オレの青春はどうにも巻き込まれ型らしい

南雲麗

第1話 鬼退治? いいえ、再契約です

#1 迷いの中でくすぶるばかり

 迷いを抱えながら読む本は、大して収穫をもたらさない。少年はよく知っていた。

 知ってはいたが、それでも新しい情報を欲していた。本を開く度に希望は無為に終わり、また次の希望を求めて本を開く。もどかしい感情が少年を急き立て、さらに思考を狭めていく。漠然とした迷いが行き先を失い、鬱屈が積み重なっていく。

 少年――川瀬秀治かわのせしゅうじは、焦りを押し込めながら本を閉じた。軽く息を吐くと、脇に積んでいた数冊の本と重ね、本棚へと戻しに向かう。積まれた本は、どれもこれもが天津市あまつしの昔話や民話についての本だった。

 彼は、ある事柄について調べていた。しかしどの本にも彼が知る以上の事実はなかった。いわゆる、ばかりが記載されていた。

 曰く。


 その昔。津上つのかみの町がまだ『渕』や『川瀬』と呼ばれていた頃。一匹の鬼女が、今で言う角山に住んでいた。鬼女は手下を引き連れ山を下りては、たいそう村人を困らせていた。

 ある時、偶然にも太刀を持った旅人が通りがかった。都から来たという旅人に、村長は鬼退治を頼み込んだ。

『わかった。首尾よく行くかは分からぬが、腕を振るわせていただこう』

『おお! ありがとうございます!』

 あくる日、旅人は手にしていた太刀とともに山へと分け入り、鬼女と戦った。戦いは、村人が恐れて家々にこもるほどに激しいものだった。しかし彼は鬼の角を叩き折り、持ち帰って来た。

『鬼を倒し切れはせなんだが、角を折り、無様を味あわせた。これで少しは大人しくなるだろう』

『おお! お武家どの。よろしければ、いつまでも我が村にいてくだされ!』

 これには村長も村人も旅人を歓待。家まで用意する始末。旅人も気を良くし、いっそ永住も良かろうと考えた頃。

『もし、お武家様。わたくしは旅の者なのですが、足をくじいてしまって……』

『それはいけない。大したもてなしもできぬが、しばらく泊まっていくといい』

 旅人の前に、女性の旅人が現れた。たいそう美しく、困った様子だったので彼は自らの家に引き止めることにした。しかし。

『かかったな! 角は頂いたぞ!』

『なんと! おのれ鬼。今度こそ滅ぼしてくれる!』

 女はなんと、鬼が化けたものだった。彼女は旅人が飾っていた角を盗み、山へと逃げる。無論旅人はこれを追い掛け、追い詰めた。

『もう観念しろ』

『観念などするものか。こうしてくれる』

 鬼女は奪い返した角を噛み砕き、美しい女の身体に、一本の角を生やして旅人へと襲い掛かった。再度の戦いは激しく、困難を極めた。しかし勇敢な旅人は遂に鬼を成敗した。

 その後旅人は村に土着し、子孫を残した。これが川瀬家かわのせけの起こりである。また鬼女は山に弔われ、いつしか名前を『角噛御前つのかみごぜん』、棲んでいた山は『角山』と呼ばれるようになった。

 これが津上に伝わる『角噛御前の物語』である。

 

「……大体合っているけど、嘘なんだよね」

 少年は、誰にも聞こえないように小さな声で呟いた。その姿を見咎めるものは、誰も居ない。誰もが本に集中していた。彼はそのまま平静を装い、図書館から去っていった。


 ***


 時は三月の末、二九日。桜が徐々に咲き始め、道を華やかに色付けていく最中。しかし秀治の目には、それらも若干色あせて見える。高校入学を控えているにもかかわらず、彼の心境は穏やかならざるものだった。しかし彼は、そんな感情さえも噛み締めるように、道を歩む。平日の昼とはいえ、津上の大通りは閑散としたものだった。

