第3話 お化け
「ねぇ、陽君」
「ん? なんだー?」
「お化け山って、どうしてお化け山って云うの?」
「あー。それは、ほら、俺みたいなのがいるからよ」
彼と喋れるようになって間もない頃、いつもの霧の中で、いつものように互いに背中を木につけて、そんな話をした。彼の執拗なお化けアピールに対して、私は嫌な気持ちはないんだけど、気になったことをはぐらかされるのもまた嫌だから、そういう時はちょっと睨んで訴えることにしていた。また、私の訴えに対する彼のアクションも決まっていて、少し笑うんだ。
「アハハ。もう全然信じてくれなんだな」
彼のひょうきんな物言いに釣られて、私も笑みがこぼれてしまうことがあるのだけど、この時は流されないように、目をそのままに、訴え、質問への回答を催促した。
しばらく見つめ合うと彼は根負けした様子で、少し申し訳なさそうな苦笑いを浮かべてから、
「お化けがでるからだよ。その名の通りさ」
と、真面目な口ぶりで言った。
すかさず、
「それって、普通のお化け?」
と問うと、
「……普通のお化けって、なんだ」
と、彼はまた笑った。
「えっと、だから、陽君じゃなくて、本当のお化けってこと?」
いよいよ聞きたいことの真相を口にした。すると、彼の口は止まり、何やら言葉を選ぶかのように少し口を開けた表情で、私を見つめる。
崖奥の海から、ブォーと、漁船の警笛が聴こえた。音が収まってから、ようやく、具体的な話が、始まる。
「まぁ……そういうことやんな。昔々にな、ある男が、将来の不安とか、自由に生きられないことへの
反応を確かめたいのか、早々に話を切って、隣に座る私に目を配ってきた。私は黙って頷く。
「んでな、当時の霧白町は『優しい町』なんて呼ばれてなかったんよ。普通の小さい町さ。村社会的な考えが根付いていたから、他の人から見たら、むしろ陰湿気味かもしらんな。だから『彼』はとりあえず、山奥……、つまりここ、霧白山に住むことにしたのさ」
彼が言う『彼』とは、果たしてどっちなのだろう。
また目が合った。私はまた頷く。
「……『彼』は細々と、自由に、そして自分が思う芸術の世界に生きた。木を切っては下手くそな木こりの熊を作って、お世辞にも上手とはいえない風景画を描いては自宅の外に飾り、ゴミを拾っては打楽器に変えてオリジナルの曲を作った。時折出会う町民の訝し気な視線は一旦懐に収めて、むしろこっちから大声で挨拶をかまし、山奥で道に迷った人を見つけては助け、とにかく、やりたいように、思うままに生きた。するとな、意外よ。次第に溶け込んできたんだ。明日の飯のあてもない変人に、町民は施しを与えるようにまでなったんだ」
この辺りから彼は私の反応を確かめることをやめ、まるで自分のことを話しているかのように語気を強めていった。
「作られた木像や画は、あろうことか、お金に換えられ、町の幼い子供は山に集まり、皆で『彼』が作った歌を歌って、踊った。『彼』は、そんな光景に感動し、感謝した。霧白町に来るまでの『彼』は自分の家族にすら変人と呼ばれ、避けられてきたのに、この町は、町民は、最初こそ迫害まがいの態度を取ったけど、そんな変人を受け入れたんだ。『彼』も上っ面の明るさを振舞うのはやめて、心の底から町民を受け入れるようになった。そして、ある日、ずっと抱えていた自らの悩みをも打ち明けた……」
「悩み?」
「そう。敷かれたレールを歩むことへの不満さ。自由に生きて、もしくは、レールの上では自分の力が発揮出来ないことを悟って、外れてしまって、結果、如何に貧困になろうと、
とても難しい話だった。陽気な彼しか見たことがなかった私にとって、この時の彼の、崖奥の景色か霧かを見据えるような遠い目は、いや、目はフードで見えないのだけど、きっとそういう目をしている、分かる、ひどく、寂しい顔つきだった。
