暮れる房

@fujisakikotora

暮れる房(へや)

●人物表

ナレーター(女)水谷と同じ声。

ナレーター(男)ドクターと同じ声。

千秋(32)  既婚。亭主は不倫中である。

菅沼(26)  男性。就職四年目。

水谷(29)  女性。シングルマザー。

ドクター(?) 並行世界の研究に囚われた男。声のイメージは25歳。


●本文

ナレ(女)ときどき夢を見ます。夕暮れの五畳の和室に、ぽつんと座卓が置いてあ

     ります。耳鳴りが痛いくらい静かです。窓の向こうに、仏像か何かが立

     っていた気がします。私はかつて、この部屋にいたのです。部屋の外に

     も、部屋の中にも、何かおぞましいものの気配がして、私は目を覚ま

     します。暮れる房の夢です。

ナレ(男)千秋はその日、長々と洗面所にこもっていました。トイレに腰掛け

     て、物騒なものを開けたり、閉じたりしています。シャキシャキ、シャ

     キシャキ、物騒な音がしています。

千秋   二人してあたしをバカにしやがって。二人ともやる。二人ともやって

     やる。現場を抑えて・・・いや、現場抑えたら、あれか、慰謝料巻き上

     げた方がいいか。いや、気が済まないな・・・。くそ。

ナレ(男)物語は、その一時間後に始まります。千秋さんは再び洗面所にいたので

     す。

千秋   ああもう・・・お風呂場洗わなきゃ・・・疲れちゃったから後でや

     ろ。

     え・・・?開かない。ちょっ。ちょっと。ねえ!開かないんだけどこ

     こ!・・・え、何、あんたひょっとしてドア押さえてんの?やめて

     よ!まさか女連れ込んでんじゃないでしょうねえ!?

     あ、開いた・・・え、何これ・・・。

ナレ(男)ドアの外はいつの間にか知らない部屋になっていたんですから、驚く

     のも無理はありません。夕暮れ時の畳部屋。円卓がぽつんと置いてあ

     るだけのワンルーム。元の色が分からないほど焼けたカーテン。ボロボ

     ロと崩れる、茶色の壁。

     洗面所を振り向くと、そこもいつの間にか昭和のユニットバスに変身

     してしまっていたのでした。・・・さて千秋さん、そろそろ部屋をウ

     ロウロするのも見飽きました。ともかく一度おかけなさい。

千秋   (ため息)

(5秒間の静寂)

菅沼   ぐわ

水谷   あ、ごめんなさい

千秋   わわ。・・・・誰?

菅沼   (水谷に)っくりした。

水谷   ごめんなさい。

千秋   誰誰。そっち二人いるの?どこから入ってきたの。

水谷   あ、いや、一人です私は。お二人は、このおうちの方ですか?

千秋   (ため息)

菅沼   いやいや、違いますけど。ここ・・・どこですか?

水谷   ええ?

千秋   知らない。あたしもさっきここへ来たの。洗面所から。あんたたち

     は?

菅沼   ・・・えー・・・。

水谷   あの・・・帰りますね?は、お兄さん、外出たらここがどこかわかり

     ますよ。

菅沼   そうっすね、とりあえず、僕も出ます。

千秋   あのねえ。

菅沼   うわ。

水谷   何これ。

千秋   そこが玄関。あたしも試したけどだめ。コンクリで固めてあるよ。

水谷   (思いついて)じゃ・・・

千秋   窓でしょ。開かない。だいたい、窓の外に格子があるよ。見えるでし

     ょ。キッチンの窓は小さすぎるし。

菅沼   これ・・・夢ですよね?

千秋   あれ見える?この窓すりガラスだけど、向こうに高い塔みたいのがある

     よね?

菅沼   ・・・はい

千秋   あれ見てるとさ、なんかすごくしっかりこの世界が成り立ってる感じ

     がするの。分かる?あたしだけ?

菅沼   (怯えて)なんすか、あれ。

水谷   大きなお釈迦様?

