本日もまた、ためになるお話をありがとうございました!本当に意味深ですね(*^^*)
作者からの返信
ありがとうございます!
江戸時代、さらに明治と
日本人はいろいろ入ってくる外国語を身近な日本語へと変換するのに尽力しました
探ってみると、これをこう訳したのか!?
と、先人の苦労と知恵に驚くばかり(哲学、経済などなど…… がんばりすぎて、日本人は外国語に疎遠となってしまったというちょっとしたマイナスもありますが)
昔のことですから、どうしても仏教的なものが多くなるのもしかたない?
その一端をちょっとでも紹介出来ているとすれば、それこそ「言の葉」の喜び
今は先人の苦労と知恵に逆行するように、カタカナ語がもてはやされますけど
こちらこそ、本日もお読みいただき、大変うれしいです
これからもよろしくお願いします
どういう過程で、禅の言葉が見いだされて小説等フィクションにあてられるようになったのか、興味深いですね。
(たぶんそんな過程はもうわからないでしょうが)
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
おはようございます
朝から学習(笑)にお付き合いただきありがとうございます
他の方へも「主人公」にいただいたコメントで返信しているんですが
江戸時代の通詞(今でいうところの通訳)から始まり、明治・大正にはときの文豪たちが翻訳というよりももはや変換とでもいうべきことをなされているんですよね
調べると結構、面白いです
あれもこれも造語だったんだ、何かから持ってきたんだって
多分、そのなかの一つとして主人公もあてはめられたのだと思います
いずれにしても、当時からなじみ深い、でもちょっと難解なところで仏教から言葉を持ってきていたんだとは勝手に推測しています