俺は『逃げ足』専門スキルクリエイター
京高
俺は『逃げ足』専門スキルクリエイター
スキルとは経験により習得できる技能のことだ。その種類は一般生活の役に立つものから専門職業に必須なもの、更には戦闘系のものまで多岐にわたる。
およそ百年前、このスキルに関連するある画期的な技術が発明された。特殊な
もっとも、これだけであれば世に広まることはなかっただろう。スキルオーブが社会に受け入れられた理由は大きく二つあった。
一つは再発生。抽出されることでスキルは失われることになるのだが、再度の経験によって習得できることが判明したのだ。しかもである。個々人によって多少の差はあったものの、ほとんどの場合おおむね初回よりも早く習得できていた。
そして二点目。先の再発生もさることながら、これこそがスキルオーブの普及の爆発的な推進力となったといっても過言ではないだろう。何とオーブに抽出されたスキルを、全くの見知らぬ他者が取得できてしまったのだ。
もっとも、さすがに永続的にというほどうまい話ではなく、記録に残る限りでは最長でも十日で取得したスキルは消失しまうのだが。
それでも、スキルオーブの有用性がなくなった訳ではない。むしろ期間が限定されたことで希少性が高まったとも言えた。
金持ちや貴族たちはいざという時に備えるという名目でこぞってスキルオーブを買い集め、いかに貴重なスキルを保有しているのかがステータスとなっていった。
騎士団や軍部、冒険者たちは魔物をはじめとする外敵討伐のために切り札となるような強力な戦闘系スキル確保することに躍起になっていったのだった。
需要が増えれば供給する側も増加を求められるのが世の常である。抽出で失われたスキルが再取得できることに着目した者たちがスキルの販売を行うようになり、やがてそれを専門とする『スキルクリエイター』が生まれたのだった。
そして、緑深い森に隣接するように造られたこの街でも、ある男が『スキルクリエイター』として生計を立てていた。
スキルの名は『逃げ足』。文字通り敵から逃げやすくなるという代物だ。
森の奥に潜む魔物をおびき出しては逃げ延びることでスキルを習得しては、スキルオーブ化して売り払っているのだった。。
「やっと出られたか……」
木々の向こうにそびえる見慣れた長大な壁に、ため息とともに安堵の言葉を漏らす。その表情には濃い疲労の色が浮かんでいた。
太陽が大地へと接近し始めているのか、周囲の景色には赤みが強くなっている。つまり、それだけ長い時間『迷いの森』とも呼称される危険地帯に踏み込んだままだったということだ。
三十を超えたどころか四十まであとわずかとなった身としては、丸一日を森の中で過ごすのは体力的に厳しいものがある。
「よう、ウッド。無事に帰ってきたみたいだな」
「遅かったんで心配したぞ」
少し離れた場所から声がかかる。振り向いて見ると顔馴染みの中年冒険者たちだ。どうやら森の監視を行っていたらしい。
今でこそ『迷いの森』と言われる森であるが、街が生まれた頃には『
今では逆に森に入る者が増えたため、外にまで魔物が現れるのは稀になっているのだが、街に近い地点ではこうして監視を立てるのが慣例として残っているのだった。
「まあ、何とか生き延びてるな」
差し出された水筒を受け取って中身飲み干す。「ありがとよ」という言葉と一緒に森で採取した果物を差し出せば、二人は満面の笑顔となっていた。
「いつも悪いな。子どもの好物だからご機嫌取りに使わせてもらう」
「うちもだ。こいつがあれば多少の不機嫌はすぐに吹き飛んじまうからな」
ほのぼのとしたパパトークに危険地帯から脱したことを実感したのかウッドと呼ばれた男の頬も緩んでいた。
「ところで、やけに遅かったみたいだが、森の中で何かあったのか?」
「何年もこの森に入り浸っている訳じゃねえからはっきりとしたことは言えんが、森の方には異常はない、と思う」
