第2話 実録・鬼と始めるスクールライフ

#1 初日初っ端嫌な予感

 かつて少年は、見たものそのままを絵にしたことがあった。少年は一見、なんの変哲もない男児だった。だが彼の見ている世界は、平常の世界とは異なるそれであった。

「秀治君、これはなにかな?」

「おばけ! みんなは見たことないの?」

 かつて彼の絵を見た教師に、純粋に放ったこの一言。

 それが彼にとっての地獄の始まりだった。

「変な奴」

「気持ち悪い」

「おばけと話してれば?」

「時折誰も居ない所に向かって会話しているなど、奇妙な行動が伺えます。眼科か心療内科の受診をお勧めします」

 陰に陽に、同級生からも教師からも手酷い扱いを受ける。時には異常者扱いされることさえもあった。いわれなき言葉の暴力に、少年の心は酷く傷付いた。彼は両親を早くに失い、祖父に育てられていた。

「秀治。別に医者に行く必要はない。だが、学校には行ってほしい。行かねばならぬ」

 しかし祖父は彼の目を肯定すれども、傷を癒やすことは出来なかった。家の事情もあったし、世間体もあった。

 結局彼を救ったのは、彼自身の成長と。

「よう、旦那! 調子はどうだい?」

「ぼくはげんきだよ!」

「心を強く持て。眼を閉じるな。旦那が、旦那自身の世界から目を逸らしちゃいかん」

 三匹の小さな、自分にしか見えない友人達だった。


 中学までの環境に、未練はなかった。

 自分自身の成長によって、幽霊や妖怪を黙殺できるようになった。

 『見える』モノを無視することで、一応の友人も増えた。だがそこまでだった。深い思い入れは特にない。

 そんな彼にとって、多くの同級生と異なる選択をしたこと。

 私立の、【天津沖島高校あまつおきしまこうこう】へと進学したこと。

 この二つの決断は、当然以外の何物でもなかった。


 ***


 四月六日。入学式当日の川瀬屋敷。その一角から少年の声が響く。

「おーい、鬼。支度は出来たかー?」

「五月蝿い! 後十分待て! あー……あれがこうで……むー! 後鬼言うな!」

 自業自得とはいえ半ば強引に入居してきた鬼――元・角噛御前、現・津山美咲つやまみさきの着替えを、襖一枚隔てて川瀬秀治かわのせしゅうじは待ち続けていた。

 いつも通りに黒の短髪を適度に立たせ、詰め襟の学ランに身を包む。

 スマートフォンの時計を信じるに、タイムリミットまで後十五分程度だろうか? いや、本音を言えばもう少し早く到着しておきたい。

「あー、畜生! 出来たぞ、秀治!」

 襖が小気味良い音を立てて開き、美咲が姿を現した。白髪こそ様々な可能性を考慮して黒く染め直したものの、その色艶と長さは保たれている。

 膝下まで覆った紺色の長いスカートと、長袖に肌を隠した紺色のセーラー服。その二つが、彼女を清楚な美少女として仕立て上げていた。

「……もっと練習しとけよ。まあ、最初のグチャグチャよりかはマシだけどな」

 秀治は努めて、口調を以前の通りにしていた。一歩間違うと、美少女オーラに負けて敬語になりかねなかった。

「五月蝿い。後兎にも角にも下着が痛い」

「慣れろ。爺ちゃんが玄関先で待っている。写真を撮っていくんだと」

「写真!? やめろ、私は魂を抜かれたくはない」

「今時魂って、いつの時代の話だよ。後、頼むから公衆の面前ではあまり喋らないでくれ。黙っていれば、それなりに清楚な美少女だ。行くぞ」

「うっさい! だいたいお前さんがあんなこと……って、あ! 置いて行くな! ……後褒められても困る」

 スタスタと歩みを進め始めた秀治を追って、鬼も後ろをついて行く。最後の一言は小さく放たれたため、秀治の耳には届かなかった。そして撮られた写真の二人には、微妙な距離が開いていた。


 犬も歩けば棒に当たる。すなわち、人とて歩けば人に会う。ましてや知り合いともなれば尚更だった。

「お、旦那とその嫁さ……、え、腕、痛い! 死ぬ! 腕まで一本なくなる! 目が回る! 痛い!」

「いっちゃーん!? おねーちゃん、やめたげてよぉ!」

「旦那、美咲さん。入学おめでとう。何か祝いの品を用意できれば良かったのだが」

「仕方ないだろう。雑妖にそこまでは求められないよ」

 駅までの道のさなか。三匹の雑妖が、二人に挨拶をしにやって来た。三匹が三匹とも、秀治たちの膝丈ぐらいの大きさである。なお一匹は余計な言葉を吐いたため、美咲に右腕一本でぶん回されている。ちなみに地雷を踏んでから、縦回転の刑に処されるまで三秒もかかっていなかった。

