第13話 19years later
あれから19年。私としょうちゃんは、今も一緒にいる。あのあと、とんとん拍子に話が進み、私たちは夫婦になった。
私の両親が大暴れしてくれたおかげで結婚式もなく、二人で写真を撮って婚姻届けを出しただけ。しょうちゃんの親族とだけ集まり、食事会の席で挨拶をした。そんなひっそりとしたスタート。そしていつの間にか、元気な三人の男の子たちの親になった。長男は高校3年生。来春、私たちの元を巣立っていく。
雪と墨ほど育ちの違う私たちは、価値観の相違という理由で沢山喧嘩をしてきたように思う。喧嘩と言ってもだいたいが私が一方的にギャーギャー喚いているだけで、しょうちゃんは「そうねぇ」と言いながら、私が吐き出す糸を解し、纏める。ずっとその繰り返しをしてきてもう19年。あの頃と何にも変わらないけど、あれほど「リアリティがない」と思っていた幸せな生活もいつの間にか日常となり、今は二人とも白髪が目立つ年になった。
夫婦の危機は3年前。
離婚の危機ではなく、命の危機。しょうちゃんが出張先で倒れて心肺停止になったのだ。出張先は、奇しくも私たちが出会ったあの町だった。
この町で出会って、恋をして結婚して、新しい命を産んだ。あのものすごい過去の思い出は、いつの間にか家族の思い出で塗り替わっている。そして、一番大切な人の命の灯を、今懸命に守ろうとしてくれている人がいる。なんだか不思議な気分だった。
初めてのデートで訪れた海は、長男を連れてよく遊びに出かけた。カモメが怖いと大泣きする長男を、二人で一生懸命あやした。二人で初めて出かけたスーパーも、いつの間にか日常の一部になった。川沿いの小径を、長男をベビーカーに載せて、二人で交代に押しながら何度も歩いた。
しょうちゃんにで出会うまで、辛い記憶を思い出に昇華するなんてことはできないと思っていた。今までずっと引きずってきた重い記憶。それはずっと手元で持っていなければならないものだと思っていたけれど、時が経って「これが自分の幸せだ」と胸を張れるようになった頃、遠い遠い思い出の一ページとして扱えることができるようになっている自分に気付いた。
忘れることが強さなのではなくて、共に生きていくことが強さなのだと。そして私は、あの頃より随分強くなったのだと思った。
今の私は、結婚後から続けている介護の仕事の傍ら、とある団体の理事として社会貢献活動に関わっている。以前子どもを支援する団体の主宰者と対談をしたときに「人の営みは、どんなに便利な世の中になっても何も変わらないんだ」という現実を見た。
不条理の壁を乗り越えられずに立ち尽くす人。それを踏み台にしながら「自己責任だ」と叫び、我先にと壁を乗り越えようとする人。立ち尽くす人は、妥協と諦めという重い重い足枷をつけられているのに、それを取り払う術を知らないでいて苦しんでいる。それを取り囲むのは「死を選ぶのは逃げだ」と尤もらしいことを叫ぶ知ったかぶりの偽善者たち。
私は、そういう相談を受けた時にだいたいこう言う。「その足枷のカギは、自分で作れるものなんだよ」と。そして「足枷の色を、黒だと思い込んではいない?別にピンクでも、花柄でもいい」「死を選びたくなるほど真面目に生きなくてもいい」と。視座を変えなければ、同じ景色を延々と見続けるだけ。それが何も生まないことを私はよく知っている。
人生を代わりに生きてくれるわけじゃない他人に、足枷を外すカギなんて作れない。
私自身、多分自分で足枷を外した。確かに、しょうちゃんは私の手を引き共に歩いてくれた。時には背負って歩いてくれた。けれど、足枷を外すカギを作ったのは私自身。材料は、その時に触れた優しさや感じた悔しさや申し訳なさではなかったか。
確信じゃない。だから、私がこれだ!と思うまで、一緒に歩いてくれなきゃ困るよ、と昏睡状態が続くしょうちゃんに願った。お願い、こんな早くに逝かないでと。
願いが通じたのか、医師や病院スタッフが驚くような劇的な回復を見せ復職を果たし、昨年からは単身赴任中。一人暮らしは寂しいとLINEでぼやいてくる毎日だ。案外悪くない。恋人同士に戻ったような感覚が楽しい。それを言うと、いつもしょうちゃんは不貞腐れる。その不貞腐れた様子を隠しもしないのが可笑しくて仕方ないからわざと言うのだけど。
水のようにつかみどころのない人は、今もずっとそうやって私を愛し、まるで子を育む羊水のように、私の笑顔を守ってくれている。
風俗嬢になることでしか自分の存在を確認できなかった私に、一人の人に愛される幸せを教えてくれた。
生き直すことはできると教えてくれた。
あなたに出会えて、本当に良かった。
風俗嬢が恋をした 古田 いくむ @nakanohito12
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