど」と思ってしまう演出でした。今回拝読して、ふと思い出しました。
よく見ると、漢字の構成もすばらしいですよね、凪。
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
凪! 水の……、ですよね? 十一の型でしたっけ?
これを書いた当時、連載中だったか、アニメもどうだったかは知りませんけど、少なくとも「鬼」のあれ、知らなかったんです
今はこの話のように知っていますけどね(笑) それどころか大好きですけど!
それはともかく、凪って本当にいい漢字ですよね
日本人の感性が素晴らしいって思ってしまいます
それで取り上げたところありますけど
凪で休むもよし、追い風に乗るもよし、向かい風にはどうしましょうか?
それは今でも変わりません
コメント、ありがとうございました
大変への応援コメント
「小変」という言葉もほしいですね。
でも、そうすると、自分に起きたことなんかたいしたことない、と辛さを抑え込む人が増えるから、「あなたは十分、大変なんですよ、だから抱え込まないで」という意味で、小変という言葉が一般化していなかったりして…なあんて。
ちょっと妄想が過ぎてしまいました(^_^)
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
「小変」! なるほど
この「大変」は「大きく変わるんだから、それは大変しんどいですよね」と
懇意にしていただいているカウンセラーの方から、「カクヨム」様に登録していろいろそれこそ大変だったときにかけられたものなのです
まさに、真沙緒さんの言葉通り!
がんばっていますねと! ほめられもしました
お気遣いいただいたようで、また当時の心境も思い出すこと出来て
そんなコメントいただけて
今日もありがとうございました
またよろしくお願いします
恋愛への応援コメント
なぜ、愛人、と言うと安っぽく聞こえてしまうんでしょう(個人の印象)。それがフシギな私です。でも、「愛は広く」というお説に、なんとなく納得できるものを感じ取りました。
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
こんばんは
サッカー、日本の敗戦に力が抜けている歩です
いやでも、「愛人」はやっぱり、安っぽいですよね
私も「恋人」と「愛人」の受ける印象は違うなあと思ったので、それを冒頭に置いたのです
きっと「愛人」に対して日本人の感情が受け付けないところあるんでしょう
「愛する人」というと違うのですけど
ここらへん、日本語の妙ですよね
この「言の葉」は文末にあるように、「カクヨム」様で様々な恋愛詩を拝見して刺激を受けて自分なりに、でしたが
真沙緒さんの恋と愛も知れたようで、ちょっと得した気分もしています
今回も語らい、ありがとうございました
マジックアワーへの応援コメント
マジックアワーもいいんですが、個人的には、日本語の表現の方がしみじみと趣深いことよなあ(詠嘆)、と思います…個人的には、ですよ。細かいニュアンスが繊細に感じられて…。
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
こんばんは
「マジックアワー」でもお付き合い、ありがとうございます
日本語でマジックアワーに相当するなら、朝の「あさぼらけ」「曙」、夕なら「薄暮」「夕闇」でしょうか
私は最近、あさぼらけを知って、それもしみじみとした情緒が感じられるなあと思っております
趣、確かにありますよね
マジックアワーは「魔法の時」と日本語で言ってもなんだか神秘的
そこはファンタジーな小説も書く、読むので気に入っているところはあります
誰もが「空」「空の表情」「空の風景」には魅せられる
だからいろんな表現を用いてそれを味わおうとしているのだろうなと、真沙緒さんの感想から気付かされました
気付きをもらえてうれしいです
因果応報への応援コメント
その通りですね。ただ、いいことよりも悪いことの方が印象って強いから、いいことよりも悪いことがかえってくる方が記憶に残りやすくて、いいことがかえってきた方をつい忘れがちな、バチ当たりな私…。
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
おはようございます
共感、ありがとうごあいます
みんなそうだと思います
悪いほうが記憶に残る、だから「因果応報」も悪い意味として、バチ当たりとして皆記憶しているんでしょう
「善因善果」を知ってから、私も印象が変わったくらいですから
でも本当、還ってくるならいいもののほうがいいですよね
私は善いことをしているかは分かりませんが、皆さんからは私、善いものを返してもらっています
これからもよろしくお願いします
「ネガティブ」?への応援コメント
そうですね。