「『彼』は、自分を否定する世界から逃げてきたんだ。だからこそ、そんな自分を受け入れてくれた町を心の底から気に入ったんだ……」
強まっていた語気はいつの間にか弱々しく掠れ、話は終わった。
陽君が云う『彼』の悩み、生き方は、正しいのか、間違いなのか、私には分からない。理想的だな、とは思う。だけど、強い人間が弱い人間を守る……。そうすると、前者ばかりが損をしてしまうから、後者に対してヘイトが向くのもまた、仕方がないことのようにも思えた。
だからこそ弱い人間は強くならなければならない。
強い人間にとって、迷惑だから。
何故「お化け山」は「お化け山」と云われるのか。肝心の答えを聞いていないことに気が付くのに、少し遅れた。
「——あぁ、そうだった。『彼』はね、死んじゃったんよ。自分を受け入れてくれた町民たちにお返しをしようとした矢先に、崖から堕ちちゃってな」
「そうなんだ……。どうして崖から堕ちちゃったの? どういうお返しだったの?」
陽君は「んん?」と優しい声色で訊き返し、次第に遠くにいっていた目が戻ってきた。私に焦点を合わせてから背伸びをし、また崖の方に顔を戻す。
「感謝の気持ちをでっかく表現しようとしたのさ」
死因については、何故だか触れられなかった。語気の強まりは収まっていたから、彼は勢いのままに話している訳じゃない。だから、あえて無視をしているような気がして、二度は訊けなかった。
感謝の気持ちをでっかく表現。こっちの方は、今となって、いや、正確には、彼が消えた日に言った最後の言葉を以って、少し分かる。「でかい文字を書く」。これと同義、なのかしら。
「じゃあ『彼』は良いお化けなんだね」
「ふっ。そうだな。いいお化け、だな」
率直な感想を述べたら、何故だか鼻で笑われた。
感傷に浸っている彼の横顔には、深い霧と、目を覚まし始めた鳥たちのさえずりが、よく似合っていた。
「……ところで、何でこんなこと気になったん?」
「陽君がお化けお化け言うからだよ」
「あー、そっかそっか。そうだった。ほれほれ~、そのお化け山のお化けが俺やぞ~」
舌を出して顔を向けてきた。いつもの陽君に戻ったみたい。
私は反応に困り、顔を伏せ、身を縮こませた。いつもの「アハハ」という陽気な笑いが聴こえたかと思ったら、いきなり例の喋り方で感情だけを伝えられる。
「しかし、嬉しいわ」
もう、いつもいつも……。
「そのいきなり言ってくるやつ、わからないよ」
「ごめんごめん。えっと、つまり……だ」
間が空いてシーンとしたから、ちらっと彼を見た。
「夜空とこんなに喋れるようになって、マジで嬉しいんよ。まだまだ、いくらでも会話の練習相手になってやっから、任しとき」
私はまた咄嗟に顔を伏せた。やっぱり続く「アハハ」という陽気な笑い声。
体育座りの膝に顔を突っ伏していたら、体の隙間から射しこむ太陽の光が気になって、慌ててスマホの画面を見た。
過ぎた門限と、母からのメッセージ。
立ちあがり、彼に別れを告げ、急いで家路を走った——。
お墓を見つけた日は遅くまで探偵ごっこに勤しんだ。
いざベッドに入っても、私はやっぱり中々寝付けず、陽君との会話を思い出していた。
この日の探偵ごっこは最初こそ諦めムードだった。「お化けなんているわけがない」。陽君を探すための動力になっていた私たちの絶対的な自信は、あるいは希望は、科学的と云えて、現実的だからこそ、絶対的と云えるものだった。それが、あの夕日に照らされたお墓を見せつけられ、揺らいでしまったんだ。
でも、最初だけ。
慎重に、冷静に、改めて考え直すと、彼をお化けだと決めつけるには幾つかの疑問が残っている。
そもそも彼の名前は、本当に八雲陽なのか?
