26-10「中央広場で水出し」


 メリッサさんとレオナさんの見送りを丁寧に断り、俺はシーラと共に早足で商工会ギルドを後にした。


 商工会ギルドの1階には待ち構えている商人もおらず、何事もなく俺たちはギルドを出ることができた。


 商工会ギルドの外へ出たところで、シーラが軽く背伸びをしながら尋ねてくる。


「ん~ イチノス君、この後はカレー屋だよね?」


 シーラは昨日、俺の店へ来た際に、ここ数日の俺の予定が書かれたメモをほんの一瞬見ただけなのに、しっかり覚えているらしい。


「そうだな。カレー屋に寄って、その後、店に戻ってから冒険者ギルドに行く予定だが、シーラも一緒に来るんだよな?」


「うん。今日は、冒険者ギルドで契約を済ませるまで、イチノス君と一緒だよ」


 そう答えるシーラが、少し嬉しそうに見えるのはなぜだろう?


「ねえ、イチノス君」


「ん?」


「カレーって、食べ物というか料理なんでしょ?」


「シーラはまだ食べたことがないんだな。そうだよ、カレーは食べ物だ。俺も、初めて食べたときは不思議な料理だと感じたな」


「ふーん。昨日、お姉さまに今日のお昼にイチノス君とカレー屋に行くって話をしたの」


 シーラが言う『お姉さま』は、東町街兵士副長のパトリシアさんのことだ。


「パトリシアさんは、カレーについて何か言ってたのか?」


「『辛くて刺激的な見た目と味わいだけど、何とも言えない旨味があって美味しい』って」


「ククク、パトリシアさんもカレーを食べたんだな(笑」


 そんな話をしながら、シーラと肩を並べて、東西に走る大通りを中央広場へ向かって歩いて行った。


 中央広場へ入ったとき、ふと昨日のシーラの言葉が頭をよぎった。


 〉お姉さまの家は

 〉中央広場の直ぐ側だから


 今のシーラの住まい――パトリシアさんの家がこの近くにあることを思い出したのだ。


「そういえば、パトリシアさんの家――今のシーラの住まいって、この辺りなんだよな?」


「うん、この広場の斜め反対側にある旧領主別邸、あそこだよ」


 シーラが指差す方を見ると、中央広場を囲む木々の向こうに、4階建ての大きな建物が見えた。


「ずいぶん立派なところだな」


「そうだね、この街のほぼ中央だし、両方のギルドにも近いし、イチノス君の店にも近いよね」


 日は既に天頂にあり、その日差しを浴びて、じんわりと汗が滲んできた。

 この時期でこれだと、本格的な夏が思いやられるな。


 そんなことを考えていると、シーラが斜め掛けしたカバンからハンカチを取り出して、額の汗を抑え始めた。

 俺はその様子を見て、小休止を提案することにした。


「シーラ、あの木陰にあるベンチで少し休もう」


「うん」


 シーラの返事を聞いて、俺は木陰のベンチへ彼女を案内し、カバンから風呂屋用のタオルを取り出して、ベンチにかけた。


「どうぞ」


「ありがとう⋯ ふぅ~」


 シーラはベンチに腰を下ろし、深く息を吐いた。その様子から、シーラはまだ完全には体調が戻っていないように思えた。


 シーラがベンチへ座ると自分の隣をポンポンと叩くので、俺もベンチに腰を下ろし、軽く体調を尋ねた。


「まだ体調が戻らない感じか?」


「もう大丈夫だけど、昨日の夜にお姉さまが魔道具屋の話をしてくれて、ちょっと寝不足かも(笑」


「魔道具屋の話?」


 シーラの口から、思わぬ言葉が飛び出し、思わず確かめるように問い返してしまった。


「うん、あの氷室の魔道具に使っていた魔石壺の面倒を見てた⋯ 実際には見てないか? その魔道具屋についてお姉さまが話してくれたの」


「ククク あの元魔道具屋の主の話か?」


「イチノス君に喧嘩を売ったんだって?」


「いや、勝手に絡んできて、勝手に自滅しただけだよ」


「ふーん。お姉さまの話だと、いろいろ怪しいことにも手を出してたみたいね」


「怪しいこと?」


「うん、なんかいろいろやってたみたいよ」


 シーラの話を聞いて、一瞬『いろいろ』とは何なのかが気になったが、軽く頭を振ってその思いを振り払った。

 今ここでシーラから聞き出す話じゃないし、あんな奴のことで時間を割く理由は、シーラにも俺にも、どこにもないのだ。