「これだけ人がいないと、楽だよね」

 短い黒髪を適度に立たせた少年の足は、やがて脇道に逸れていく。当然人通りはさらに減る。ひび割れたビルの壁やビールの空き箱が、寂れた空気を醸し出す。そこかしこに積み上げられたゴミ袋はちょっと触れただけに嫌な臭いを発しそうだ。だがそれくらいが丁度良かった。周囲を改めて見回し、誰も居ないことを確認して。

「今なら誰も居ない。出て来ていいよ」

「へーい。まあ俺達も『見えない』連中に無体はしたくないからねぇ」

「いっちゃーん、そうはいってもさあ。ずっとだんまりはしんどいよぉ」

「まあまあ。そう責めるんじゃない。なあ、旦那」

 秀治が何もない空間に向けて声を放つと、三匹の小さな妖怪が這い出し、ぎゃあぎゃあと騒ぎ始めた。総じて二本足だが、酷く醜い背格好である。彼等は『雑妖』。いわば妖怪のなりそこないであり、『見える』者達からは、気分一つで排除される運命にあった。そして秀治は、『見える』側の人間だった。

「落ち着いてくれよ。一蔵、二平、そして三吉。正直オレだって、変な奴だとか言われたくないんだよ」

「あっ、ひっでぇ! 雑妖への差別発言じゃないか?」

「いっちゃん、『さべつ』ってなんぞ?」

「二平、それは後で説明するから」

 順繰りに捲し立てる三匹。ハッキリ言えば非常にうるさい。だが秀治は、いつも通りにポケットから飴玉を取り出し、手慣れた様子で三匹に分け与えた。

「まあまあ、落ち着いて」

「お、ありがてえ!」

「わーい!」

「いつも済まない。感謝する」

 三匹は大人しく飴玉を頬張り始める。ようやく、話を聞く姿勢が整った。

「で、なんでぇ、秀治。やっぱり家を継ぐのに怖気ついたってか?」

 口火を切ったのは一蔵と呼ばれた雑妖だ。高さは秀治の膝ぐらい、猫型の妖怪である。彼は片耳が欠けており、右目には包帯を巻いている。他にも身体のそこかしこに傷跡があった。

「いや、流石にそれはないよ。相変わらずよく分からない、だけ」

 秀治は膝を折って屈み込み、出来得る限り彼等と視線を合わせた。だが表情は、どことなく憂いを帯びていた。

「けいしょう、あしたのあしたじゃなかったっけ?」

 二平と呼ばれた雑妖が、言葉を重ねた。

 姿形は一見人間のそれだが、顔どころか身体全体がボロボロだった。おまけに一部にいたっては骨までもが垣間見えている。そして、年端のいかぬ子どものような喋り方。

「ああ、そうだ。明後日、十五の誕生日の夜。オレはあの山に登るんだ」 

 そう返すと、秀治の目線は三匹の奥、建物の隙間から垣間見える角山へと移った。緑色に覆われたそれが、決して高い山ではない。彼はよく知っていた。しかし今の心境で当日を迎えた場合、恐らくその登山は、富士山に登るような苦行となるだろう。

「昔でいう、元服みたいなものだな。決して不条理ではない。もっと早くてもおかしくはなかったろうよ」

 年老いた犬型の妖怪、三吉が言葉を継いだ。

 彼もまた足を引きずり、片腕がだらり、と垂れ下がっている。もう動かすことすらままならないらしい。彼は秀治に見出された時から、すでに幾年もこの出で立ちだったという。

「んー……。別に嫌じゃない。おまけに爺ちゃんから、何度も何度も川瀬の習わしと、その意義については聞かされてきたんだ。ただ、こう。実感が沸かない。オレがそれをしないとダメなのか、ってなる」