あの優しい警官は言っていた。八雲さんはこの町で有名な人で、且つ、「陽」という若い男の子は聞いたことがない、と。
有名な人の子であれば、知っていてもおかしくないんじゃないかしら。本当に知らないのであれば、やっぱり彼は八雲の苗字を持たない、全く関係の無い人なんじゃないかしら。
ただ、「陽」という決して多いとは云えない名前がお墓の名前と一致しているから、分からない、どうだろう。
陽君から聞いた昔話の『彼』、崖から堕ちてしまったという『彼』のお墓があれと考えるのも合点がいくし……。
とにかく、調べるべきことが未だ多く残っていることは分かる。そして、全ての答えのカギを握るのは「八雲さん」だ。
眠れない夜といっても結局いつの間にか落ちていて、目が覚めてから、最後に確認したスマホの時刻を思い返して、何時間眠れたのかを逆算する。
起きて、しずくの懐でもぞもぞとスマホを探していたら、彼女もとっくに起きていたみたいで、不意に頭を撫でられた。そのまま「おはよ」と、寝起き特有のしゃがれた声で囁かれ、額に唇をつけられる。
早く、お化けの正体を暴きたい。そして、この愛情からも抜け出さなくちゃ。
いつからか、私のお化け探しの目的は、陽君に会うためだけではなく、自分自身のためにもなっていた。彼に会えた時、その時の私は、何かが変わっている。一歩、強くなっている。
そんな錯覚に陥っていたんだ。
筋肉痛は構わない。朝から交番に出向き、八雲さんについて詳しいことを尋ねにいった。
しかし、早々に出鼻を挫かれることになった。
上司といっても、広い意味でのことだったらしく、つまり、霧白町の警察官ではないことが分かった。というか、現役ですらないらしい。定年を迎えた今はなんと、政治家に転身したとか。次いで、山奥にあった家は別荘だとか。
想像を遥かに超えた有名人であることが分かり、更に陽君が遠ざかってしまった気になってきて、掴んでいたしずくのTシャツに、少し、
「まったく、お化け山は行っちゃダメっていったのに。元気なのはいいことだけど、本当に危ないんだから、気をつけなよ」
「根村さーん。そんな怒らないで下さいよー。どうしても気になることがあったのー」
優しい警官は根村さんという名だった。しずくは早々に「ねむらないさん」とイジったけど、今は叱られているところだからか、初めてちゃんと名前を呼んだのを聞いた。
「相変わらず探しているのかい。その、陽君って子のこと」
「そうなんですよ。根村さん、本当に知らないんですか?」
「言ったでしょ? 僕はここに来て一年経たないくらいだ。小さな町だから大体のことは把握したつもりだけど、流石に町のお偉いさんといっても、家族関係までは分からないよ。……って、ちょっと、何? その目、やめてよ」
相変わらず私の盾になっているしずくの表情は容易に想像出来た。きっと「使えないなぁ」と、細めた目で訴えている。
「わ、悪かったね。でもしょうがないだろ? ほら、この町、少し変わっているところがあるから」
いきなり発せられた根村さんの気に掛かる言葉に対して、しずくの声と私の思考が重なった。
「変わっていることですか?」(変わっていること?)
「あぁ。引っ越してきた時ってさ、ゴミ捨てのルールとか、色々と案内をもらうだろ? その中の一枚に、変なチラシがあったんだ」
「どんなチラシですか?」
「『人に優しくしましょう』って大きく書いてあるチラシさ。まぁ『優しい町』なんて言われているわけだし、宣伝的な意味があるのかもしれないけど、最初は不気味に思ったものさ。なんか怖いだろ? 宗教染みているっていうかさ……。ほら、夜空ちゃんも越してきた時に見なかったかい?」
不意に話を振られて動揺したけど、すかさずしずくが適当なことを言ってごまかしてくれた。
「——そうかい。でね、蓋を開けてみれば、たしかに親切な人ばかりで驚いたんだけど、妙にね、自分たちの町のことに関しては口が重たいんだ。それこそ僕も『お化け山』の由来について尋ねたことがあったんだけど、なんとも喋りたくなさそうな雰囲気を出すんだよね。道とか、お店とか、そういうのは丁寧過ぎるくらいに教えてくれるのに。だから君たちが言う『蔵』とか、『お墓』とか、僕が分からなくたってしょうがないだろ? ……しかし、そうかい。お化け山にお墓ねぇ。あー、なんだか余計に怖くなってきちゃったな」
話を聞く程、得体のしれない感情が胸の中に湧いてきた。恐怖に近い感情。陽君を探しているだけなのに、それが何らかの
今まで見てきた地蔵や墓、あの日の腰の曲がったお婆ちゃん、そして、陽君の姿まで印象が変わってしまう。
「小さい田舎町に隠された秘密かぁ。これは今夜も眠れないなぁ」
しずくの平坦な疑問の言葉も、私の胸をざわつかせた。この中で私だけがお化け山の由来を知っている。あの昔話のどこに、口を
やはり『彼』が崖に堕ちたという真意、かしら。何か、裏があるのかしら。
根村さんがわざとらしく咳込んだ。しずくが言った「眠れない」というワードに引っかかったのだと思う。
交番から出て、ひとっけのないあぜ道を歩いても、私の顔は上がらなかった。歩けど歩けど、来る時には気が付きもしなかったのに、干からびて動けなくなったミミズたち……、無数にいる彼らに、やけに目がいって、踏まないようにずっと下を見て歩いた。
最近、雨は降ったかしら。
ミミズは水気を察すると
しかし水源のない泉は当然枯れるから、毎度雨が降っては出来上がる偽の泉に、その幻覚に惑わされて、共に干からびる。
何世代も、繰り返す。
ミミズたちは、何も学ばない。
だけど、そう卑下する私も、似たようなものなのかしら。
陽君という幻覚の泉を遊泳し、枯れて尚、幻覚と知って尚……、いや……、
「——夜空? 何考えてるの?」
しずくに呼ばれてハッとした。ハッとしたのだけれども、
「ううん。何も」
と、私は努めて冷静に返して、彼らを踏みつけないように、引き続き下を見て歩いた。私のために頑張っているしずくに対して、いよいよ陽君の存在に疑心暗鬼になってきた、とは言えるわけがなく、ただずっと、下を見て、歩いた。
しかし、
「お化けなんて、いるわけないよね」
ボソッと、しずくが言った。
今度こそ本当に、もはや驚きを隠す余裕もなく、芯からハッとした思いで、隣のしずくに目を奪われた。彼女も同じく、自分の足元を見ている様子で、しかし、彼女の視界に映る干からびたミミズたちが私と同じ思考に至らせたのかは、分からないのだけど、いや、そんなはずはないとは思うのだけど、少なくとも彼女の発言は、彼女自身にも言い聞かせているかのようにも見える、そんな、重たい一言だった。
容赦なく光を降り注いでいた太陽が、ずん、とでも言い表したくなるほどに、いきなり暗転して、自分の瞳孔が動くのが分かった。
神々しい昼の空を見上げると、鳥のような形をした
家で、しずくに例のお化け山の由来を共有した。しずくは終始、下唇を少し噛みながら私の話を聞いていて、話を終えると、その表情のまま
「うーん……」
と、低い声を漏らした。
悩ましい表情。
気持ちは分かる。
しずくが見せるその表情は、謎が謎を呼ぶ状況に対してのものでは、ないんだ。
ふたり、意見を交換し合って、やっぱり気持ちは一緒だった。
陽君から聞いた昔話と、根村さんから聞いた情報を照らし合わせて気になることは、「何故、町民は昔話を喋りたくないのか」「何故、私が『優しいお化けなんだね』と言った時、陽君は鼻で笑ったのか」「何故、『彼』の死因は語られなかったのか」「何故、陽君と『彼』の名前が一緒なのか」。
しかし、普通に推理をすれば、おのずと予想はたつんだ。
例えば、陽君の語った『彼』の死因に、何か後ろめたいことがある、とかね。
何か、当時の町民が『彼』に対して後ろめたい事件を起こして、結果、『彼』が崖から堕ちることになってしまった。
だから、喋りたくない。
だから、『彼』は優しいお化けでは、ない。あるいは、少なくとも、町民にとっては優しいお化けでは、ない。
このように、そこそこ筋の通った予想はたつんだ。
なのに、私たちの手が額から離れない理由は……、
「陽君が『彼』って考えたら、自然ではあるよね」
そう。しずくの言う通り、お化けなんていない、という信念が、いよいよ曲げられてしまうことが、理由だ。
お墓に刻まれた文字を見てから右往左往する私たちの信念。
お化けなんているわけない。
お化けなんているわけ……ない。
お化けなんているわけ……ない……よね?
もう、分からなくなってきた。
私たちは、陽君を見つけだす、という目的に走り続けるよりも、陽君というお化けが私の前に現れた理由を考える方向に、シフトを変えるべきなのかしら。
だって、その方が自然なんだ。
でも……、だとしたら、私はもう、陽君に会えない、ということ?
認めたくない……。
私は彼に、会いたい……、いや、違う、分からない、なんで、そんな、会いたいとか、ちがう、初めて普通に喋れた男の人ってだけなのに、なんで、認めたくないの? 会いたいの? ちがう、ちがう、ちがう……。
「——夜空」
今日だけで三度目。しずくに呼ばれ、ハッとした。
「とりあえずさ、今悩んだってしょうがないから、一個ずつ、調べれることからやっていこう」
そう言いながら、しずくは私のすぐ隣まできて、両手を私の顔に回してきた。柔らかい懐にうずめられる。
「八雲さんは簡単に会える人じゃなそうだし、『八雲陽』っていう昔の人と、その人に纏わる昔話も『ねむらないさん』が言うには、あまり情報は聞き取れなさそうだけど、やれることは絶対にあるからさ。ね?」
しずくのいいにおいに包まれて、荒れた心が徐々に安らぐ。
「陽君はお化けかもしれないって考えちゃうと、夜空はつらいよね。でもさ、もし仮に、百歩、二百歩譲って、本当に陽君がお化けだったとしてもだよ? 夜空を助けてくれたことには変わりないでしょ? 少しでも夜空を変えてくれたことに変わりはないでしょ? それに、そんないい人がさ、このまま一生夜空の前に現れないってのも不自然じゃん。きっと何か、夜空の前に現れた理由があるんだよ。それがこの先、分かるかもしれないんだから、せっかくなら、楽しも? ね?」
どうしてしずくは、いつも私の心が読めるのかしら。
しずくは最初、お化けなんているわけない、と、私を鼓舞してくれた。
今は、お化けだったとしても、と、鼓舞してくれている。
その時その時の状況で、私を最大限、励ましてくれてるんだ。
陽君がお化けだったら、やっぱり悲しいけど、しずくの言う通り、私には彼が残した何かを探しだす義務がある気がする。改めて、そう認識した。
無意識にしずくの胸に顔を強く押し付けると、
「よちよち。でもおっぱいはそろそろ卒業しないとでちゅねー」
といじられ、頬をつつかれた。
とても、安心した。
彼がお化けじゃないとしても、お化けだとしても……、うん、頑張ろう。
陽君のために。私が強くなるために。そして、しずくの優しさに応えるために。
その日の夜、しずくとテレビゲームをしている時、不意に家のチャイムが鳴った。
こんな遅くに誰だろうと思って、しずくと一緒に部屋の窓から玄関を覗くと、いつかの腰の曲がったお婆ちゃんがいて、母と何やら話をしていた。たまに町民からおすそ分けをもらっていることは母から聞いていたから、多分それだと思う。ビニール袋を受け取った母が何度も頭を下げているのを見た。
不意にしずくが、
「そうだ! 実際に訊いてみようよ。『八雲陽』の墓について!」
と言った。
私も咄嗟に頷いて、寝巻姿のまま急いで階段を駆け下り、ふたりで玄関にいった。
母とお婆ちゃんの会話を遮り、しずくが質問をぶつける。
「お婆ちゃん! こんばんは! あのいきなりなんですけど、お化け山にある『八雲陽』って人のお墓、知ってる?」
お婆ちゃんはいきなり現れた私たちに驚いたのか、目をまん丸にして、片手を胸に添えた。
数秒沈黙して、質問の内容を理解したらしい。
「あらあら、こんばんは。はて? お墓? さぁ、ごめんなさいねぇ。ちょっとお婆ちゃん、分からないわぁ」
その優しい笑顔には、明らかな違和感があった。
しずくと私のふたりになら分かる違和感だ。
あの日、初めてお婆ちゃんと会った日、私をそっと抱き、頭を撫でてくれた時に見せた表情とは明らかに、何かが違う。
細い目の奥に、どこか冷たさを感じる。
そんな、優しくて、怖い、笑顔だった。
間違いない……と思う。
根村さんの言う通りだ。
霧白町は……、お化けを……、隠している。
夏の霧(テスト版) 林堂 悠 @rindo-haruka
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