 それにしても、時折、頬を撫でる風が心地よいな。


「風が気持ちいいね」


 俺の気持ちを代弁するように、シーラが呟いた。


「そうだな」


 空気が乾いているからか、確かにシーラの言うとおりに気持ちいい風だ。

 ほのかに滲み出ていた汗も引き始めている。


 そんな心地よい風を感じながら、目の前の緑の絨毯で遊ぶ親子へ目が行った。


 三歳か四歳くらいの幼い女の子が、楽しそうに走り回り、それを母親らしき人物が小走りで追いかけているのだ。


 すると急に立ち止まった女の子が、母親におねだりを始めた。


「ねぇ、ママ~お水のんでいぃ~」


「あらあら、じゃあお家に帰ってお水を飲もうか?」


「えぇ~ ママ~お水ないの~?」


「ごめんねぇ、ママ水筒を忘れちゃったの」


「キイはね、いまお水がのみたいのぉ~」


「そうよね~、キイちゃん。お水が飲みたいよねぇ~。お家まで我慢できるかな~?」


「キイはいまお水がのみたいのぉ~!」


 子供のわがままは、なかなか手強いものだな。母親は困ったように笑みを浮かべてしまった。


 そんな親子のやりとりを見ていて、ふと自分の幼い頃を思い出した。

 そういえば、俺が幼い子供の頃、こんな時には家政婦長のエミリアがすぐに水を用意してくれたな。


「ねえ、イチノス君」


「ん?」


「水を出しても大丈夫かな?」


 おいおい、まさかここであの親子のためにシーラは魔法で水を出すつもりか?


 いや、待てよ⋯


「シーラ、俺が出すよ」


「イチノス君、いいの?」


「いや、たまたま持ってきてるんだ(笑」


「持ってきてる? もしかして⋯?」


「だけど、さすがにカップまでは持ち歩いてないから、その辺はシーラが助けてくれよ(笑」


「わかった、任せて」


 全てを察した表情で答えたシーラは、ベンチから腰を上げて、子供を諭す母親へ声をかけた。


 ◆


 結果的にカレー屋で水出しをするために持ってきた『水出しの魔法円』を使って、幼いキイちゃんに飲ませるために水を出した。


 それをキイちゃんは小さな手に掬って、美味しそうに飲んでくれた。


「まさかこんなところでイチノスさんに助けてもらえるなんて、思いもしませんでした」


 キイちゃんの母親は、驚きを満たした顔で感謝の言葉を告げてくる。


「いえいえ、気にしないでください」


 俺は微笑みを返しながら、それに応えた。


 キイちゃんの母親が頭を下げて礼を述べるのは、これで二度目だ。

 同じ言葉が繰り返されるのは、ちょっとしたご愛嬌だな(笑

 まあ、こんなところで俺から水をもらうとは思ってもいなかったのだろう。


 そして俺のことを 『イチノスさん』と呼んだことから、この母親は俺の素性を知っていることが分かった。

 しかし、残念ながら俺はこの女性のことを全く思い出せなかった。


「エルフのおにいちゃんとおねえちゃん、ありがとう!」


 幼子のキイちゃんは無邪気な笑顔を見せて、俺とシーラにペコリと頭を下げてきた。


「どういたしまして、キイちゃん。また会おうね!」


 シーラも手を振りながら優しい声で幼子に返す。その姿には、どこか温かみがあった。


「エルフさん、バイバイ~!」


 繰り返されるお礼を適度に切り上げ、俺とシーラは親子に見送られながらカレー屋への道のりに戻っていった。


 青空の下、シーラのおかげで良いことができた気分になり、足取りも軽い。

 この心の奥に浮かぶこの喜びは久しぶりに感じるもので、なぜか足取りも少し軽く感じる。


「イチノス君、なんか嬉しそうだね(笑」


 シーラがからかうように言いながら俺を見てきた。


「そうか?(笑」


 俺としてはシーラの方が嬉しそうに思えたが、上機嫌な笑顔を見せるシーラにそれは言えなかった。

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2025年1月11日 05:00

勇者の魔石を求めて 圭太朗 @Keitaroh

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