「そうなのか?」
「ああ。むしろ異常なのは
ウッドは活動内容とその範囲が特殊なため、普段であれば一組から二組の同業者や冒険者を見かける程度が常だった。なんなら全く他人に出会わないという日も少なくはない。
しかし、この日は二桁にもなるパーティーと遭遇し、その数倍にもなる気配を察知していた。
「……ウッドさんよう、お前が普通の冒険者稼業から足を洗ったつもりなのは知ってるが、たまには依頼掲示板は確認しておいた方がいいぞ」
「何か変わった依頼でもあったのか?」
「王都のお偉いお貴族様が珍味をお望みらしい。森に棲む魔物の肉から収穫できるもろもろまで、何でもござれなんだと」
「ということは、森の中に居たのは……」
「王都の冒険者協会に所属してる若手連中だろうな」
「経験が少ない若手な上に余所者かよ……」
土地勘も経験もない者たちが数十組、数にすれば百人以上ともなれば、いくら深くて広い森とはいえども過密状態だろう。
「しばらくは荒れるだろうから、森に入るのは控えた方がいいかもしれないぞ」
「そうも言ってられねえんだよなあ……」
まず懐具合が厳しい。一日二日であればなんとかなるが、それ以上仕事ができないとなると干上がってしまう。
次に、取引相手からせっつかれている状況だった。スキルオーブはどれも基本的に需要に供給が追い付いていないのであるが、ウッドが生み出しているスキルは少人数で強敵と渡り合うことが求められる冒険者からの需要が高く品薄状態が続いていた。そのため毎日のように増産できないかと打診されているのだ。
「『逃げ足』か。名前は悪いがあるのとないのじゃ生き延びられる確率が段違いになるからな」
「大まかな分類はあっても魔物の強さなんて実際に対峙してみなけりゃ分らんからなあ。何度依頼に騙されたと思ったことか……」
パパトークを繰り広げていたことからも分かるように、森の監視を行っている冒険者には第一線を退いたベテランクラスの者たちが多い。酸いも甘いもどころか、辛いものや苦いものまで全部まとめて飲み込んできた者たちなのである。当然のようにウッドの置かれている立場も理解していたのだった。
似通ったものに常時効果のある『敏捷力上昇』があるため、一般的に『逃げ足』はいわゆる不遇スキル扱いされているのである。また、逃げるという行為に敗北や卑怯といったマイナスイメージが固着してしまっていることも、偏見に拍車をかけていた。
しかし、状況が限定されている分だけ発動時の効果は段違いに高く、過去には『逃げ足』スキル持ちだけが生き残ったという事例も存在している。
冒険者界隈限定となるが、こうした一見後ろ向きなスキルを軽んじる者ほど死傷率は高い傾向がある。『逃げ足』などの話題はパーティーメンバーを探す際などに試金石として使用されることも多い。
「まあ、無理はしないような」
「ウッドがいなくなると俺たちも困るからな」
「森から果実を取ってくる奴がいなくなるからかだろ」
「その通りだ!」
歯に衣着せぬやり取りにひとしきり笑いあった後、ウッドは街へと帰還していった。
(まさか忠告を受けた次の日に面倒に巻き込まれるとは……)
思わず頭を抱えたくなってしまうが、そんなことをしても事態は好転しない。現実を受け入れるため、そしてここから生き延びるためにも、ウッドは今一度目前の状況へと意識を向けた。
「うっ……、ぐっ……」
「泣いてる暇があるなら回復薬を飲め!……あ、飲んだから泣いてるのか」
「い、痛え……」
「大丈夫!傷は浅いよ!」
傷つき呻いている連中に、彼らを癒したり励ましたり発破をかけたりしている仲間たち。そこはさながら戦場の野戦病院のようなありさまだ。ざっと二十人ほどだから、三から五パーティー程度が集まっていると考えられる。特筆すべきはベテランが一人もおらず、年若い者たちで占められていたことだろうか。