千秋   分かんない。でもなんか、とんでもなく濃いよ。気配が。これが夢じ

     ゃないって思わせるのに十分なくらい。

菅沼   ・・・え、じゃ、僕たちここに閉じ込められたってことですか?

千秋   ・・・だから。どうやったらここから出られるか考えようってこと

     よ。

水谷   そうですね。私、水谷です。

千秋   千秋。中井千秋。

菅沼   菅沼です・・・

千秋   そもそも、この部屋に来たのだってまともな手段じゃないでしょ。出

     るのにも何か違う方法があるかも。

水谷   千秋さんはどうやってここ来たんですか。

千秋   あんたたちと一緒だと思う。洗面所から。二人は、一緒だったの?

菅沼   いや、僕が先でした。洗面所出たところでぼーっとしてたら、後ろか

     ら、み・・・?

水谷   水谷。

菅沼   水谷さんが。

千秋   洗面所・・・。とりあえず、洗面所調べてみるか。

水谷   そうですね

千秋   よいしょ。(ドアを開ける)

菅沼   しばらく使われてなさそうですね。

水谷   壁の配管、なんか・・・血管みたい。

菅沼   やめてくださいよ

千秋   どいて。調べるから

菅沼   そんなに調べる場所ないですよ。

水谷   鏡!鏡は?薬棚みたいになってたり・・・・千秋さん?

千秋   これ、見えてる?二人とも。

水谷   なんですか?

菅沼   どこ?

千秋   鏡の中にさ。

水谷   ここからは見えないですよ。菅沼くん、何?

菅沼   え?いや、普通の鏡ですよ。棚とかもないですし。

千秋   もうここはいい。

水谷   ええ?

千秋   居間に戻ろう。

菅沼   あ・・・え?

水谷   (小声で)何?

菅沼   (小声で)さあ。

千秋   もっかい座って考えよう。

菅沼   自分、あの塔ほんと苦手っす。

水谷   こっち座ったら。

菅沼   はい・・・。

水谷   あの・・・あの塔で思い出したんですけど。あたしちょっと前に変な夢

     見たんですよ。電話ボックスの夢なんですけど。

千秋   電話ボックス?

水谷   はい。真っ黒なんですよ。で、とんでもなく背が高いんです。私、夢の

     中でその電話ボックスに入って、受話器に何か言ったんですよ。返事

     はなかったんですけど、誰かが聞いてる感じがしました。それだけで

     す。

菅沼   それ。僕もその夢見ました。

千秋   何それ。

菅沼   同じ夢だったと思います。なんか、ねばついてるんですよその電話ボッ

     クス。生きてるみたいなんです。絶対触りたくないのに、ドア開けて中

     入っちゃうんです。僕も何かしゃべったと思うんですけど・・・。あの

     塔見てると、確かに同じ感じがします。

水谷   何話したの。

菅沼   いや、それは全然、覚えてないっす。

千秋   電話ボックス・・・。

水谷   千秋さん、ひょっとして、千秋さんもその夢見てます?

菅沼   ああっ

千秋   何!

菅沼   今、何か聞こえませんでした?あのすりガラス、何かが引っ掻いたよ

     うな・・・。

(静寂)

水谷   (小声で)何も聞こえないよ?なんか見たの?

菅沼   (小声で)いや・・・はっきりとは・・・。

千秋   気のせいじゃない?(2秒の静寂)ていうか、ここ静かすぎ・・・。

     住宅街っぽいのに、まるで私たちしかこの世界にいないみたい。

ドクター 正解でーす。

菅沼   ううううわ。

水谷   なになに。。

ドクター 千秋さん、正解でーす。

千秋   ・・・何あんた。

ドクター ドクターと呼んでください。

千秋   どこにいんのよ。正解ってなに。

ドクター この世界には、あなた方しかいません。人間は。

千秋   この世界?

ドクター おめでとうございます。あなた方は世界をジャンプしました。

菅沼   ジャンプ?

ドクター いわゆるパラレルワールドです。

水谷   は・・・?あんたがやったの?

