#2 妖怪ハイスクール

 生徒会長、そして他の幾人かの生徒とともに、あまり人気のない通路を歩いていく。まるで死刑台に連れて行かれる囚人のようだと、川瀬秀治は思っていた。

 別に、自分だけがこうなったわけでもない。隣では津山美咲がうなだれているし、他にも不安げな生徒が数人同行している。だが、どうにも空気が重かった。

 ともすれば暗きに流れていく思考を振り払うように、美咲をちらりと見た。日頃の威勢はどこへやら、彼女はその切れ長の目を、虚ろにしてしまっていた。

 恐らく最悪の事態――高校入学を無かった事にされ、泣く泣く山に帰ることになる――を想起してしまったのだろう。足取りもどこか重たげだった。

 最悪の事態だけは意地でも阻止する。秀治は静かに決意した。美咲は確かに、人間に化けている鬼だ。だが、今は怯え切ったただの少女だ。今、彼女を守れるのは自分だけだ。だったらどうするか。心を奮い立たせねばならない。鬼に啖呵を切った時のように、彼は心に決めた。

 秀治はまず、状況を整理した。現在地は本校舎五階。通路には自分と美咲、一番前には、朝に電車で会った人物と同一人物だと思われる、生徒会長。そして二人の前後にもう二人ずつ、同様に呼ばれた生徒が並んでいる。そして最後尾には、もう一人男子生徒がいる。廊下の両側に、いくつか教室のドアはある。しかし逃げたところで、即座に捕まるのが関の山だろう。

「……」

 生徒会長の背は低い。こっそり様子をうかがおうとして、秀治は諦めた。前を歩く生徒の、背丈が邪魔をしたからだ。結局秀治は、目的地までなんら手を打つことができなかった。

 やがて隊列は校舎の端、大きな観音扉の前で停止した。扉の模様、材質からして他の数々のドアと一線を画していた。その上には『学園長室』と書かれた札が貼り付けられている。メガネさんが扉をノックし、声を掛けた。

「失礼します。生徒会長です」

「うむ、中に入って貰いなさい。それと、君も中へ」

 返事はすぐに返ってきた。生徒会長ははっきりと返事をし、そのまま秀治達の方に向き直り、指示を飛ばす。

「全員、私と一緒に中に入るように。副会長は、生徒会室で待機」

「は、はい」

 誰かが上ずった返事をした。秀治はその声に胸をなでおろす。なんてことはない。この場の全員――会長と最後尾の副会長以外は、おそらく誰もが緊張しているのだ。

 副会長の足音が消えたのを見計らって、生徒会長がドアを開けた。促される形で、全員が整列したまま入っていく。会長がドアを閉める音は、妙に大きく聞こえた気がした。

 学園長室は、広さの割には質素だった。最低限の調度品に包まれて、学園長は椅子に座に座っている。秀治たちから背を向けているのは、ドラマでも意識しているのだろうか。目線を少し右にやると、およそ学園長室には不似合いなものがあった。

 狸の置物。

 そう。滋賀の信楽でよく作られているそれそのもの。

 洋式に設えられたこの部屋にはとても似合わないもの。

 それがなぜ。

「気を付けはいい。楽にしたまえ」

 戸惑う秀治を尻目に、機先を制したのは学園長であった。ようやく、全員の前に顔を見せる。とはいえ、入学式ですでにその姿は見ているのだが。やはりでっぷりとした腹が印象強い。

「さて……なぜ君達を呼び出したか、だが」

 学園長は身体をソファに預けたまま、泰然と言の葉を放つ。

「まずはさっくりと行こうか。君たちは一人を除いて、全員がよ――」

「――っ!」

 『よ』の瞬間だった。美咲が顔を押さえ、突然学園長室から飛び出した。あまりにも突然過ぎて、この場の全員、誰もが対応出来なかった。

「美咲さん!」

 秀治は思わず叫んだ。叫んでしまった。動揺のあまり、敬語になっていることにも気付けなかった。

「学園長。ここは私が」

「任せた。安全に連れて来て欲しい」

「はい」

 生徒会長が動く。彼女は至って冷静だった。学園長も右に同じだ。表情一つ変えることなく、事態をさばいている。

 秀治には理解できなかった。どうしてこんなに冷静なのか。他の生徒達を見る。皆一様に、ざわついていた。秀治へと目を向ける生徒もいる。どうしたら良いのか分からず、彼は少しだけ視線をそらした。仮に今話しかけられたとしても、心臓がうるさくて会話にならない。混乱が収まるまで、待って欲しいところであった。

