第11話 告白

 「店を辞める」と、誰にも言い出すことができなかった。


 住民票を移して、保険証も手に入れて、自分の携帯を契約したけど、何故か言い出せなかった。新しい電話番号をしょうちゃんに伝えることもできなかった。


 自分の生活をリセットするイメージが湧かない。昼間働くなんてやったことないしハローワークに行ってみても、何が自分にできるのかわからない。学歴は高卒。数字が大嫌いな商業高校卒だし、前職は風俗なんて言えない。ハローワークの人に「今までずっとバイトだったんですか?」とギロリと睨まれ、どんどん自信がなくなっていった。


 社会に復帰することって本当に難しいのだと実感すると同時に、ちゃんと会社で働けてるしょうちゃんってすごいなと思った。私に紹介される求人票に書いてある給料と、しょうちゃんが毎月もらっていると言っていた給料の額も全然違う。もちろん風俗の給料とも全然違う。月々10万ちょっとで暮らしていかなきゃいけなくなるイメージがぜんぜんわかなかった。


 普通の暮らしを手に入れることはもしかして叶わないのかな。無謀な夢だったのかなと考えて落ち込む気持ちと、こうでもしなければ生きていけなかったんだという自己憐憫の気持ちが交錯していた。


 「なんか、あったの?」そう切り出してきたのは久しぶりに会ったしょうちゃんだった。


 実家に行って以降、電話をする気力がなくてメールのやり取りばかりになっていたし、そんなに長文を考える余裕もなかったのだから心配されても仕方ない。


 まだ、何も言えない。そう思ってはぐらかそうとした私に向かって「俺たち、別れた方がいいのかな」と呟いた。


 「絶対、何かあるでしょ?でも俺には言えないと。そんな関係なら一緒にいる意味なくない?もしかして、他に男でもいたの?」


 驚くほど静かな声は、今まで浴びせられたどんな怒鳴り声よりも怖くて、思わず足がすくんだ。


 「違う!」そう返すのが精いっぱいだった。


 何から伝えればいいのかわからないだけなのに、それすらも言葉にすることができない。どんな表情で、どんな声で伝えればいいのかさえもわからない。それを間違えたら、きっと私はまた嫌われる。そう考えただけで心臓が痛くなった。


 せめて一言「別れたくない」と、どうして言えないのか。喉の奥まで出かかっているのに。


 「…どういう結果になるかはわかんないけど、とりあえず1日だけ一緒に過ごしてみない?俺、休み取るからさ」


 なんとなく、この人は私から離れていくつもりなんだと思った。


 もし私がしょうちゃんの立場だったら、こんなに面倒な女の手を一瞬でも掴んでしまったことに後悔する。初めから、そんなことわかっていたのに。その気持ちを見て見ぬふりをしていたのは自分自身。


 最後かもしれないデートの日、出会った時と同じ服を着て同じパンプスを履いて、同じバッグを持って、同じ口紅を付けた。


 離れていこうとする人へのささやかな抵抗。しょうちゃんが気付いても気付かなくてもどっちでもいいけど、出来たら気付かないで欲しかった。そうすれば、私にはもう関心がないんだと諦められるから。


 そんな私の思いをよそに、しょうちゃんは笑顔だった。初めて会った時と同じ格好だね。やっぱり似合うよ。そんなことまで言う。


 どうしてこんな日にまで普通でいられるの?と思わず聞いてしまった。


 「こんな日?えーっと…俺、別れたいなんて一言も言ってないよ。"別れなきゃいけないのかな"とは言ったけど」とニヤリと笑った。呆気にとられる私。


 「拡大解釈をしたのは、詩織ちゃんの方。で、別れたい?別れたくない?」

 「…別れたくないです…」

 「はぁ…良かった…俺今日、絶対振られると思ってたよ」


 そういって、また笑った。


 求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。叩けよ、さらば開かれん。この言葉の意味がわかるかい?俺は詩織ちゃんの願いじゃなくて、求めてるものが何なのか聞きたい。願いを叶えるのは無理な時もあるだろうけど、求めているものはずっと一緒に追いかけることができる。そう思わない?


 しょうちゃんの横顔を照らす日差しは、涙が出るほどまぶしかった。わたし、やっぱり普通の女の子になりたい。


 


 


 




 

 


 

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