ドクター いや、今回のジャンプは紛れもなく皆さんのおかげですよ。皆さんのせ

     いというか。

千秋   どういうこと。

ドクター 私ね、パラレルワールドの研究、何年もしてきました。塔の存在は早

     い段階で突き止めたんです。全ての世界の中心に聳える塔。神だの、天

     の御柱だの、輪廻の中心だの、色々言いますがまあ塔でいいでしょ

     う。しかし問題はジャンプでした。どっかに異世界への扉があるんじ

     ゃないかと、随分無駄足踏みました。ところが答えはずっとシンプル

     だった。全てはあなた方の中にあったのです。一つの世界を、ペラペラ

     の平面だとする。たくさんの世界が、パイ生地みたいに並行して重な

     ってるんですよ。「自己」というものは、そのパイ生地を全部貫いて

     いる爪楊枝なんです。ワレ発見セリ。異世界への扉はてめえの腹にでん

     ぐり返しを打つことで開く。実験成功。

水谷   何言ってんのこの人。

千秋   実験・・・それが電話ボックス?

ドクター 鋭い。全てはあの塔ですよ。電話ボックスは、あの塔が持つ無限の長

     さの毛細血管の小さなひとすじです。あなた方の願望と、あの塔の力が

     この世界を引き寄せた。

水谷   願望って何よ?さっきから。私たちのせいとか言って。

ドクター 自分に嘘はつけないですよ。あなた方、ちょっとホッとしてる部分あ

     るでしょう。まるで警察に追いかけられて散々逃げ回ったけど、捕まっ

     たら留置所でぐっすり寝ている殺人犯のように。あそうそう、逃げる

     といえば、無理に外出ない方がいいですよ。外は奴らが(途切れる)


(3秒間の静寂)

水谷   え・・・

菅沼   ・・・なんなんすか。え、外に何がいるんすか!

千秋   よく分かんないけど、あたしたち自分の力でここに来たって話よね。な

     ら帰れるかもしれない。

水谷   電話ボックス。

千秋   ・・・そう電話ボックス。と、願望。あたしたちの共通の願望ってな

     んだ。その夢で何話したの?二人とも。思い出して。

菅沼   ・・・あの、ごめんなさい。僕、本当は覚えてます。就職のこと。

千秋   就職?

菅沼   僕、実は今日自殺するつもりだったんすよ。会社イヤで。就職なんか

     しなきゃよかったって。もっと他にやりたいことあったのにって。言い

     ました。

水谷   ・・・大変だったんだね。

千秋   水谷。あんたは。

水谷   やり直したいことならたくさんあります。私、なんか、さっきドクター

     が言ってた「ホッとしてる」て気持ち、否定できないんです。

千秋   えええ?

水谷   ここでなら、全部の心配と無縁になれるなって。

菅沼   分かります。会社行かずに済むなって思いましたもん。・・・あ、千秋

     さんは?

千秋   何。

菅沼   いや、電話ボックスの夢。見たんですよね。

千秋   ・・・心当たりはある。

菅沼   ・・・なんですか。

千秋   それはいい。とにかく、あなたたち、いや私たちみんな、なんか悔や

     んでるってことでしょ。今の現実じゃない現実を求めてる。異世界を

     引き寄せたってそういうことじゃない。

水谷   逆をすればいいんですかね。元の世界に帰りたいと願えば。

菅沼   あっ。

水谷   何。

菅沼   今の聞こえました?

(3秒の静寂)

菅沼   やっぱなんかいますって!窓の外!

水谷   あたしも聞こえた。

千秋   静かにして。

(3秒の静寂)

水谷   止んだ。

菅沼   やばいっすよ。帰りましょう。わあ。

千秋   今度は何。

水谷   千秋さん。テーブルに。黒電話。

千秋   何これ。いつの間にここに。

菅沼   これですよ。あの電話ボックスと同じ感じがします。これもあの塔の一

     部なんじゃないですかね。

千秋   帰れるよ。多分。これで帰れるよ。なあ、帰りたいだろ?二人とも!