 パタンと軽い音を立てて、学園長室の扉が閉まった。学園長は表情を変えることもなく、秀治は呆然とその様を見送った。

「では、改めて話をしようか。なに、二人ほど居らずとも、可能な話はある」

 学園長の目が、全生徒を順繰りに見ていく。その目には、奇妙な底知れ無さがあった。


 ***


 どこをどう走り、どこの階段を降りたのか。全く覚えていなかった。気が付けば妙に薄暗い階段に座り、一人で息を切らしていた。

 未だに見慣れない黒髪が、汗でべたつき、乱れていた。いっそ切ってやろうかと衝動が沸き、そうじゃないと首を振る。手櫛で整えつつ呼吸を深め、思考を整えていく。

 どうしてあの部屋を飛び出したのか。自分でもよく分かっていた。『妖怪』と言われることが、怖かったのだ。成り行きとはいえ、高校へ通うなどという契約を結んでしまった。自身が鬼だというのは、その上でなんとしても隠し通さなければならなかったことである。

 しかし、その秘密を初日から暴かれそうになった。ついでに言えば、皆を騙した格好にもなっている。故に、彼女は戻ろうにも戻れなかった。戻らねば、話も聞けないというのに。

「どうしたの?」

 不意に、声が聞こえた。彼女は、顔を上げた。そこには、見知らぬ顔が居た。もっとも、まだ知らない人物の方が多いのが事実だが。

「……」

 彼女は答えあぐねた。まだまだ人に慣れ切っていない彼女に、今の心境を適切に説明できる語彙はない。するとスカートを履いていた見知らぬ人は、美咲の隣に腰を下ろした。そして、言った。

「私ね、幽霊なんだ」

 あまりにもあっさりとしたカミングアウト。そのなんでもなさの詰まった発言に、美咲も、思わず釣られた。

「私は鬼です」

 言ってから気付き、手で口に蓋をする。しかし目の前の自称幽霊は、微笑むだけだった。

「そう、鬼なの」

 なんでもなさそうに、自称幽霊は言った。肩くらいの黒髪に、真新しい制服。微笑みは歳相応に柔らかく、『美しい』というよりは『可愛い』といった感じだろうか? その辺りの機微は、美咲には今一つわからない。足を見ようと思ったが、少し憚られた。

「割と関係ないわよ、この学校。この姿になって分かったけど、妖怪がだいたい一割ぐらいは居るもの」

 自称幽霊はサラリと言った。美咲は、顔から血の気が引くような感覚に襲われた。


 ***


「……なるほど。オレ……達、が知らなかっただけで、案外妖怪も通っていたのですか。この学校」

「その通り。君のお祖父様が話を通していてくれたので対応ができたが、まさかそちらで根回しが終わっていないとは」

「はい……」

 妖怪新入生たちへのすべての説明が終わってなお、秀治は一人残されていた。学園長席の前にある応接用の椅子に通され、一対一の対面を果たしていた。

「手違いか、それとも試練のつもりだったか。わかりはしないが、あんまり、ねえ……」

「はい……」

 学園長のお小言を直々に受けてしまい、秀治は平身低頭していた。同時に祖父――秀兼に向けて悪態もつく。ちくしょう、あんまりにも人が悪い。絶対にオレが戸惑うのを狙っていやがった。いつか覚えてろ。だがそれよりも前に、なによりも先に。目の前に座る人物に向けて、問わねばならぬことがあった。

「……。まあ、気を付けたまえ」

「承知しました。ところで」

 やがて話は切れ目を迎えた。そこで秀治は、思い切って尋ねた。

「なぜオレの目の前には、狸が座っているのでしょうか?」

 そう。

 目の前に居たはずの学園長が、いつの間にか服を着た狸にすり替わっていたのだ。

「んむ!? お、おお……! これは済まない! いつの間にか化けが解けていたようだ。……ヌンッ!」

 顔を触って手を確認し、自分の姿を自覚した学園長は、狼狽するでもなく、そのまま頭の上に葉っぱを乗せる。そのまま一声上げて、古典的な漫画よろしく『ドロン』、と人間の姿に化けた。

「コホン。不要な他言は無用である。だが、はっきりと言おう。この私、田貫コーポレーション総帥・田貫刑部たぬきぎょうぶをはじめとして、我等田貫一族は尽く化狸の一家である」

