#4 足りない知恵を回した結果

 奇跡――祖霊の登場――により、九死に一生を得た秀治。しかし鬼は無力化できても、やるべきことはいくつも残っていた。

 まずは、元の場所で昏倒している祖父が気がかりだった。故に、一旦祖父の元へと戻ることにした。三吉が再び秀治の頭に乗ると、秀光も秀治に続く構えを見せた。

「あれ、御先祖様も……」

「子孫の容態を気にして、なにが悪いか」

「……そうですね」

 秀治は、先祖の口ぶりに違和感を得た。先程あの鬼に掛けた声より、少々硬い気がする。しかし現状でそれを問うには、時間も勇気も足りなかった。今はとにかく走るのが先決だった。

「来たか! やったか!? こっちはまだ虫の息だ!」

「はやく、はやくびょういんに!」

 息を切らせて祖父の元へ辿り着くと、一蔵と二平が悲鳴を上げてすがり付いて来た。不安と焦り、秀治が来てくれた安心が入り混じったような表情だった。そこに秀光が、音もなく近寄って来た。

「先ほど見たのも含めて雑妖が三匹……。子孫よ、君は彼等が見えるのか? それと……ここで昏倒しているのが」

「ええ。妖怪幽霊押しなべて。その辺りならだいたい見えます。そして、オレの祖父です。秀兼といいます。先にあの鬼へと挑み、傷付きました」

「そうか……。彼らを少し離れた所へ。私には心得がある。黄泉路より引き戻すぐらいは出来ようぞ」

「分かりました。一蔵、二平。一緒に」

 すがりついてきた雑用二匹を、そのまま祖父から引き離す。それと入れ替わるように、秀光が秀兼に近寄った。そのまま手をかざす。なんらかの札が、秀治からは見えた。普段なら詐術の類だと騒ぎ立てるところだ。しかし今回の秀治には、不思議とその気は起きなかった。だから秀治は、黙って秀光にうなずいて見せた。

 それを合図に、小さく何らかの詠唱が始まった。もはや人間にも妖怪にも、騒ぎ立てる隙はなかった。詠唱は長く続いた。秀治は、先祖の額に汗が流れるのを見た。予想よりも、難しいのであろうか。

 不意に、光に包まれた鬼を思い出す。アレとてそう長くは保たないはず。もしも鬼が、あのままの狂気と体躯で襲って来たならば……。左の手のひらに、汗が浮かぶ。きつく握りしめた。どれだけ。後どれだけ。右の手に握り締めた鬼角砕は、もう光っては見えはしない。

「……。ふうっ。取り敢えず死に至る可能性だけは全力で排除した。外傷はさして多くないように見えるな。おそらく、打ち所が悪かったのだろう」

 永遠にも思えた詠唱が、不意に終わった。秀光は天を仰ぎ、大きく息を吐いた。秀治は、その姿を改めてしっかりと見た。すっきりした目鼻立ちで顔が細く、漫画から出て来たかのような艶姿であった。その姿に一瞬見惚れかけた後、彼は九十度の最敬礼をした。雑妖たちも、それに続く。

「ありがとうございます」

「ありがとうございます!」

「ありがとう!」

「かたじけない。直接の知り合いではないが、知己の親しい者に目の前で死なれては寝覚めが悪い。良かった」

 彼らにも思うところはあったらしく、その声は明るい。目の前の霊体はその間ずっと、艶やかな笑顔を見せていた。

「うむ。そう言って貰えるなら、本当に良かった。さて、そろそろ向こうの片がつく頃合いだろうか」

 秀光が立ち上がる。その目は、鬼のいる方角を向いていた。

「気がかりですか?」

「うむ。万一術が失敗していたならば、打つ手は少ない。その場合、はっきり言って君達は足手まといになる。一度引き上げることをすすめるぞ」

「賛成だ。餅は餅屋に任せとけ」

「すたこらさっさー!」

「祖父殿の事もある。ここは引いて態勢を立て直そう」

「確かに……。オレ達は一旦下山します。その……子孫の不始末を押し付けるようで恐縮ですが……。お願いします!」

 秀治は、改めて最敬礼を先祖に捧げた。そして祖父を背負い、登山道を逆に走り出した。祖父の乗って来たオフロードバイクは、明るくなってから回収することにした。今はとにかく、時間がない。