ネガティブというまとめ方がもう、悪い印象になっちゃってますよね。呪いのような。
ポジティブも、いいことばかりではないですし。
私は、過剰にポジティブな人は、一緒にいてつかれてしまうことがあります。ほどほどポジティブなら楽しいです。
ネガもポジも、ほどほどが大事ですね。
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
おはようございます
そうですよね
要はバランスなんでしょう
ネガになりすぎず、ポジにもなりすぎず、考え方一つ、捉え方一つ
「ほどほど」の生き方
それでいいですよね
私も、ネガティブになること多いですが、それをポジティブ、ポジティブと否定されて無理やり引き上げられそうになって、それでこの「言の葉」ですから
今日もまた、良い視点をいただきました
ありがとうございました
無知の知への応援コメント
わたしもカクヨムに来る前は知らないことばかりでした。今も知らないことばかりですけど、一人で人知れず書いていた時とはまったく違います。勇気を出してここへ来てよかったです。
作者からの返信
あしわらんさま
遅くに一気に多くを見ていただき、本当にありがとうございます
ご無理なさらず、ご自身のペースで
私もずっと一人で頑張ってきました
「カクヨム」様などの投稿サイトが出来るはるか以前から
それがここにきて……
PV伸びないのは本当につらいですけど
でも、フォロワーさんとのつながりいっぱいできて、お互い励まし合いつつ研鑽積んでいると、一人でやっていたころとは違う手ごたえは得られます
あしわらんさまも、あしわらんさまなりに自分を高めてもらえればと
秋霖への応援コメント
今の季節、この言葉が似合いそうですねぇ。
秋晴れのお天気がそろそろ崩れるということで、雨読スタイルになるか……と思う今日この頃です。
歩さんの取り上げられる言葉は、いつも心に優しいとか美しいとか、よい感情をもたらしてくれますね。
作者からの返信
えいさま
ありがとうございます!
本当に、しみじみとした感想をもらえると、ゾクゾクさせてもらえます
やっててよかったぁって
美しい言葉も探しますが、何よりとげは出さないようにといつも気を付けています
そこが逆に刺さってくださったとあれば、それこそ本望
台風のシーズンですが、そろそろそれで暑さも抜けて、しとしとと表現する雨も多くなってきますね
空いた時間にそれがあると出掛けるにはためらう
じゃあ、本でも読んでいようか
梅雨の時期ほどじめじめもないし
って、そんな感じですよね
想像への応援コメント
言葉だけの想像。
一人一人違いますよね、わかります!
作家さんに対してもありますよね。
ある作家さんを、最初は女性だと思っていました。
ところが、今では「あれ? 男性?」となっております。
その謎の作家さんの名は、歩さんと言います。
女性かな? 男性かな? と悩みながら読むのも楽しかったりします!(^^)!
作者からの返信
ありがとうございます!?
「中性的」とは、自分で自分の作品見ても思うときはあります
そこはもう、想像にお任せします
ナイショと
でも、その感覚は分かりますね
感性って一人ひとり違いますが、やはりどこかで「性」の感性って出ますものね
男性、女性、中性
私も好きな作家さんのそれは気になるときあります
いつも気にしていただき光栄です
その声に励まされてがんばれます!
貧乏神への応援コメント
ちょっと話がそれますが、キリストでも神様でも、人間だったというのに驚きを禁じ得ないときがありました。それらの具象的なものでなく、抽象的なものを祀るということを未だに拭い去ることができません。
作者からの返信
宗教をどうとらえ、どう考えるかは……
一人ひとり違ってきます
日本人の古くからの考え方
ある意味柔軟なそれだけを受け取っておいてください
日本人は元来、宗教にはおおらかなので
明治政府が分けるまで、神社とお寺の区別もなかったわけですし
すいません
せっかく訪れていただいて、コメントまで残してくださいましたのに、なんか変なこと言い始めて
でも、深く考えていただけたのは本当にうれしいです
それだけ心に残ったということなので
こりずにまた、来てくださいますとさらにうれしいです
(もうあかんとなったら、それはそれで仕方ないです)
日本語の由来って、宗教的なものがかなり多いのでそこは避けては通れませんので
編集済
もったいないへの応援コメント
私の書いたものと真逆な内容で、苦笑いしてしまいました(^_^;)
確かに通常の想いは、素晴らしいものです。全ての事に言えることですが、あまりにも度を過ぎてしまうのは、感心出来ないですねという話を書きました(*^^*)
作者からの返信
コメント、ありがとうございます
MarisaさんにはMarisaさんの感性があるので、そこはあまり気にしなくていいのでは?
