編集済
私の書いたものと真逆な内容で、苦笑いしてしまいました(^_^;)
確かに通常の想いは、素晴らしいものです。全ての事に言えることですが、あまりにも度を過ぎてしまうのは、感心出来ないですねという話を書きました(*^^*)
作者からの返信
コメント、ありがとうございます
MarisaさんにはMarisaさんの感性があるので、そこはあまり気にしなくていいのでは?
あくまで、この「言の葉」は「私(歩)が」感じたことですし
そこからまた、読んでいただいた方が共感、あるいは反感、どちらにしても私はうれしいです
何かしら心に残ってくれれば
「もったいない」ですが
妖怪(付喪神)とか、昔話とか、そんなのを研究していると思うこともあると、そんなところです
昔はあんまり使い捨てできるものがなかったから、でしょうか。でもほかの国だってそうだったでしょうに、この概念が日本だけって、不思議ですね。やっぱり、
>人間は自然よりも下位にある。
この意識でしょうか。
江戸時代には、ロウソクのロウとか紙くずを買い取る業者さんがいたらしいですし。
作者からの返信
三奈木真沙緒さま
自然より下位にあるっていうアニミズムの精神は確かにですよね
今でもそれは日本人の心に根付いていると感じるときは多いです
ただ、そうなんです、江戸時代の話でいうと、本当にすっごく節約社会だったっていうのはこの一年で知りまして、そこもあるのかなあって
「江戸に行けば何とかなる」的な、そんな商売あるの? みたいなものもありましたしね
正月のあいさつ回りは侍の仕事、そこで相手に送るのが白扇
それは今でいうリサイクルされていたようです
熨斗もともと「乾燥したアワビ」なんですけど、それも
たくさんもらったところはリサイクル業者へ、送る側もそこで購入、結局ぐるぐる回っていたという
正月に忙しいのはそんなあいさつ回りの侍で、商人、町人は大晦日こそ取り立てで大忙し、正月になるともうぐったりだったそうですけどね(落語でよくあるネタです)
そんなこぼれ話しつつ、米が為替の基準であった時代、特に不作の多かった東北では「物がない」「食べるものもない」こと多く、それでもったいないも生まれた気がし出しています
江戸、京大阪の都会は飽食、米ばかり食って脚気になって、それを「江戸病」とか「大阪病」とか言っていたらしいですけど
豊かになると「もったいない」を忘れがち
昔は……って、いうのはあれですけど、でもSDGsとか言っているよりも、もったいないやおおらかな日本人の心で今の世も行きたいとは思います、私は
分け合う気持ち、助け合い、ものがない時代だったからこそのそれも必要かと
ちょっとずつ進化?(笑)している考え方、引き出してもらって長文になりましたが、今日もお付き合いくださいましてありがとうございます