「取り敢えずやってみりゃいいじゃないか」

「にげるのはよくないって、さんちゃんがむかしいってた!」

「二平、落ち着いて。うむ、疑問を抱くのはいいことだ。では、仮に継がないと決めたらどうするのだ?」

 一蔵が詰め寄り、二平が飛び跳ね、三吉がそれをなだめて秀治の目を見据えた。それぞれの形でおもむろに問う。

 秀治はゆっくりと、視線を三匹へと戻した。相変わらず、迷いの残った視線だった。短い髪を掻き、心底恥ずかしそうに口を開く。

「ごめんな。まだ、分からないんだ」


 ***


 結局、彼らはそれきりなにも話さなかった。なにせ、長年の付き合いである。これ以上踏み込んでも、互いに良くない。経験則から、分かっていた

 飴が口の中から消えた頃合いを見計らって、秀治は三匹に別れを告げた。路地裏を出て、少年はなおも歩き続けた。足は無意識のうちに自宅へ、そしてその裏にある角山へと向かっていた。

 いつしか通りから建造物が減っていき、まばらだった人も消えていく。道路は坂が増え、田畑と、少し遠くに木造の駅舎が顔を覗かせた。

 そんな道のりを三十分ほど歩くと、少し大きめの和風の屋敷が見える。横手には、さらに険しい山道が待ち構えていた。

 秀治は、勝手知ったる様子で屋敷の裏門をくぐった。いや、勝手知ったるもなにもない。この屋敷こそが、彼の自宅である。彼は、縁側にて茶を啜っていた老人に、声を掛けた。

「爺ちゃん、山に行って来る」

「ああ、気をつけていくといい。怪我をされては、困る」

「分かってる、分かってる。じゃ、夕方までには帰るから」

 入った我が家をものの数分で飛び出し、彼は角山へと入って行く。草を切り開き、石を敷き詰めた登山道。形ばかりだが、十分な道だった。

「ご先祖様は、草むらをかき分けて鬼を探したんだったか? ご苦労なことで」

 道中で彼は、そう独りごちた。

 彼の知る、『嘘』の根拠がこの先にあった。鬼は、角噛御前は、。川瀬家は代々、その事実を引き継いできた。

 黒の長袖に身を包み、ジーパンを履いた少年は、ずんずんと山道を進んでいた。彼の背はさして大きくないが、周囲の草むらよりは大きかった。もう幾度と無く通った道を、迷うことなく進んでいく。春の陽気はやや影を潜め、日は西へと傾きつつあった。

「急ごう。このままじゃ先に日が暮れる」

 空を仰いで日の傾きを探ると、少し冷たくなった風に体を震わせた。日没に間に合うよう、足並みを早めていく。

 二十分も歩くと、道の傍らに塚があった。数段石を積み上げた程度の小さな塚だ。なにもなければ、そのまま通り過ぎてしまいそうなほどの大きさでしかない。しかし秀治と川瀬家にとっては、非常に重要な場所だった。少年の足は、自然と小走りに変わっていく。やはり塚の上に、目的の人物はいた。

「少年。今日も来たのかい? 諦めな。私にはお前さんの悩みは分からないし、晴らせない。大人しく川瀬の使命を全うするんだね」

 身長は少年と同じぐらい。二本の角を生やし、均整の取れた身体を、和服に包んだ少女。背中いっぱいに白髪を広げた鬼の娘が、存在を高らかに誇っていた。相手が鬼でなければ、見とれてしまいそうな艶姿である。

「来るよ。このままじゃオレ、ホントにキミ、いや、角噛御前様と契約していいのか分からないから」

「分からなくてもそれしかないんだよ。お前さんは川瀬の跡継ぎだ。一方私は、その初代にコテンパンにされた。その上、契約でこの塚に存在を縛り付けられた。それだけの、ちっちゃい鬼だ。それ以上でもそれ以下でもない。まずはやってみるんだね」