これだけでもなかなかに悪い状況なのだが、ウッドを含めた者たちがいるのは森の中でも最深部に近い場所だった。
が、顔を背けたくなる要素はこれだけではない。この惨状を作り出したのは『迷いの森』に生息する魔物の中でも最強最悪と言われるブラッドリンクスだったのだから。
森の外へと彷徨い出ては討伐されていた魔物とは違って、ブラッドリンクスは討伐情報はおろか交戦情報も極めて少ない謎の多い魔物だ。珍味を求める今回の依頼には絶好の標的だと考えられてたようだが、蓋を開けてみれば人間の方が美味しく頂かれそうになっているのだった。
(人数は少なくないから戦力的にはやってやれないことはないはずなんだが……。無理だろうな。どんな襲われ方をしたのか知らないが、傷を負っている奴は完全に心が折れちまってる)
それ以外でも小さく震えている者たちは少なくない。ウッドが彼らを発見した時にはすでにこの状態だった。つまりは曲りなりにも一度は撃退しているはずなのだが、士気は最低で戦意は霧散してしまっていた。即座に選択肢から戦うの項目を外したのは言うまでもない。
「あの、貴重な物資を提供して頂いた上にこんなことを聞くのは失礼だとは思うんですけど……」
そう尋ねてきたのは年若い集団の中でもとりわけ小柄な女性だった。十五歳で成人してからまだ数年しか経っていないのではないだろうか。ウッドとは最低でも十以上は離れているだろう。なんなら少女と呼ぶ方がしっくりくるくらいでもある。
外見相応な大きさの胸の間に首から下げた聖印がちょうど収まっているところを見るに、教会で指導を受けたヒーラーのようだ。
息が上がっているのは魔力が切れるぎりぎりまで回復魔法を使い続けたからなのか、それとも凄惨な怪我をいくつも直視する羽目になったためなのか。
「あなた一人でブラッドリンクスを撃退することはできないんでしょうか?」
恐らくは藁にも縋る思いだったのだろうが、ウッドの答えはゆっくりと首を横に振るものだった。
「この格好を見れば分かると思うが、俺はシーカーだ。ブラッドリンクスを倒せるほどの戦闘力はねえよ。まあ、十年前の最盛期なら罠を張るなりして何とか追い返すくらいはできたかもしれんが、ほれ、この通り利き腕をやっちまってるからそれも無理だな」
意図せずカクカクと不自然な動きをする手を見せると、少女はガックリとうなだれたのだった。
「チッ!そんなお荷物がこんな森の奥深くにまで何しにきやがった」
少女に代わって悪態をつくかのように問うてきたのは皮鎧を着こんだガタイのいい男だった。こちらもまたかなり若い。かろうじて二十歳は過ぎているといったところか。
ちなみに、皮鎧といっても所々が金属で補強してある防御性能と同時に重量も相当になる代物だ。彼の疲労の原因の大部分を占めているのは間違いない。考え方は様々ではあるが、ウッドからすればそんな恰好で森の奥深くに分け入ること自体が自殺行為に思えたのだった。
「おい、何とか言ったらどうなんだ!」
そんな内心が表情に出てしまったのか、男の不機嫌さが増す。
「うるせえな……。仕事をするために決まってるだろうが。じっとしていても飯が出てくるお貴族様じゃねんだからな」
「仕事だと?生息する魔物も倒せないような奴が?」
「俺は『逃げ足』のスキルクリエイターだから、魔物を倒す必要はない」
答えた瞬間、あちこちから嘲りと憐みの視線が向けられた。ヒーラーの少女ですらどう反応していいのか困惑している様子である。
もっとも、これはウッドの想定の範疇というか予想のど真ん中の仕草だった。若者たちに限らず、特に腕に覚えのある者は戦闘系以外のスキルを見下す傾向があるためだ。例えそれが日頃から世話になっている武器や防具、道具類を作り出すものであったとしても、である。
