第12話 リアリティ

 最近あったことや、普通に暮らせるようになりたいことを少しずつ、ポツポツとしょうちゃんに話した。話したというより、私が吐き出した細い糸をしょうちゃんが紡いでいく。そう言った方が正しいかもしれない。


 私の糸はよく絡まった。絡まるたびに「うーん…」と言いながら解す。その繰り返し。


 何度も話し合ってまず引っ越しをしようということになり、保証人が立てられない私に代わって、しょうちゃんの名義で借りることにした。二人で住むことを前提に探して管理会社なり大家さんに伝えていればいいし、どのみち週の大半はこっちにいるのだから、という事だった。


 仕事は、部屋が決まるのと同時に辞めると伝えればいい。伝えることは1回で済ませるほうが楽だから。携帯は、新しい番号知られるのもどうかと思うから、退店の時に返せばいいよね。


 昼間の仕事は、退店までの2か月で探せばいいさ。確かに給料は安いけど、大体の人はそれで生活してるから不可能じゃない。家賃や生活費はお互い出せばいいし節約とかなんとかは、二人で練習しよう。だいたいねぇ、自分が幸せになること以外は、そんなに重要なことなんてないんだよ。という言葉が、私の背中を押してくれたような気がする。


 時間を見つけて不動産屋を回り新しい部屋を決め、初めて調理道具を買って、初めて二人でスーパーに行って買い物をして、唯一作れるカレーを作った。ちなみに、ご飯の炊き方は知らなかったので、しょうちゃんに炊いてもらった。


 幸せだなぁと思うけれど、なんというかリアリティがないことが気になって仕方なかった。今までにこういう経験がなくて、本当にそういう世界はあるんだろうかという疑いを持っていたくらいなのだ。


 誰からも隠れなくていい。逃げなくていい。怯えなくてもいいのは確かに幸せなのだけど、今までの生活はそういう負の部分があったからこそ緊張感を保てていたし

生活に張りを生んでいたんだということに気付いた。これまで私自身の「屋台骨」となっていたものが、徐々に引っこ抜かれているような感覚と言うべきか。


 幸せは自分の心が決める、なんて誰かが言っていたけれどリアリティがなさ過ぎて「これが私の幸せです」と胸を張れない微妙な感覚。覚悟を決めてしまえばいいのだけれど、「やるか、やらないか」以前の「やりたいか、やりたくないか」で引っ掛かっていた。


 それでも、退店までの日付は迫っている。すっかり情熱を失ってしまっていたけれど、嬢としての責任は最後まで持たなければならない。その一心。それがしょうちゃんにも伝わっていたのかどうなのか、最後まで何も言わずにいてくれた。


 とうとう迎えた最後の出勤の日。ラストまで仕事をして待機部屋に戻ると、店長とドライバー、都合のついた女の子たちが待っていてくれた。


 みんなからの拍手と「お疲れさまでした」「おめでとう!」の嵐。一瞬何が起きたのかわからずその場に立ち尽くした。


 「今日までお疲れ様だったね」と店長が声を掛けてくれる。


 「また会おうぜとは言わない。もう二度と、この世界には戻ってくるなよ!」その言葉に涙が溢れて止まらなかった。20歳で右も左もわからないまま飛び込んだ愛と欲にまみれた夜の世界。怖い思いをしたことも沢山あったけど、私のようなはみ出し者に最初から最後まで優しかった。


 早く愛の巣へ帰れと急かされ、借りていた携帯を渡して部屋を出た。


 ここには、もう来ねぇよ。頼まれたって二度と来ねぇ。笑顔と涙でぐちゃぐちゃな顔で悪態をつきながら。


 リアリティのあるなしに関わらず時間は過ぎ、物事は終わり、また始まる。新しい世界に違和感はつきものなのだと思う。初めて飛び込んだ夜の世界もそうだった。すぐに馴染めたのは父のようなチンピラや、母のような頭のおかしい酔っ払いが見慣れていたからで、恋愛経験もろくにない小娘にとっては愛も欲も刺激が強くて「予想はしてたけど、大人って汚いんだな」なんて思ったし、弱肉強食も、金に物言わせる世界も恐ろしく見えた。でも、住み慣れてしまえば日常茶飯事のことになった。


 どのステージにいっても所詮は同じことの繰り返し。


 自分しか、ステージに立てない。演目が喜劇でも悲劇でも、どうやったら自分が輝いていられるのか考えるのは、自分自身なんだ。


 少し、覚悟ができた気がした。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

 

 

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