エピローグ:これほど良いものはない
第19話
万緑期の最終月、新しい店は予定どおり城壁の内に、ドワーフの全面協力の元で完成した。一店目と同じようにゾノの店との同居で、これまでどおり店内を自由に行き来できる。
新しく作ったのはちゃんとした受付と鍵の掛かるキャビネット、カウンセリングルームはドワーフの技術の粋を集めた防音効果の高い部屋だ。カーテンやソファ、施術台のクッション部分はアラクネ達が担当して、淡い緑の色調でまとめてくれた。ゾノの方もあれこれ注文し、一店舗目になかった快適な環境を手に入れている。
「これは、『ハンマー肘』でしょうね。鍛錬で、ハンマーを振りすぎです」
ここへ移転してから通うようになった先代は、近頃もっぱら自身の鍛錬とゴタ達兵士の訓練に明け暮れている。リハビリ完了で完全復活したのが嬉しいのは分かるが、動かしすぎだ。
「そのようなものがあるのか」
私の見立てに、先代は驚いたように返す。あちらの世界ではテニス肘と呼ばれていた、主に
「こういう、振り向くように払い上げてぶつける動きは特に負担を掛けます。片手だと余計です」
デスクから腰を上げ、テニスで言うバックハンドの動きをして見せると先代は頷く。
「素振りで百回はしている」
「本番以外では控えてください。大事な時にハンマーを振れなくなりますよ」
「それはなかろう。私のシンキュウシは腕が良いのでな。いつでも速やかに整えてくれるはずだ」
嬉しげに笑む先代に、苦笑する。
「施術はしますが、ご自身で労っていただくのが第一です。今日はもう、鍛錬は禁止ですよ」
「ああ、そうしよう」
腕が痛むくせに機嫌良さそうな先代を施術ブースへ促し、カウンセリングルームを出る。今日も心地よく流れる歌に足を止めて、一番奥のブースへと向かった。
「イリスさん、今日の調子はどうですか」
私に気づいて歌をやめたのは、ハーブ水の桶に浸かるセイレーンのイリスだ。喉の閉塞感、圧迫感を訴えて訪れたが、「周りの目が気になって緊張して歌えない、歌おうとすると声が掠れて震える」こととその不安により起きるストレス性のものだった。
状況を改善するため、心身の緊張を解く鍼を打ちつつ、リハビリとして院のBGMを歌う役を提案した。今はまだブースに隠れて歌っているが、少しずつ表に出てこられたらいい。
「とてもいいです。皆さんのご様子はどうですか」
「皆さん、心地よく聴かれてますよ。イリスさんの歌があると、とてもリラックスできるみたいです」
良かった、と嬉しそうに顔を赤らめる可憐なイリスに頷く。柔らかそうな水色の髪と吸い込まれそうな藍色の瞳、きらきらと光る鱗は何度見ても見惚れてしまう。
「ただ、くれぐれも酷使はしないでくださいね。気持ちよく歌えるところで終わってください」
「はい。ありがとうございます」
挨拶を交わしてブースを出たあと、先代の待つブースへ向かう。大人しくベッドへ横たわって待つ先代を前に、手を清めた。
「魔族の中で、王族と結婚できない種族ってあるんですか?」
「いや、特に制約はない。しかし私にはそなたがいるから、もう要らぬぞ」
納まるところに納まったのだから控えてもいいはずなのに、むしろ日に日に増えていく。頬に感じる熱をごまかしつつ、先代の肌も清める。
「あなたではなく、ご子息です。この美しい歌を歌ってくれているセイレーンの方はどうかと思って。海と陸とでは、難しいのでしょうか」
あれから体調には問題ないらしいが、何かとストレスが多いのは見て分かる。私を見ても嫌悪感を剥き出しにすることはなくなったものの、未だ施術ができる距離感でもない。
呪いの解除と私の救出劇を経て、先代とも多少打ち解けた感はある。とはいえ親子だからこそ難しいものがあるのは、私も知っていることだ。共に過ごす一時が癒しになるには、まだ時間が必要だろう。
そこで、イリスだ。イリスなら性格もいいし美しいし、何よりその歌声で癒やしを与えてくれそうなのだが。
「それは周囲が考えることではない。心惹かれる相手に出会い惚れ合えば、二人でどうとでも越えていく。私とそなたのようにな」
伸びた手が、熱い頬を撫でる。この人は、本当に。
「……そうですね」
うまく返せない私に、先代は目を細めて笑んだ。
「じゃあ、施術に入りますね。すっきりして、お昼ごはんを食べましょう」
「そうだな。遅れては、シェイアに叱られる」
城外は相変わらずの寒さの魔族領も、城内に限っては別だ。今日の昼食は、色鮮やかに咲き誇るブーゲンビリアを眺めながら皆で楽しむ予定になっている。誰よりも張り切っているシェイアは魔王も誘ったらしいが、私がいるから来ないかもしれない。
鍼を打ち始めた私に先代は目を閉じ、イリスの歌に揺蕩う。やがていつもより早く聞こえ始めた大人しい寝息に安堵して、そっと頭を撫でた。
施術を終えて院の皆と向かった中庭では、シェイアとアラクネ達が準備を整えていた。一面に敷かれた織物の上に、美味しそうな食事の大皿が所狭しと並んでいる。
「鈴様、皆様、こちらです!」
嬉しそうに前脚を振って呼ぶシェイアに、応えて手を振り返す。
「あいつ、性格変わったな」
「いいじゃない、明るい方がさ」
薬湯のボトルを抱えたゾノが言うと、フィラが笑って答える。今はもう肩の痛みもきれいに引いたが、このままハーピー鍼と受付担当としてうちで働いてくれるらしい。
「皆さん、とても仲がいいんですね。驚きました」
先代が抱える桶の中で、イリスが驚いたように言う。湖からは移動魔法で通っているものの、この短距離移動なら桶ごと運搬した方が楽だ。先代の助けにイリスは恐縮していたが、王だからと厭うような人ではない。
「そうだな。魔族は皆種族ごとに動くから、平時では種族間を越えて共に働くような機会はほぼなかった。そこに人が入るなら、尚更だ。このような環境に身を置く日が来るとはなあ」
先代の肩でしみじみと語るルーカスに、先代も頷く。もちろん全ての種族が分かち合えることはないし、私は今もエンプーサには嫌われている。それでも、私を受け入れてくれる魔族達もこれだけいるのだ。
「安息の中で共に花を愛で旨いものを食い、語り合う。これほど良いものはない」
戦いを知る先代の言葉が胸に沁みる。今は私も、少しは近づけただろうか。
ゴタやボー、次々と集まる仲間を受け入れて、宴は和やかに始まった。おいしいものを手に笑い合えば、それだけで距離が近づいていく。
意外にも魔王は少し遅れた頃に現れ、織物の端で皆が盛り上がる様子を嬉しそうに眺めるイリスに声を掛けていた。一言目は多分、皆と話さなくていいのかとそんな気遣いだろうが。
――心惹かれる相手に出会い惚れ合えば、二人でどうとでも越えていく。私とそなたのようにな。
確かに、そのとおりだ。
すぐ隣を見上げれば、和やかな光景を見守る眼差しがある。胸にじわりと湧く温かなものを確かめながら、団らんを共に眺めた。
(終)
魔族領のシンキュウシ 魚崎 依知子 @uosakiichiko
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