 雑妖三匹も、それに続いた。片足の悪い三吉は、一蔵がおぶった。屋敷に着くまでの間、彼等は一度も振り返らなかった。ひたすらに無言だった。

 屋敷に辿り着く直前、彼等は別れの言葉を交わした。後は川瀬一族の問題である。そこに雑妖が絡む必要性は無い。彼等は自ら手を引いた。別れ際、秀治は深々と頭を下げた。今度会った時には何かを弾もう。そう決意した。

 未だ目覚めぬ祖父を寝室へと運び、玄関先へと取って返す。先祖の首尾が気になる。出来るならば迎えにも行きたい。懐中電灯を持ち、靴を履くべく座り込む。が。

「え……。ちょっと、まだ……」

 命と祖父。二重の危機に際して、張り詰めていた気が抜けたのか。あるいは自分が考えているよりも疲れていたのか。あたかも操り人形の糸が切れたかのように、彼の身体は玄関に崩れ落ちていった。


 ***


 気絶しようが、昨日がいかに苦しいものであろうが。やがて時は巡り、陽はまた昇る。朝日が川瀬屋敷に注ぎ込み、鳥が気持ち良く鳴いている。

 そんな中、秀治は心地良い夢に浸っていた。ふわふわと、ゆらゆらと、波間を漂うような幸せな気分。隣には長い黒髪、セーラー服の女性が居た。見知らぬはずなのに、知っている誰かに似ている気がした。

 二人は寝食を共にし、共に学んでいた。手を繋ぎ、笑顔で道を歩んでいた。

 ふとその前方に男が見えた。現代には似つかわしくない、狩衣姿であった。しかし彼は、気分のままに突き進んだ。すれ違う瞬間、耳元で声がした。

「そろそろ起きようか」

「っ!? うわああああああ!?」

 心地良かった筈の夢が一瞬で霧散し、秀治は布団を跳ね除け飛び起きる。

「おはよう、子孫。良い夢が見られたようで何よりだ。顔がにやけていたよ」

 現実は残酷だった。枕元には秀光が座っていた。おまけに笑顔だった。周囲を見渡す。川瀬屋敷の、床の間だった。

「な、なんで人の家に勝手に上がり込んでいるんですか! というか、確かオレ……。あれ……? 昨日の記憶が、途中から無い……。ついでに服もそのままじゃないか……」

 彼の記憶は、祖父を寝かせたところで途絶えていた。ガックリしている秀治をよそに、秀光はなおも笑顔で問いに応じた。

「いや、ここは川瀬の屋敷だからな。私が居たところでおかしくはないだろう? 刀越しに、おおよその間取りは察していた」

「なんでもあり、ですね……。で……なんでここ、に……もう一人?」

「やあやあ。昨日はお恥ずかしい所を見せてしまったようだな。それと、私が玄関先で寝ていたお前さんを運んで、布団も敷いた。適当ですまない」

 秀治は、努めて見ないようにしていた『彼女』に目を向けた。そう。延々と繰り言を吐き続けていた相手、角噛御前その人である。二本の角、流れるような長い白髪。なに一つ変わらぬ姿が、そこにはあった。

「……」

「どうした。見惚れたか」

「ええと……」

 一昨日のことやら昨日のことやらが脳裏を駆け巡り、秀治はまともな返事ができない。そもそもこんな事態になるとは、露ほどにも思っていなかったのだ。一体全体、どこから話せばいいのやら。

「ん……?」

 そんな混乱の中、秀治はふと違和感を感じ、御前に顔を近づけた。

「どうした?」

「いや……」

 御前の顔をまじまじと見ながら、頭の中で角を外し、髪を黒くする。セーラー服を着せてみる。すると、先刻、夢の中に見た女に似ていた。だがそれを直接言うにははばかられた。

「なんでもない……」

「なんでもないとはなんだ。人……もとい、鬼の顔をまじまじと見ておいて」

「なんでもないって言ってるだろう」

「なんでもなくはないだろう」

 なにを。なにを。どちらからともなく立ち上がり、両者は顔を怒らせにらみ合う。しかし幽霊が、笑顔のままに割って入った。

「よーし、詳しい顛末は食卓で話そうじゃないか。秀兼が先刻無事に目を覚まし、今は元気に朝食を作っているのだ。それを食しつつ、話をしようではないか」

「えっ、爺ちゃん起きてたの? ちょ、無理はいかんって、爺ちゃん!」

 突然の朗報に、秀治はドタバタと床の間を飛び出した。無論鬼と幽霊、ついでに布団は置き去りである。

「……布団、片付けといてくれるかな?」

「良かろう」


 ***


 そんなこんなで朝食の席。今日ばかりは上座に先祖である秀光が座り、一応は秀光の客人である角噛御前が、その右手に座った。それから御前の向かいに秀兼が、そして下座に秀治が座った。

