終
……目がぱっちり覚めた。ここは何処かしら? あたしはどうして寝ているの?
身体を起こすと、紫色の和服がずり落ちた。白檀の香りがする。
香壺から煙が出ている。ああ、あれからするのね。この服も同じ香りがする。なんだか落ち着く香り。
「ああ、起きたんだ。おはよ」
「あ、おはよう……」
この人、誰だったかしら?
見覚えがあるのに、名前がわからない。
あたしはこの人を知っているのに、どうして? 知り合いだと、思うんだけど……。
すごく綺麗な顔。きっと化粧を落としても綺麗な顔をしてるんだわ。羨ましい。
ジーッと見ていると、クスクス笑われた。
あたし、笑われてる。でも、不思議と嫌な気分にならなかった。
「僕に見惚れちゃった?」
「ええ。貴方って、とっても綺麗な顔をしてるのね」
「っ、そう。褒めても何も出せないよ。…………って、キミ、僕が誰だかわかってないの?」
「ご、ごめんなさい」
「……はあ。そんなことだと思ったけど、やっぱりそうか」
「ご、ごめんなさい。あの、あたし、貴方と知り合いよね?」
「この状況で知り合いじゃなかったら怖いと思うよ。……まあ良いや。キミが小さい頃、夏祭りで迷子になった時に会ってるよ。僕を恐れずに手を繋いでくれたから覚えてる」
「あ、あの時の……? でも、あの子は、巫女服だったから、女の子じゃ――」
「うちは、女でもあるんやわ。……で、忘れたなら仕方ない。もう一度覚えていけば良いだけ。僕は弐色。神宮弐色だよ。……キミの大切なパートナー。まあ、恋人ってところかな。僕は男でもあるし、うちは女でもあるから、彼氏にでも彼女にでもなれる。きゃははっ。それにしても、忘れちゃうなんてひどいやないの」
声が男になったり女になったり、ころころ変わる。
あたしに恋人なんていた? こんなに綺麗な人があたしの恋人なの?
どうしよう……思い出せない。あたし、頭でもぶつけたのかしら。とってもガンガン痛む。
弐色さんは和服をたたんでいる。袖がちらりと上がって、腕の傷が見えた。治りかけのものから、今切ったばかりのようなものもある。あんなにリストカットしてるなんて、きっとつらいことがあったんだわ。
「ついでに聞いておくけど、自分の名前はわかる?」
「菜季よ。寺分菜季。心配してくれてありがとう」
「どういたしまして。…………僕は嘘吐きだから、今までの話は嘘なんだけど」
「何か言った?」
「別に。こやけのことはわかる?」
「こやけちゃんって、夕焼けの精霊様よね。あたしの飼い主の」
「……うん、そうだね。僕、お勤めに戻るから……こやけが来るまでおとなしく待っててね」
弐色さんはあたしの頬にくちづけてから出て行った。
すごく心細い。
こやけちゃんは何時に迎えに来るのかしら。スマホの着信音が聞こえたので、あたしは慌てて画面を開く。
「もしもし?」
「菜季。にーちゃんは嘘吐きやから気を付けて。そして、こやけは嘘を吐かないけど、正しい事を言ってるとは限らない。おかしな歌は逆さまに歌えば意味がわかる」
「え。それって、どういう意味? って、切れちゃってる……」
景壱は意味深な事だけ言って電話を切った。
ちゃんと教えてくれないとわからないって知ってるくせに。
弐色さんは嘘吐きなんかじゃないわ。あたしを助けてくれたんだもの。
ふと、カバンをあさると、お守りが出てきた。
頭が痛い。割れそう。誰か助けて。
あたしは障子を開いて、縁側に出る。一歩一歩進む度に頭の痛みが増してるようだった。
涙が止まらない。外に出て、弐色さんを見つけた。
「弐色さん! 助けて、頭が痛いの」
「……やっと、助けを求めたと思ったら、ねェ」
弐色さんは少し悲しそうな顔をしながらあたしの頭を撫でる。痛みが引いていく。今、一瞬だけ彼の目が赤色に見えた。目の色がいきなり変わったりしないわよね。きっと気の所為だわ。
空にはグラデーションができていた。青、青紫、紫、赤紫、赤、オレンジって色が折り重なっている。
いつまでも見てたいと思うような夕焼け空。遠くを飛ぶ鳥が真っ黒に見える。って、あれはカラスよね。
「さってさて、お迎えに来てあげたのですよ! 素晴らしい夕焼けに魅せられつつ、ようこそ夕焼けの里へ! 永久の安らぎをお約束するのです! いあねろどむおむ、おろこちおやほこく」
こやけちゃんは歌いながら空から下りて来た。
あたしは弐色さんから離れて、こやけちゃんの横に行く。すぐに手を繋いだ。小さい子供みたいで可愛い。
「帰りましょう。私達の住処へ」
「菜季、また遊びに来てね」
弐色さんに手を振って、こやけちゃんに手を引かれて、あたしは歩み始める。
石段を下りて、森へ入って、すぐに出た。短い気分なのね。橋を渡っている途中で、あたしは止まった。神社とは別方向にある森が気になる。あの森の奥はどうなってるんだったかしら?
「ねえ、こやけちゃん。あの森の奥はどうなってるの?」
「あの森は禁足地なのです。立入禁止なのです。入ってはいけません。森の中には川があって、橋を渡ってしまうといけないのです。もう二度とこちらに戻ってくることができなくなります」
こやけちゃんは、楽しそうに言うと、まるで森から離したいかのようにあたしの手を強く引く。
そっか。禁足地なら入っちゃ駄目ね。
でも、森の中に川や橋があるってわかっているなら、その森から出てきた人がいるんじゃない? と、あたしは思った。
了
森の禁足地 末千屋 コイメ @kozuku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます