星の生まれるところから

 それから幾星霜もの歳月の流れの果てに、今の私がいる。

 あれから、色々なことがあった。だけどその色々は、どこにでも転がっているような、退屈なお話以外の何物でもない。

 だって私は、決めたから。一方通行の時間を生きる凡庸な人間として、空の隣を歩いていくのだと。

 空の博士課程卒業を契機に、私と空は駅前のマンションに引っ越した。ボロアパートとは比較にならない家賃ではあったけど、折半すれば払えない額ではなかった。

 入居前、私と空はお互いに、自分のことは自分でやろうという誓約を交わした。最初の一年くらいは、私が手を貸したりフォローしたりするような場面もしばしばあった。でも、二年も経てば流石の空も慣れてきて、洗濯も掃除も料理も私が口を出さなくても、それなりにこなせるようになっていた。自室は相変わらず散らかっていたけれど、ゴキブリの温床になっているわけでもなかったので、そのくらいは多めに見てあげた。

 優との交流も続いていた。優は、何かと家に閉じこもりがちな私と空を、半ば強引に外の世界へと連れ出した。流行りのレジャースポットやら人の集まるイベントやら、私と空には縁の遠い場所ばかりにだ。とはいえ、私も空も満更ではなかった。優は新鮮そうにする私達の反応を眺めては、満足気な笑みを浮かべていた。

 私が空に真実を伝えることは、とうとうなかった。それでも空は、東京上空のオーロラがチェレンコフ光であること、多元宇宙からの物質であれば光速を超えた運動が可能であることなどを理論的に証明し、それで博士論文を書いた。その論文が空の生きている間に評価されることはなかったけれど、それからおよそ百年後。人類の観測技術や理論体系が発達し、無限小の厚さを持った超光速の飛翔物体がオーロラ内部に確認された頃になって、空の論文はようやく日の目を浴びた。百年も前に、ここまで真実に肉薄した理論モデルを組み立てていた人物がいたことに、多くの人が賛嘆の念を抱いた。

 多元宇宙や超光速の実在が確認されたところで、人類が大規模な躍進を遂げることはなかった。だけど、滅びを遅らせることには成功した。本来の寿命より二千年も長く、人類は生きながらえた。

 天文学的スケールで見ればゼロに近似できるほど、取るに足らない時間ではある。だけど私は、それを無価値と切り捨てることはしたくなかった。

「結局さ。空は私達のこと、どう思ってたのかな」

「どうって、内心では確信してたんじゃない? 私達の正体が、外宇宙人なんだって。だから意固地になってでも、あの論文を完成させたんじゃないの」

「でも、空なら確証がなかったところで、やり遂げてた気もするなって」

「ああ、確かに」

 クス、と貴方が微かに笑って、空間が小刻みに震えた。

 こちらに戻った私と貴方は、融合しない道を選んだ。ブラックホールで形成した壁面を壁にして、思考が溶け合わないように隔壁を設置したのだ。とはいえ、そこまで幅の広い壁ではない。手を伸ばせば、指先が触れ合うくらいの大きさ。貴方が重力のポテンシャルを蠢かせる度に、その振動が伝わってくる。くすぐったくはあるけれど、不快ではない。

 今ではもう、私達は他宇宙に干渉したりしていない。でも貴方はやっぱり外交的な性格なので、たまには旅行でもしようよ、と物見遊山に行くことはあった。私もそれくらいなら、と気晴らしに付き合った。

 今日も何処かから、何百億年も以前の誰かの声がやってくる。星屑の海に押し寄せる重力のさざなみが、茫漠たる宇宙のどこかで、また新たな意識を芽生えさせていく。

 私たちの交わす言葉もまた、際限なく広がり続ける宇宙空間を、走り続ける。

 空から貰った優しさも、かけがえのない思い出も。空の隣で体験したものの全ては、今もこうして、胸の中に大切に取ってある。そしてそれは、私と貴方が昔話に花を咲かせるたびに、重力の波に乗り、加速膨張をし続ける宇宙の彼方を目指して、伝播していく。

 暗く冷たい孤独にあふれた、この宇宙の果てを目指して。

 星の生まれるところから、星の生まれるところへと。

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星の生まれるところから 赤崎弥生 @akasaki_yayoi

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