「いただきます」

 一斉に挨拶し、朝食にとりかかる。食卓の上には人数分の焼鮭、だし巻き卵。そして米に味噌汁が用意されていた。いかなる場合でも食事の支度に手を抜かないのが、秀兼の密かな信条だった。

「四人の食卓など、どれだけ久しぶりか。それも、相手が御先祖様と鬼姫様とは。たった今妻の所へと旅立っても、もはや悔いはありませんな」

 感慨深げに秀兼が口火を切った。秀治は珍しい、と思った。日常において祖父は、食事中の不要な会話を好んでいなかった。

「打ち所が悪かっだけだったとはいえ、だ。昨日危ういところだったのに、よく言えるものだな。子孫よ……」

「なに、鬼姫様と戦ってああなったのですから、致し方ありませんな。いや、あの時点では孫も頼りなく、いささか不安でしたか」

 先祖の苦笑いを受け流し、にこやかな顔を浮かべる秀兼。そして言葉を続ける。

「しかし今は違いますぞ。秀光様より委細を伺い、今私は、大いに満ち足りております。この孫でよかった」

 急な賛辞の言葉に、秀治はむず痒さを覚えた。彼が己を振り絞って鬼に挑んだ。その事実は、祖父に非常に高く評価されているらしい。そしてこの場に至る経緯も、既に大意は知らされているようであった。

「爺ちゃん。嬉しいけどそれは置いとこう。取り敢えず……あの後、なにがどうなってこうなったんです?」

 秀治は、一息に本題を切り出した。こういう時は単刀直入の方がやりやすい。だし巻き卵をつまみ取りつつ、尋ねていく。朝食としては、非常に品が良く作られていた。

「うむ。それは私から言わせてもらおう。結論から言えば術は無事に成功した」

 秀光が割り込んだ。霊体なのに普通に飯を口に入れているが、それはまた別の話だ。

「……。どこから話すのが適切かわからないから、まずは昔の話から始めよう。そもそも私と角噛御前は、書物文献で言われているほど険悪な仲ではない。この事実を、念頭に置いて欲しい」

「えっ」

 いきなり衝撃の事実が明らかになった。昔話とも、川瀬に伝わる話とも全然違う。

「ふむ、ちょうど良かったようだな。彼女と最初に戦った時は、当然だがお互い険悪極まりなかった。そもそも都落ちした、多少陰陽の術を心得た程度の武士。それが私だ。偶然この地を通りかかり、なにを見込まれたのか、鬼退治をするはめになってしまった】

「つまり、だ。こいつは鬼を退治しに来た侵入者、私はそもそも人外だ。殺すしかない」

 味噌汁を飲み込みながら、鬼も話題に介入してきた。意外なことに、箸を使いこなしている。普通に食事を摂っている。どこで覚えたのだろうか? 案外『見える』ご先祖が弁当とかを持って行っていたのかもしれない。

「で、やり合ったわけなんだが……。当時はまだ、簡単な符術と刀ぐらいしか扱えなかったからね。非常に苦労したよ。その中で、まあ……うん」

「わりと骨がある上に結構強い。そもそも鬼を相手に真っ向から挑んで来る時点で、骨のある奴だ。で、ちょっと魅了されてる内に角を片方やられたのさ。これが結構痛くてねえ。のたうち回っている内に逃げられた」

「正直、偶然だとは分かっていた。だから一度、三十六計を決めさせて頂いた」

 そして始まる、交互の視点からの昔話。色々と見聞きしてきた話とはズレていた。しかし秀治は、聞き入っていた。今回の事態を、掴まなくてはならないからだ。

「さて、それでは済まないのがこっちだ。メンツも立たないし、手下も情けない姿を見て出て行った。とはいえ、角を取られた腹いせだけで殴り込むのも、馬鹿らしいし腹立たしい」