「痛い! 痛えぇ! ごめんなさい! もう言いません!」

 片耳が欠け、片目に包帯。全身傷だらけで、今にも命が消えそうな猫型の妖怪が一蔵。

「もうやめてー! いっちゃん死んじゃう!」

 二平は美咲に縋り付こうと試みるも、怯えから叫ぶのみにとどまっている。人間型の、一際小さい妖怪だ。彼は身体全体がボロボロであり、時折骨などが垣間見えている。

「自業自得ですなあ……。美咲さん、そろそろ良いんじゃないですか? 腕がもげてしまっては、返り血で新品の服が汚れてしまいます」

 秀治の横に並びつつ、目の笑っていない笑顔で美咲に制止を掛ける三吉。片足を引きずり、片腕は動かない。しかし人生経験が豊富な長老タイプだ。

「それもそうか……ほれっ!」

 三吉にたしなめられた美咲は、しぶしぶと一蔵を秀治に投げ渡した。

 一瞬避けてやろうかと思った秀治。だが、本当に死んでしまっては困る。仕方ないので、きちんと胸元で受け止めることにした。

「へぶっ!」

 一蔵は無事にキャッチされると、衝撃と安堵でそのまま気絶した。因果応報である。秀治はそのまま、三吉に歩み寄っていく。

「……三吉、お前よく鬼にあそこまで言えるな?」

「先日お会いした際には面食らいましたが、一応今の扱いは人のそれでありましょう? ならば機嫌を取ったりする必要はないのでは」

「それはそうだが……って、まずい。ごめん、急ぐわ、またな。鬼、アンタもだ」

 一蔵を引き渡しがてら、秀治は三吉と言葉を交わす。その際、ふと目に入った腕時計の示した時刻。

 それが彼を現実に引き戻した。通学カバンを右肩に引っ掛け、左で美咲の手を掴む。リスクは高いが、背に腹は代えられない。

「ちょっと!? 私はまだアイツに!」

「急がないと、入学早々遅刻になんだよ!」

 怒りの覚めやらない美咲の手を引っ張り、駅へと加速していく秀治。キャンキャン騒ぎ立てながら走り去って行く二人の後ろ姿を、二平と三吉は呆然と見送っていた。

「にんげんって、たいへんだね?」

「ああ、大変だ。だが、それこそが人間だ」

 そのまま二匹は道端へ寄った。彼らに一蔵を長時間運べる程の力はない。ひとまず、彼が目を覚ますまで待たねばならなかった。


 ***


 ガタゴトと揺れる電車。それはやがて人の数を増していき、そして減っていく。山近くから始まり、街中を抜ける。しばらくすると二人の目に海が見え始めた。その頃には、周りはすっかり同じ制服ばかりになってしまった。

「天津港、発車します。ここから先は、天津沖島ターミナルまで駅はありません。降り忘れの方、居りませんでしょうか?」

 アナウンスの声が響き、少ししてから本土との別れを告げるドアが閉まる。

 秀治達の最寄り駅である角山駅を起点に、津上つのかみ市街を南北に突き抜ける路線。それは天津港から沖合三キロに浮かぶ人工島、天津沖島まで続いている。

 その名は【津上線】。名前の通り、津上では主要な交通機関としてその一翼を担っていた。

 そして海を行く列車のちょうど中間辺り。そこに秀治と美咲は座っていた。起点駅から乗車しているのだから、まあそんなものである。

 駅の時点では秀治の不意討ちに怒るばかりだった美咲も、すでに大人しく高校の資料に目を通している。もっとも秀治は、始終に渡り周囲を気にしていた。

 席をなるべく残しておきたい都合もあり、二人は隣同士に座っていた。そんな光景は、はたから見ればカップルのようにも見える。未だ十五歳の少年が、いろいろな意味で意識してしまうのも致し方無い。

田貫たぬきこぉぽれぇしょんって、凄いのな……」

「あ? ……コホン。すげぇなんてもんじゃないよ、あそこは」

 そんな中で、美咲が間抜けなつぶやきを発した。秀治はとっさの反応で声を荒げてしまい、即座に咳払いをして誤魔化す。そしてそのまま言葉を続けた。

「少なくともこの街の交通、医療、工業には深く食い込んでいる。その上、今から俺達が入学する天津沖島高校だって……。資料読んでて言っているのに、なにを言ってるんだか」