あくまで、この「言の葉」は「私(歩)が」感じたことですし
そこからまた、読んでいただいた方が共感、あるいは反感、どちらにしても私はうれしいです
何かしら心に残ってくれれば
「もったいない」ですが
妖怪(付喪神)とか、昔話とか、そんなのを研究していると思うこともあると、そんなところです
編集済
大丈夫への応援コメント
私の場合は正反対で、「大丈夫じゃなくていいよ」って言われたほうが嬉しいですかね……自分に「大丈夫」って言い聞かせて追い詰めてしまうタイプなので……
やっぱり、人によってほしい言葉はそれぞれなのだなぁ、と思いました☺
【追記】
「言の葉」、全て面白かったです!やはり日本語というものはいいなぁ、と思えました。
作者からの返信
訪れていただき、それも一気に見ていただいて
感謝!
そうですよね
あくまでも「私は」なので
そこはもう「人それぞれ」
「言の葉」の宣伝みたいですけど
何かしら琴線に触れる言葉を見付けていただければ嬉しいです
オタク心を満たしたいがための「言の葉」ですから
本日はありがとうございました
満点星までいただいて!
お疲れさまでした
番外「自主企画」を考えています→立ち上げました→終了しましたへの応援コメント
素敵な企画っ!
と思ったのですが、自分の掌編は明るいのと暗いのが混ざっているので範囲外でしたっ……笑
でも企画、楽しく拝見させて頂きますね💖🙏
作者からの返信
ありがとうございます
初の企画の立ち上げ、立ち上げてからも
いろいろ学びがありました
そこでなるほどと納得したのは、参加するだけじゃない!
そこに集まってきた素敵な作品を読むのもいい!!
ですので、夕雪えいさまも、私の声に集まっていただいた皆さんの秀作で楽しんでもらえるとそれはそれで「企画成功!」なんだと
「カクヨム」様にきてまだ2か月弱なので、まだまだ、まだまだ、勉強中です
コメントうれしいです、私も!!
この場を借りて、私のレビューコメントまでほめていただいて……
そこは本当に、見た瞬間、照れてしまいました
主人公への応援コメント
本日もまた、ためになるお話をありがとうございました!本当に意味深ですね(*^^*)
作者からの返信
ありがとうございます!
江戸時代、さらに明治と
日本人はいろいろ入ってくる外国語を身近な日本語へと変換するのに尽力しました
探ってみると、これをこう訳したのか!?
と、先人の苦労と知恵に驚くばかり(哲学、経済などなど…… がんばりすぎて、日本人は外国語に疎遠となってしまったというちょっとしたマイナスもありますが)
昔のことですから、どうしても仏教的なものが多くなるのもしかたない?
その一端をちょっとでも紹介出来ているとすれば、それこそ「言の葉」の喜び
今は先人の苦労と知恵に逆行するように、カタカナ語がもてはやされますけど
こちらこそ、本日もお読みいただき、大変うれしいです
これからもよろしくお願いします
変えられるのは自分だけへの応援コメント
自分でさえ、なかなか変えられないのに、
ましてや他人なんて変えるのは無理ですよね。本当にそう思います。
作者からの返信
共感、ありがとうございます!
この言葉、今でも私は繰り返しています
つまりはそれほどまだまだ出来ていないわけで……
「変える」って、難しいことです
誰かの支えも必要なんですよね
変えられるのは自分だけへの応援コメント
そうなんですよね。
自分の考え方・行動・習慣。
それらを変えれば
今いる場所から抜け出すことができますもんね。
難しいけれど、やってやれないことはない。と、思います。
作者からの返信
ですです
私、変えようとするとき、新しいことをしているとき
何度も倒れています、比喩でなく
それでも……
共感、ありがとうございました
コギト・エルゴ・スムへの応援コメント
深いですね。哲学は好きですが私には難しいです。
コギト・エルゴ・スム初めて知りました!
不思議な音がします。
言葉を知る楽しみを教え頂きありがとうございます。私の生活が潤うようになりました(*^^*)
ラブコメ良かったです!ストレートに使うのかナと想像しましたが、使い方が上手です。
作者からの返信
いつも読んでいただきありがとうございます
「私の生活が潤うように」
最高の誉め言葉です!