そのため今更不快に思うようなことはないのだが、一方でほんの少し引っ掛かりを覚えた。森に隣接する街ではウッドが拠点にしていることもあって非戦闘系のスキルに対しての理解が深い傾向があったためだ。
当然冒険者協会も例外ではなく、森に入りしかもブラッドリンクスのような強い魔物と戦うつもりであれば、もしもの際に生存できるように『逃げ足』など緊急対策用のスキルオーブの購入を勧めていたはずなのである。
要するに、通り一辺倒でステレオタイプとはまた少し違った反応をするはずなのだ。ましては彼らはつい先ほど命の危機に瀕したばかりだ。忠告の意味を理解して後悔や反省していてもおかしくはない。
「まさかお前たち、この街の冒険者協会に立ち寄っていないのか?」
「だったらどうした。俺たちは王都で依頼を受けているんだ。わざわざこんな片田舎の街の冒険者協会に顔を出す必要はないぜ」
男の言葉に思わず頭を抱えたくなるウッド。確かに依頼書に記載されていない限りは、依頼を受けた場所以外の冒険者協会に顔を出す義務はない。
が、実際に仕事をするにあたって最寄りの街の冒険者協会を訪ねるのは、情報収集をはじめとした下準備の第一歩ともいえることであった。
(おいおいおいおい!もしかしてこいつらブラッドリンクスが珍しい魔物だってことしか知らなかったんじゃないのか!?)
もはやこいつでは話にならないと、男ではなく最初に訪ねてきたヒーラーの少女へと向き直ってみれば、恥ずかしそうに、そして申し訳なさそうに小さく首を縦に振ったのだった。
「なんてこった……。自分たちが狩ろうとしている魔物がどれだけ危険なのかも知らずに、その生息地にまでのこのこやって来たのか。いくら冒険者は自己責任だと言っても、職務怠慢すぎるだろう……」
額に手を当てつつ天を仰ぐウッドの仕草に、ヒーラーの少女をはじめとした勘の良い何人かは、自分たちが致命的な大失敗を犯した、または相当にまずい行動をとっていたのではないかと思い始めていた。
(くそっ!こいつは下手をすりゃ王都から文句が付きかねねえぞ……)
現段階で誰が悪いかと言えば、碌な情報も与えず、または情報を集める術を教えないままに若者たちが依頼を受けることを受理した王都の冒険者協会ということになるだろう。
しかし、この街の冒険者ならびに冒険者協会に全くの瑕疵がなかったのかと問われれば、残念ながらノーとなってしまう。
まず、彼らが森に入るのを止めなかったことが挙げられる。男が馬鹿にして言ったように、この街はすぐ近くに危険な魔物が住む森があるため、中堅よりも下の小規模都市である。
ゆえに余所者がやって来た時にはすぐに分かる。実際ウッドが流れ着いた際も翌日には冒険者協会界隈には知られていた。
若者たちは本来は複数のパーティーなのだろうが、こうして一緒にいるところを見ると完全に別行動をしていたとは考え辛い。
つまり、二十人にもなる――武装した――集団が街をうろついていたはずで、目立たなかった訳がない。誰かが冒険者協会へと誘導していたならば、今のような状況にはなっていなかったかもしれない。
余談だが、彼らの目的が珍味探しだということや王都で依頼を受けたことなどは、森の中で遭遇した冒険者が聞き出して報告していた。
そしてもう一点。ブラッドリンクスについての不備だ。先にも述べたように彼の魔物は討伐はおろか交戦の記録もほとんどない謎多き存在だ。強いことだけは知られていたが、子どもの感想文ではないのだからそれで通るはずもない。
他の魔物と比較したりして、どの程度の脅威なのかを――ある程度は――明確にしなくてはいけなかった。しかし、森の奥深くから出てくることが稀であるため放置されてしまっていた。
結果、森に潜むその他の魔物と同程度の強さだと勘違いされてしまい、食材にしよと若者たちが派遣されてくる一因となってしまったのである。