 喋り過ぎてしまい、頭を掻く秀治。そこへ不意に、対面の席から言葉の槍が飛んで来た。ショートカットの、小柄な女性だった。

「うるさいよ、キミ達。電車の中では静かにしてくれないかな?」

「あ、すみません……」

「まったく、落ち着いて本が読めないじゃないか……」

 メガネを掛けた少女は、本に目を落としたままブツブツと文句を続けた。秀治は真摯しんしに頭を下げ、二人ともそれ以上喋ろうとはしなかった。

 やがて、列車内に音声が響く。天津沖島ターミナルに到着したことを、告げるものだった。


***


 天津港の沖合、太平洋に浮かぶ人工島。それが天津沖島である。私立天津沖島高校は約十平方キロある島の、北半分を占めていた。港の地下に作られたターミナルを抜けると、高校の正門と直結した、幅百メートルの歩行者専用道路に繋がっている。学生が道を埋め尽くして校舎へと向かう姿は、島の名物にもなっていた。 

 歩いて正門をくぐると、真っ先に正面に立つ施設。それこそが五階建て・耐震仕様・エレベーター付き・バリアフリー・各種警備保障完備と威容を誇る本校舎だ。

 この学校には他にも副校舎・大型カフェテリア・付属コンビニ・大武道館等、目を見張る施設が複数有るのだが、入学式は毎年本校舎の右手に建つメインアリーナで行われる。

 そして今、そのメインアリーナは人で溢れていた。なにせ学生総勢で約千人である。それに一部の新入生の父兄が付いているのだから、当然とも言えた。

「あづいー……つらいー……」

「頼むからやめてくれ……。情けない」

 クラス分けがまだ為されていないため、係から受け取った整理番号順に座らされる新入生達。その一角で早くもぐったりする美咲と、それをたしなめる秀治。一緒に入場したのが幸いで、美咲の後ろに秀治が座る形となった。

「とはいえ、暑いな……。人が多過ぎる。長袖はキツい」

 周囲のざわめきに耳を傾けつつ、二人は入学式の開始を待つ。たまたま近くに座った元の友人と語り合う声、手当たり次第に近くの席の者に話しかけてみるお調子者。皆思い思いに時を待っているようだ。

 しかし二人は動かなかった。

 そもそも美咲は、まだ秀治や秀兼以外との会話に慣れていない。

 そして秀治は、元の縁を切り捨てるつもりでこの学校へ来た。だから、必要以上に会話をするつもりがなかった。

 姿勢を直した美咲が、一部の耳目を引いていたようにも見える。だがどういうわけか、声をかける人物は皆無であった。

 秀治は、人知れず安堵した。彼女が鬼と知れるのはまずい。そんな意識がどこかにあった。

 そうこうしている内に、入学式が始まった。校長挨拶・学園長挨拶・新入生代表の言葉や在学生代表の挨拶など、秀治には特になんの感慨もなく式次第が流れていく。

 唯一印象に残ったのは学園長のでっぷりとしたシルエットだろうか。何かに似ているようで、奇妙に印象に残った。

 やがて、入学式はつつがなく終了した。クラス分けの発表は本校舎前で行われるとのアナウンスがあった。また、整理番号の早い順に移動するように指示が出されていた。

 教師達が整理役に立ち、我先に移動せんとする新入生達をなだめている。秀治達は番号が遅い方であり、暫くの余裕があった。ゆっくり待とうと、秀治は軽く伸びをした。ついでに足を、少しだけ前後に動かした。退屈な時間で凝り固まった体をほぐすには、それだけで十分だった。

 一息ついて自分達の列が呼ばれるのを待っていると、妙に周りが騒がしい事に気がついた。つられて前を向く。すると、列の前に立っていたはずの整理役が、いつの間にか学生と入れ替わっていた。しかもその姿には見覚えがあった。朝に注意された、女生徒だった。

 メガネ、ショートカット、小柄。全ての特徴が一致している。彼女はマイクを持っていた。そして一方的に喋り始めた。

「生徒会長より通告する。今から名前を言う学生は、この後私と学園長室へ同行するように」

 そこで一旦女生徒は話を切り、周囲を見渡した。秀治もつられて、周囲を見渡す。よくよく見れば、すっかりまばらになったアリーナ内に、数人の生徒が残されているではないか。いつの間に、こんなに減っていたのか。秀治はまったく、気付けなかった。

 前の席には、美咲も残されていた。小さく肩を震わせていた。人に見られぬよう、そっと肩に手を置く。彼女は目に水を溜め、秀治に小声で話しかけて来た。

「私……山に追い返されたりしないよな……?」

 秀治には何も言えなかった。そもそも何が起きているのかが把握出来ていない。次の言葉を待つ他ない。

 生徒会長を名乗った女がマイクを口へ近づけた。残されている生徒達に、緊張が走った。静寂の空間が、非常にもどかしい。

「生徒名を告げる。……川瀬秀治、津山美咲……」

 女生徒の口から自身の名前が出た瞬間、美咲はその場に崩折れた。秀治は介抱しようと思った。思ったが、周囲の視線に耐えられなかった。彼はしばらくの間、硬直したまま動けなかった。

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