私もそこまで哲学は知りませんし、深く学んでいませんが
「コギト・エルゴ・スム」=我おもうゆえに我在り
など、少しばかり心に残っている言葉はあります
それに共鳴していただけると嬉しいです
ラブコメ、よかったと、うまいといってもらえるとそこはほっとします
初のそれなので
コギト・エルゴ・スムへの応援コメント
自分を囲む世界がどんなものになるかは、自分が世界をどう見るか、すべてそこに帰結するのでは、と思います。
簡単なようで簡単ではなく、難しいようでそうでもなく。
なかなか上手くは出来ない私ですが、今朝読ませていただいたお言葉、あらためて心に置いておきたいと思いました。
ありがとうございます。
作者からの返信
こちらこそ、ありがとうございます
「心に置いておきたい」と言っていただくだけで、私自身が救われる思いです
私事で心が揺れている時に何とか紡いだもの
ゆえに「前向きなメッセージ」を込められていないと自戒していたのですが…
推敲への応援コメント
料理がド下手な私ですが、たまに美味しい時があります。
そんな時は、自分で感動して「わっ、これ美味しい!」と叫びます。
すると、つられて家族が「うん!」
今から料理教室に行くのも恥ずかしくて、料理の腕が上がらず悲しいのです。
作者からの返信
自分で作ったもの、おいしい! って、思いますよね
私はチャーハンづくりに凝っていまして、いろいろ研究重ねて、それをおいしいと自分でも、人からも言われるとむちゃくちゃうれしくなります
でも、その程度
料理の腕前を「恥ずかしい」と感じられるだけでも、素晴らしいことだと笑顔になります
だって、レベルアップの可能性がそこで生まれるんですから!
今日も読んでいただき、コメントまでいただきありがとうございました
夏草への応援コメント
我が家の庭が雑草だらけで、昨日少し刈りました。
草を刈ると、そこから小さなゾウリムシが現われます。
ゾウリムシの住み家を奪ってしまったと、心が少し痛みますが、そこは強靭な精神。
「ゾウリムシさん、すまんのう。しかし、草を伸び放題にしておくわけにはいかんのだよ。人間の都合であるが……」
と、刈り続けました。そして、今日も草苅りです(#^.^#)
作者からの返信
その気持ち、わかります!
土手の草を刈ると、鳩が特にですけど、鳥がいっぱい集まってきます
鳥も待ちかねていたのか、虫はでも……
イタチとかの小動物も隠れ家を無くすのかなとか
草刈の風景にまた想うことあります
堤防の草は、堤防を守るために必要らしいですけど
除草剤まくわけにもいかないですものね
草刈り、お疲れさまです!
番外「自主企画」を考えています→立ち上げました→終了しましたへの応援コメント
面白そうな企画ですね。
参加したいです。
作者からの返信
ありがとうございます
今日と明日、週末で様子を見て、賛成(こちらの勝手なお願いを了承してくれる方)が多いようでしたら企画を立ち上げたいと考えています
そのときにはぜひ、よろしくお願いします
(2)へへの応援コメント
読み終わってしまいました。一時期、歩様の小説をあれもこれも読み散らかしてしまったので(💧)、読み終えたことにも安心しました。
ふと書いたコメントにも、ていねいですごく考えてくださったご返信を頂戴したこと、本文とそのご返信とが毎回心があたたかくなるものばかりで、ゆっくりではありましたが、興味深く読ませていただきました。
(2)があるということですが、ひとまずの区切り、おつかれさまでした。ありがとうございました。
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
おはようございます
最後までお付き合いいただき、心からありがとうございます!
こちらこそ、コメントいただいたことへのうれしさのまま、その余韻でいつも長々と返信しまして恐縮しております💦
「興味深い」といってもらえるのが本当にうれしいことです
この「言の葉」は日本語の良さとか、奥深さとか、それを知ってもらいたくて始めたものですので
どこかで触れたかと思いますが、世にあまたある「美しい日本語」の書籍に感銘を受けて自分もと、おこがましくも
こちらは現在、一つのことにしか集中できないたちで本当に申し訳ないのですけど、真沙緒さんにもいつか「開き直っていいんです」って言ったように私も開き直ってカクに集中しています
そちらに、いやもう皆さんのところへ伺えなくて浦島太郎ですが、そちらにまたお伺いした時にはよろしくお願いします