菅沼   こんなとこイヤです。

水谷   あたしは。あたしは、本当は帰らなきゃいけないんです。ごめんなさ

     い。本当はあたしも電話ボックスになんて言ったか覚えてます。「子ど

     もなんか産まなきゃよかった」って言ったんです。

千秋   子ども。

水谷   シングルマザーなんです。色々苦しくなっちゃって。正直あたしも自殺

     考えてました。

菅沼   あの、水谷さん。死んじゃダメですよ。お子さんいるなら、帰ってあ

     げてください。帰るべきですよ。自分、子どもの頃、家に置いてけぼ

     りにされたことあるんですよ。寂しくって死ぬかと思いました。うち

     も母子家庭だったんです。

水谷   そうだったの。

菅沼   お子さん、待ってますよ。絶対。絶対お母さんのこと待ってます。

水谷   ・・・そうだよね。

菅沼   実は、本当は僕、水谷さんみたいなお母さんを支援する仕事に就きた

     かったんです。

千秋   ・・・その話は今いいよ。

水谷   向いてそう。あのさ菅沼くん、余計なことかもしれないけど、仕事なん

     てどうとでもなるよ。頑張って。元の世界であたしもやってみる。人

     生にもういっぺん挑戦するから。

菅沼   ・・・はい・・・うわ。あれ、聞こえますか。

(2秒の静寂)

菅沼   います。なんかいますよ!ねえ!

千秋   あたしも聞こえた。この部屋に入ってこようとしてる。

水谷   あたし、とにかくやってみます。

千秋   頼むよ水谷。菅沼、あんたも頼むって。

水谷   菅沼くん。帰ったら向こうで会って話そう。これからできることだっ

     てたくさんあるよ。

千秋   そうそう、そうだよ。金なら貸してやる。帰ろう。

菅沼   ・・・僕は本当は・・・

千秋   いや電話!電話に言え!

菅沼   ああ。

水谷   いい?行くよ!私は!

菅沼   僕は!

水谷菅沼 わっ(途切れる)

千秋   ・・・・(息を呑む音)は?水谷?菅沼!

ドクター みんな行っちゃいましたね。あ、あなたは帰れませんよ。

千秋   なんで。どういうことだよ。

ドクター 人間には、願いを叶える力があります。それは未来に向かって、線路の

     分岐スイッチを切り替える力です。私の実験に必要だったのは、「こう

     なればよかったのに」という、過去のスイッチを悔やむ感情です。つま

     り隣の線路に飛び移りたい。ジャンプです。お分かりですか。

千秋   知らねえよ。元の世界に帰せって!

ドクター あの洗面所の鏡。死体が映ってたでしょう。あなたが殺した旦那と不

     倫相手。

千秋   ・・・え。

ドクター 仲良くお風呂入ってるの見て、血が登りましたか。お風呂洗わなきゃ

     なあって。そりゃそうでしょ。血まみれだし。

千秋   違う。

ドクター とにかくあなた、この世界を歓迎してるんですよ。さっきの二人より

     も。逃げ延びられそうでホッとしたでしょ。だから帰れません。

千秋   イヤ。

ドクター 何がですか。ちなみに、僕ももう元の世界には帰れません。これが僕

     の望んでいたことですから。研究の成果です。

千秋   ・・・誰か。

ドクター 洗面所はねえ、人が自分を覗き込む時間が最も長い場所なんですよ。

     お風呂はもう綺麗になってます。あの部屋もそのうち次の借り手がつく

     でしょう。あなたなんか存在しなかったみたいに。

千秋   助けて。

ドクター あなた、都合いいですねえ。あ、そうそう、外にいる奴ですけど、あな

     たよく知ってるんじゃないですか。あいつが人間だった頃を。聞こえ

     ます?シャキシャキ、シャキシャキ。よく知ってる音でしょ。じゃ、さ

     よなら

ナレ(女)ときどき夢を見ます。それは、私がかつていた部屋なのです。窓の外

     に、高い高い、黒い塔が相変わらず聳えています。ただ、部屋の様子を

     詳しく思い出そうとすると、私の中の何かがそれを止めます。ただ、耳

     を澄ますと(3秒の沈黙)いえ、もうやめます。暮れる房の話はもうし

     たくありません。さよなら

                                       終

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