 秀治は鬼の正面に立ち、言葉を吐き出し、叩きつける。しかし返って来たのは、あの三匹と同じような言葉だった。

 分かってはいた。相手は千と三百年を越えて生きる人外。対してこちらは中学を卒業したばかりの、まだまだ酸いも甘いも知らぬ十四の小僧。ただのワガママにしか過ぎない発言を汲む必要など、どこにもない。そんな感傷を知ってか知らずか、角噛御前は更なる言葉を叩き付けてきた。

「お前さんのそれは単なる傲慢だ。結局継がずにどうしたい? 私の封印になにかがあった時の責任は? そもそもお前さん……」

「うるさいっ!」

 彼は鬼の言葉を遮り、激しい声を上げた。鬼は一瞬固まったように見えたが、すぐさま正気を取り戻す。秀治を見据えて、次の言葉を待った。

「逃げてるって言いたいんだろ? 分かってるさ自分でも。だけど……」

 しかし秀治の言葉は止まってしまった。うつむいてしまった。鬼は軽く天を仰いだ。ゆっくりと、塚を崩さぬように飛び降り、秀治の目前に立った。冷たく、言い放つ。

「いい加減にしろ」

 秀治は、身体をこわばらせた。頬を叩かれたかのような衝撃が、彼の心を満たしていく。

「言ってやるよ。お前さんは逃げている。一族の責務から逃げ、こんな封印されているだけの鬼娘からも逃げている。そして予言してやる。このままじゃいつかお前さんはこの街からも逃げ出し、全てに対して逃げたまま人生を終える」

  夕暮れの風に、木々がざわめく。冷たい風が、頬を撫でる。鬼娘はその中でも悠然と立ち、底冷えのするような瞳を、少年に叩きつけている。

 やがて少年は耐えられなくなった。足が下がる。彼女はその隙を見逃さず、さらに言葉を続けた。

「逃げるな、などと無責任に言うつもりはないさ。だが、分からぬからといって尻込みするのは、ただの臆病者だ。そんな輩、こちらから願い下げにしてやる。せっかく数代ぶりに『見える』奴に会えたというのに、残念だ」

「くっ……」

 唸るばかりでぐうの音も出ない。かといってこのまま帰るのも恥でしかない。しばらくの時を思考に費やした後、秀治は力なく問うた。

「……。願い下げをして、それからどうするんです? 自由になったところで、この世界には、鬼の居場所なんて……」

 項垂れたまま、静かに、そして努めて丁寧に問いかけた。この手の問いは、鬼の機嫌を損なう可能性があった。まだ死にたくない。ただただ、疑問に思った。それだけだった。

「そうだね……」

 不意に、秀治への圧が緩んだ。思うところがあったのだろうか。彼は顔を上げ、鬼娘へと視線を向けた。

「ああ……そうだったねぇ。鬼はもう、絶対強者ではない……。山を降りても、一時の自由……」

 続けて押し出される声が、徐々にしおれていく。同時に、鬼の覇気が失われていく。秀治は気づく。見た目相応の少女が、涙を浮かべてそこに居た。

「私は……どうしたら……いい?」

 搾り出すように放たれたその言葉は、秀治の脳髄を貫いて心に響いた。薄暗くなった山道は、木々と鳥のざわめきだけに埋め尽くされた。


 ***


 答えなど、出せる訳がなかった。

 秀治は失意のままに山を下り、夕食をこなした。祖父との会話も、ままならなかった。そして眠れずに夜も更けた頃。彼は屋敷の裏庭で一人、木刀を振るっていた。日課である。木刀を一つ振る度に思考が巻き戻され、脳内に後悔が満ちていった。

 結局、一言たりとも言い返せなかった。追い詰められての偶然とはいえ、まさかあのような姿を見ることになるとは。

「どうしたら良いんだろうな……」

 木刀を下ろし、秀治はぼやいた。恐らく、答えは一つしかない。だがそれは、未だに疑問を残している答えだ。認めるには、未だ勇気も覚悟も足りなかった。



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