もしも彼らが半壊などの大きな被害を受けてしまえば、王都の冒険者協会は自分たちの責任から逃れるためにも、これらの点を突いてくることだろう。
(どう考えても戦うのは無理だな。こいつらは怯えちまってるし、嬢ちゃんに言ったように俺一人で倒すのなんて論外だ)
頭をフル回転させて全員が生き延びられる方法を模索する。
(上手く森の外まで引きずり出せれば警戒に当たってる連中の手を借りることができるかもしれんが……。あいつらも大物を相手にするのは久しぶりになるから確実に倒せる保証はないか)
こういう時のために協力してもらえるよう、常日頃せっせと良好な関係を築いていたのだが、確殺できなかった場合、最悪街へと入り込まれる可能性すらあるため、やたらと選択できるものではなかった。
(俺が気を引いてこいつら森の外まで逃げる時間を稼ぐってのが、一番現実的かねえ……)
本音を言えばやりたくはない。どうして見ず知らずの他人のために命を懸けて屋ry必要があるのか。
ましてや、ヒーラーの少女が言ったようにウッドは既に薬など手持ちの物資を提供しているのだ。この場に居合わせたことの義理は果たしているとすら言える。
だが、現状を放置すればほぼ間違いなく王都からの非難を受けることになる。文句を言われるだけならまだしも、ペナルティを押し付けられるようなことになれば、生きていけなくなるかもしれない。
残念ながら『逃げ足』スキルは需要こそなくなりはしないが、高値で売れるようなものではないのだ。
説得は思った以上にすんなり終わった。当初は件の男を中心に数名が逃げることを嫌がったのだが、過去に上級の冒険者パーティーが「ブラッドリンクスをぶっ倒してくる」と言って森に入ったきり消息不明になったことがあると話すと、あっさり言うことを聞くようになったのだった。
「あ、あの!」
「ん?何か用か?」
後は計画を実行、つまりは再度ブラッドリンクスが襲ってくるのを待つばかりとなったところで、ヒーラーの少女に声を掛けられた。
「私たちのせいで危険な目に合わせてしまってごめんなさい……」
「気が早いぜ。そういうのは無事に生きて帰って街で再会したときに言うもんだ」
行動する内容が決まっただけで、未だ死地にいることに変わりはないのだ。
「だからこそです。私たちみたいなにわかが絶対に森を抜けられるだなんて言えませんから」
若者たちには最も確実なルート、街のある方角へ一直線に進むことを教え込んだのだが、それとて決して安全とは言えない道のりだった。これで生きて帰れると浮かれる者も多い中、少女はしっかりとそのことを理解していた。
とはいえ、今の彼女は深刻になり過ぎているきらいがある。それでは十分な力を発揮することはできないだろう。
「俺の経験則を一つ教えてやるよ。逃げてる最中に一人でも逃げていることを意識している奴がいるなら、その集団は逃げ延びられる。だから嬢ちゃん、お前がそいつになれ。森を抜けて、街に入るまで追われていることを忘れるな」
「肝に銘じます」
先達からの貴重な教えを授かったとばかりに深々と頭を下げる少女。そのつむじを見ながらウッドは内心で、
(まあ、そんなジンクスはないんだけどな。嘘だと知った時の藩王が楽しみだ)
とにやけるのだった。
ブラッドリンクスの襲撃は、それから幾分も間を置かずにやってきた。
「よう、でかぶつ。若い奴らが随分世話になったそうじゃないか。今度は俺と遊んでくれ、よ!」
言い終わると同時に魔物の気を引くために爆裂弾を投げる。一回目の時にはすぐに混戦になったため使用されなかったこともあり、油断していたブラッドリンクスは爆発をまともに腹で受けることになった。
「ギシャアアアアアア!!」
「さすがは王都の道具屋。質の良いものを置いてるぜ」
痛みと怒りで赤く染まった瞳を向けてくるブラッドリンクス。滑り出しは上々だ。既に若者たちは隊列を組んで出発している。後は彼らとは逆方向へと誘導して逃げ切るだけの簡単なお仕事となる。