「とはいえ、まさか女に化けて来るとは思わなかったよ」

「ハッハッハ! 私は貴様をどこか気に入ったからな。なんならいっそ……とか思っておった」

「本人を前に言う話でもないだろう……。と、とにかく! 私はまんまと騙されて暫くこ奴と暮らすはめになった。まあ、一緒に暮らせば情も通う。そして」

「しっかり角を取り返したのだ」

 鬼が胸を張った。ここまで来ると秀治もおおよそが飲み込めてきた。たまらず口を挟む。

「んー。つまりですよ? この後御先祖様が追い付いて第二戦。しかし止めを刺さず、契約を結んで鬼を封印した。って、ことですか?」

「そんな所だ。私が追い付くと角を噛み砕いて飲み干し、『我を捻じ伏せてみよ!』と喧嘩を売ってきた。苦戦はしたが、どうにかこうにか打ち倒した。だがその時に情が湧いてな」

 秀光の顔が曇った。後悔が滲み出ていると、秀治は思った。しかし秀光は、毅然と話を続けた。

「結局私は、彼女に『契約』を持ちかけた。我が一族は、お前を殺すことはしない。ただしこの山に縛り付ける。そして、契約を代々続けていく、と」

「で、私は死ぬよりマシと踏んでそれに乗ったんだ。まあ恩讐はあるが、そこまで恨んでもいない。むしろ私は、秀光を気に入っているのさ」

 鬼は、いつの間にか食事を終えていた。浮かべた微笑みに、秀治は、この話こそが真実だ確信した。改めて居住まいを正し、秀光をまっすぐに見る。そして、尋ねた。

「御先祖様、まず簡潔に答えて下さい。私は、なにをすればよろしいのでしょうか?」

「うん? まあざっくばらんに言おう。この鬼に勝って再契約する。それだけだ」

「えっ」

 秀治は呆気にとられた。慌てて祖父の方を見る。しかし秀兼は、いかめしい顔で秀治に告げた。

「私は鬼姫様に敗れた。継承の儀の件も含めて、ちょうどいい頃合いだ。故に私は、当主の座も含めて、役目を退く」

「えっ」

 はしごを外されたような感覚に陥りながら、秀治は鬼を見た。いい笑顔だった。非常にいい笑顔だった。

「正直に言えば、私は普通に契約してもいい」

 鬼姫は、笑顔のままに言う。だが、よく見ればその目は笑っていない。秀治は、顔を引き締める。

「しかし秀光が言うには一度契約が途切れた以上、もう一度勝たねば契約は成り立たぬらしい。そしてなにより」

 鬼の視線が、秀治を穿つ。今にも倒されそうなほどの気迫の増幅に、秀治は冷や汗を垂らした。

「この私が、貴様を見たい。この期に及んで繰り言百遍の無様を見せるのなら、私は容赦せぬ」

 意気軒昂な鬼を目前にしながら、秀治は内心で頭を抱えた。勝てる気がしない。いや、そもそも勝負になる気がしない。それでも一縷いちるの望みを込めて、彼は先祖に問うた。

「その……やはり。戦闘、ですか?」

「当然だ」

「なんだい、遊戯や博打で済ませる気かい? そんな真似したら、街に出て自由に生きてやる。当然責任は封印を破られた川瀬にあるよな?」

 鬼の問いに、秀兼が無言で頷いた。秀治は悟る。この問いかけは、完全に無謀だった。

 どうする。

 秀治は冷えた飯に取り掛かりつつ、考え込んだ。もはや勝負を回避するすべはない。ならば、せめてやる気を高めたい。付加価値を付けたい。

 彼は考え込んだ。考え込んで、考え込んで。更に考え込んでしまい。

 ふと、夢に出てきた女を思い出した。改めて鬼の顔を見る。やはり似ている。

 不意に思考が繋がった。そうだ、せっかくなら。思考の連鎖反応が巻き起こる。誰から見ても斜め上の、とんでもない答えをはじき出す。

「んっ!」

 秀治は顔を上げた。一息で飯をかき込み、茶を飲み干す。勢いのままに先祖の目を見据え、言い放った。

「せめて、一つだけ条件を付けさせて下さい。もしオレが、角噛御前に勝って契約が成立したら――。彼女には女子高生としてオレと一緒に高校に通って頂きます」

「はい?」

 場が一瞬で凍りつく音が、秀治には聞こえた気がした。


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