それは【正義】ではない

 自己愛性人格障害者は特定のパターン行動をとるために、被害者が集まると、
「まったく同じことをやられました」
 同じ人物なのかと想うほどに、加害者の行動がぴったり一致します。

 加害行動がパターン化しているならば対処できるでしょう? と想いますよね。
 ところが、一貫して精神科医は「逃げて下さい!」としか強く云いません。
 そのくらい破壊力が強く、ターゲットにした人間を猛烈な勢いで叩き落し、完膚なきまでに破滅させたいという【強欲】が抜きんでて強いのが、この障害です。


 一番わかりにくいのが、自己愛は【正義・正論】を武器にするという点ではないでしょうか。
 自己愛の用いる正義・正論の中身は、通常のものとはまったく違います。

 正義・正論を用いて、世の多くの悪徳宗教は信者を従え、人から財産を巻き上げ、ストーキングや盗撮盗聴をしているときけば、自己愛の強弁する「正義・正論」の中身のイメージが少しは分かるでしょうか。
 自己愛からの精神的DVを受けてズタボロにされていく被害者も、加害者からはこの「正義・正論」で毎日、猛攻撃を受けています。
 どういうこと? と想いますよね。
 正しいことならば、間違えているのは被害者なのだから、欠点を指導してくれる完璧な自己愛さまに素直に従えばいいのに……と。


 自己愛の用いる「正義・正論」とは、良心や道徳や社会規範に基づいたものではありません。
 わたしたちの経験や、心に根づいているものとは別種のものです。
 ターゲットを潰す目的、ただそれだけの為に用いる、【言葉だけの記号のようなもの】です。
 信号が赤なら停まります。
 だったら、「お前は信号すら守れないような人間だ」とターゲットに云い続け、ターゲットの周囲の人間にも吹聴し、自信を喪失させ、徹底的に叩きのめして踏み潰してやろう。これが自己愛の考えることです。


 ものすごい勢いで「いかに自己愛が正しく、お前が間違えているのか」「これはお前のためだ」と怒鳴りつけてきますが、まったく相手の為によかれとは想っていません。
 自己愛が常にトップに立ち、常にターゲットがはるか下にいて、ターゲットを自由に蹴ったり殴ったり、嘲笑するために、出し入れ自由に取り出してくる「正義・正論」なのです。
 本文中にも書いてありますが、どれほど自己愛の言い分に正当性があるように見えても、被害者になりたくなければ、完全に「無視」するのが正解です。
 何故なら、一度でもその正義・正論を受け入れてしまうと、これだけしつこく責め立てればこいつは屈服するのだと自己愛は誤学習してしまい、次はさらに大勢の人を巻き込んで、しつこくしつこく被害者を大声で恫喝してくるからです。


 そして人は、「正義・正論」である言葉に対して、初回で完全にそれを無視するということは、『出来ません』。
「人には感謝した方がいいですよね」
「(?)そうですね」
 この瞬間にターゲットもしくは、ターゲットを攻撃する駒として捕食されているのです。
 つまり結論からいうと、自己愛に一度でもターゲットとして狙われてしまうと、ターゲットは決して逃げられないのです。
 これが精神科医が云う「逃げて下さい!」の意味です。
 正義と正論を【権力】と見做した自己愛が、最大限に悪用しているのが、自己愛の唱える【正義・正論】の正体です。


 わたしは自己愛から【感謝】を強要されていました。
「してあげたのだから、感謝しろ。貴重なお時間を使って下さってありがとうございましたと言え」と。
 これは幼児が虐待されて殺された事件の加害者が、被害者の母子に毎日強要していたセリフとまったく同じです。虐待の正当化としての【感謝】です。


「ターゲットは挨拶も感謝もしないような人間だよ」
「自分ひとりの力で作品を創ってると想ってる。感謝がないよね」

 調べ上げたターゲットの周囲の人のもとに押しかけて、無関係な彼らに自己愛は悪評をばらまきます。
 残念ながら鵜呑みにしてしまう人は絶えません。
 自己愛はある意味人間の心理のスキを突くやり方をするので、人間の脳はこれを拒否できないのかもしれません。
 わたしには関係ない。
 そう思っていても、あなたを手駒にしようと目論んだ自己愛から、
「ターゲットについて注意喚起があります」
 声をかけられることは、往々にしてあることなのです。

 そしてあなたはそれに気づかないでしょう。
 何故なら、自己愛の表看板は「正義・正論・美談」で覆いつくされているのだから。