「次は鬼ごっこしようぜ。お前が鬼だけどな!」
全身を使った飛び掛かりからの押しつぶしを間一髪で避けて、魔物の背後の方向へと走り抜ける。
そのまま木々の隙間へと飛び込みくるりと前転をする要領で速度を落とすことなく立ち上がり森の更に奥へと進んでいく。
ふと、背筋にゾワリとした感覚を覚えて慌てて横に飛ぶ。視界の端に映ったのは肉球スタンプと言わんばかりの右前足の叩き付けだった。事実軽く地面にめり込んでいて、くっきりとブラッドリンクスの手の形が残されていた。
魔物研究者からすれば垂涎ものの手形であるが、この場にいるのは一介の冒険者でありスキルクリエイターでしかない。それを見たところで恐怖以外の感情が浮かび上がってくることはなかった。
胃の腑から喉元へと酸っぱいものがこみ上げてはきていたが。
命がけの鬼ごっこは続く。ウッドはただ一刻でも早く『逃げ足』スキルを習得することだけを願っていた。十分後、その願いはついに叶うことになる。
「やーれやれ。後一分早く習得できていればなあ」
その直前に、誰かが簡易の罠としたのか下草に隠れた先が尖った細い木の幹を踏み抜いてしまったのである。ウッドの右足からはじくじくと血が滲みだしていた。走れないほどの深手ではないが、これまで通りのパフォーマンスは望めない。
「前途ある若者たちの代わりに死んだ、とか言われるのかねえ。ハッ!柄じゃねえってんだ。お前はどう思う?」
「グルルルルルル……」
軽口を叩きながら見上げた先には、警戒心マシマシなブラッドリンクスの顔があった。散々おちょくりまわして逃げ回った結果、油断ならない相手として認識されてしまったらしい。
これでは油断した隙に、という手も使えない。
いよいよこれまでかとさしものウッドも死を受け入れようとした矢先、それは起きた。
「グルルガアアアアアアアアアアア!!!!」
鼓膜をぶち破るかのような巨大な咆哮とともに、巨大な咢がブラッドリンクスを束縛したのである。
いや、そんな生易しいものではなかった。内側に生えそろった鋭い剣山の連峰が濃血色の毛皮を突き破ってその奥にある肉へと食い込んでいたのだから。
「ギョアアアアアアア!!!?」
ブラッドリンクスは突如我が身を襲った事態を理解できずに、苦痛の悲鳴を上げることしかできなかった。
対して、捕食される側から一時的に外れることとなったウッドは、目前の出来事に半ば混乱しながらもその場を離れるため足を動かしていた。
「嘘だろお!?この森に
ビッグマウス、本来は大口を叩くとかほら吹きといった意味でつかわれる語句だが、とある魔物を刺す場合はその見た目通りとなる。
その姿は超巨大なワニのようであるが、体に対する口の比率が大きく異なっていた。ビッグマウスはその体の約三分の二が口なのである。
その巨大で強靭な口でもってブラッドリンクスすら捕食してしまう、のを目撃したのはウッドが初である。そもそも、この森にビッグマウスが生息していることすら知られていなかったのだから。
かくして、予期せぬ幸運に恵まれたことによって、ウッドは多少の怪我こそあれど無事に街へと生還することになる。もちろん、若者たちの一団の方も誰一人欠けることなく森を脱出することができていた。
ただし、この事件に端を発する諸々の問題に巻き込まれることになり、結果的に冒険者稼業は廃業することになってしまうのであるが。
魔物からは逃げられても社会のしがらみからは逃げられなかったようだ。
そして後年、聖印を下げた少女がこの森を走り回ることになる、のかもしれない。
俺は『逃げ足』専門スキルクリエイター 京高 @kyo-takashi
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