「ああ……。はい」

 取りつくろうでもなく、はっきりと自己を明示した学園長。秀治は唖然とした。たしかに、すべての説明はつく。ついてしまう。

 この学校に、妖怪がそれなりの数いる理由。

 今も視界にある、この部屋に不似合いな狸の置物。

 この学園のトップが妖怪で、その正体が狸なら。

 恐ろしい。彼は素直にそう思った。

 そもそも天津沖島高校自体、津上つのかみ天宮あまみや、どちらに置くかで揉めに揉めた『県立天津高校(仮称)』の代替として、田貫コーポレーションが人工島計画とほぼ同時期に持ち出した代物だ。

 その為学費は一般私立に比して安く、更にはコーポレーションからの奨学金を始めとした、手厚い保障が為されている。これは朝、美咲が読んでいた資料にも記されている話である。

「つまり、この学校は」

「うむ。我々の用意した『妖怪と人間の架け橋の一つ』である」

 田貫刑部は言い切った。身体のようにふてぶてしくはあるが、その口ぶりと眼には一片の陰りもなかった。

 秀治は迷った。この男を信じるに足る要素は揃った。しかし逆にそれが不安を呼んだ。あまりにも、お膳立てがされすぎているのだ。

「ふむ」

 秀治の表情を察したのか、刑部がさらに口を開こうとした。その時。

「失礼します。生徒会長の細波さざなみです。一人おまけが付きましたが、津山美咲を確保、連行して参りました」

 ノックの音と共に、秀治を安心させる知らせが飛び込んだ。

「入りなさい」

 刑部が許可を下す。細波、と名乗った生徒会長に導かれる形で、美咲がおずおずと中に入った。そして秀治にペコリと、頭を下げた。そしてその後ろにもう一人。

 その姿を見た時、秀治は愕然とした。彼女には膝から先がなかった。一方刑部は平然としたものだった。そして言ってのけた。

「覚えているとも。八年前のあの事故は残念だったね。沖田麗花おきたれいかさん。心残りがあるならゆっくりと過ごして欲しい。」

 続けて刑部は幽霊に向かって手を合わせ、一礼した。その瞬間、幽霊は驚いたような表情を見せた。そして次の瞬間、目からポロポロと涙を流し、うずくまった。


 ***


「つまりの所、問題点は、なのだよ」

 泣き出した幽霊を美咲がなだめ、細波が刑部に委細を話し、刑部が美咲に改めて事情を語って。

 ようやく全員に問題点の共有が成った。そこで改めて学園長が、先のセリフを切り出した。

 ここまで時間を費やしてこの結論もどうか、と秀治は思った。しかし実際にはすでに、最初にして最大の問題点が解決していた。

 彼はこの時点で、『学園長が美咲を追い出そうとしてこの場に呼んだ訳ではない』という事実を、自覚せずして確保していた。彼の目的は静かに果たされたのだ。

 もっとも、学力問題もなかなかの難題であった。

「正直な所、最低限さえできていればどうにかなる。どうにかなるが……」

 刑部が、美咲をちらりと見やった。美咲は胸を張り、刑部の問いに応じた。

「私は確かに寺子屋……ああ、今は小学校というのだったか? それにすら通ったことはない。幸い文字は読めるし書ける。が、教育というものはついぞ知らない」

「それは胸を張ることじゃないのだが……」

 秀治は頭を抱えた。素性を隠さなくても良くなった美咲が、まさか最初から開けっ広げに話すなんて。そして教育の程度については、やっぱりだった。

 要するに、『段階を踏んでいない』のだ。

 鬼である彼女にしてみれば、化ければ良い問題、かもしれない。秀治自身も、そう思っていたところがあった。だが、現実はそう上手くいくものではなかった。では、美咲が天津沖島高校を去れば良いのか? そうも行かない。契約面で問題が出る恐れがある。秀治としては正直、そんな事態は避けたい。つまり、無茶を通す必要があった。彼は内心で、もう一度頭を抱えた。

 誰もが口を開く機会を見失い、学園長室に重い沈黙が漂う。その時。

「あ、あの! わ、私に、その問題、ま、任せてもらえませんか?」

 ずっとその場に残っていた幽霊が、たどたどしくも沈黙を破った。

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オレの青春はどうにも巻き込まれ型らしい 南雲麗 @nagumo_rei

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