鏡の鑑

玄葉 興

嘘つき鏡は貴方のことを

貴方は目を覚ます。目を擦り、目を開ける。

なんら変わらない日々。覚醒しきるために 顔を洗う。鏡を見る。鏡は言う。

「貴方は今日も健康だ。」

そこに写る姿は特に異変のない貴方の顔。

貴方は見慣れている自分の顔を見ても何も思わないだろう、すぐに朝ごはんを食べる。

そうして家を出る。家に帰る。ご飯を食べて眠る。何も変わらない、何も進まない、それは停滞。


しかし平穏というのは崩れ去るからこその温かさがある。桜と同じ、厳しい冬が訪れる。

たとえどんな人でも。どんな場所でも。

貴方は付けたくもない仮面をつける。

面白くもないことを笑う。やりたくもないことをやらされる。辛い目に遭う。思考に溺れていく。苦しくなる。仮面が失くなる。


家に帰る。水を飲もうと洗面所に行く。鏡を見る。鏡は言う。

「貴方は不健康だ。」

貴方は鏡の言う通りではない。何ら変わりないはず。偽りの仮面が傷ついたところで家の中の貴方に怪我はないだろう。夜ご飯を食べる。眠る。


目が覚める。体が重たい。動けない。

「自分」は平気なのに。指令どうりに動かない体をどうにか動かし、顔を洗う。意識が冴えてくる。顔を起こす時、少し顔を顰めた鏡は言う。

「貴方は不健康だ。」

知らない。鏡に写る貴方のほおは明るく、目にくまもない。至って健康だ。無視する。

朝ご飯を食べる。家を出る。家に帰る。眠る。


起きる。動けない。動かす。顔を洗う。嘘つきと目が合う。そいつは言う。

「貴方も不健康だ。」

知らない知らない知らない。鏡に写る貴方は以前と同じ。何も変わりない。普段通りだ。

仮面がすり減る。代わりを用意する。仮面が割れる。削れるたびに貴方は代わりを用意する。個人で作れる仮面はせいぜい数種類だ。底をつく。己が出る。己が叩かれる。己を叩く。痛い。痛い。痛い。痛い。


目を開ける。でも体は動かない。無理やり動かす。今日は動かない。動かす。動く。

家を出る。貴方は自身が無くなる感覚に苛まれる。他者の優れる姿にただ飲まれていく。他者を気遣うことも出来ない。己を勇気づけることすらできない。沈む。沈む。鉛のように。ただ落ちていく。螺旋ができる。答えは出ない。回る。回る。浮かぶのはただの思い出。抜け出すことはできない。


目が覚める。悪いことは総じて夢だ。きっとそうだ。体も動く。顔を洗う。アイツは笑う。笑うな。なぜ笑う。鏡は言う。

「これが貴方。嘘をつこうがつきまいが、変わらず貴方を写す。」

やはり貴方は健康だ。これが貴方の健康だ。なんら変わりない貴方だ。所詮は鏡。鏡が写すのは目の前の貴方。

貴方は家を出る。同化してしまった仮面と共に。そうして割れる。壊れる。飛び散る。

仮面はつけ続ければ外れなくなる。だってそれが貴方なんだから。仮面が付いているのが貴方。面白くなくても笑う。やりたくなくてもやる。辛い目に遭う。思考に溺れる。苦しい。それがいつもの貴方だ。家に帰る。

壊れた仮面は醜く拭うことも出来ない。

吐き出す。全て吐き出す。胃の中も。頭の中も。仮面が取れなければ無理やり切り取れば良い。包丁を手にする。うまくできない。

鏡の前に行く。鏡が囁く。

「貴方の仮面は貴方のモノ。それでもそれは私でもある。」

鏡は理解している。真実だけで充分だと。嘘を伝えてややこしくなった。そのせいで勘違いしてしまった。だからせめて取り返しのつく時に。貴方が望むように写す鏡。そんなモノは鏡ではないだろう。顔色を伺うのはご主人よろしく上手な鏡。下手に己を隠さない方が良いとわかる鏡。結局のところ。言いたいことはひとつだけ。鏡は貴方を写す。


真実だけを話す貴方は社会では厳しい当たり方をされる。真実だけでは生きていけない。貴方の仮面は嘘をつく。貴方の嘘は鏡の真実。仮面が無くなる貴方の言葉は全て本当。仮面についた貴方の顔を鏡は写す。鏡は言う。

「貴方は不健康だ。」

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鏡の鑑 玄葉 興 @kuroha_kou

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