ひまわりの種
おきな
ひまわりの種
話し相手は、いつも先生だった。
関西弁をどうやって使ったらいいのか分からなくなるから、丁寧語で話せる目上の人の方が話しやすかった。
いつ先生を好きになったのかは分からない。本当に自然と、私は先生に近づくようになっていた。
私は学校に行くと話せない。先生とも、交換日記で話すか、先生が一方的に何か言っているのを聞いていただけ。交換日記といっても、ありふれたものではない。クイズを出したり、冗談を書いたり、返ってくるのが楽しみで、すぐ返事を開いてしまう。そのときの先生の反応も、合わせて楽しみだった。先生は、毎週1回か2回、私とだけの特別な時間を作ってくれていた。
みんなは「先生なんて嫌いだ」と言っていた。私も、心のどこかではそう思っていたと思う。私は子供でいたかった。私はそんな先生を嫌うことができるまで、みんなのように大人になれていなかったのだと、今となっては思う。
家に帰ると、普通の関西弁で話すことができた。交換日記に書くような、面白い冗談も声に出して言えるし、歌も歌えるし、笑い声も出せた。家族とは話せるのに、なぜか学校にいるときだけ話せなくなっていた。理由は今でも分からない。
毎日、いじめられるんじゃないかと気が気でなかった。いや、本当はいじめられていたんだと思う。何か言われても言い返せない。学校に行くと動きが鈍くなる。何でも話せる友達はいなかった。男子は、教室の前で待ち伏せして私が教室に入るのを邪魔してきていたし、陰で私を笑い話にしていた。女子は男子のように、はっきり分かることはしていなかったが、きっと裏で話を合わせて、私には極力話しかけないようにしていたのだろう。そう思うくらい、学校が苦痛でしかなかった。助けてくれない担任の先生も大嫌いだった。自分で抜いたり、自然に抜けたりして、髪の毛も減っていた。枝毛は増えていた。
そこに現れたのが先生だった。誰かとすれ違うときは怖くて、どこにいたとしても絶対に顔を見ることができなかったが、先生とすれ違うときは安心して、目を合わせることができた。
私が一番してみたかったのは、挨拶だった。何度も先生を引き止めて、練習してみた。できなくて心が折れかけていた私に、まずはハイタッチで挨拶の代わりにしようと言ってくれたのも先生だった。他の先生にそんなことを言われても、私は拒否していたと思う。甘えて、一生喋れないままになってしまうんじゃないかと思っていたからだ。でも先生は、軽いノリでハイタッチを誘ってくれて、私は毎日楽しく一日の終わりを迎えることができた。
それに、私は何か言いたいのに言えないとき、目をつぶる癖があった。私がいつもそうするものだから、先生は筆談も提案してくれた。これもまた、甘えてしまうと思っていたが、先生が言ってくれた、筆談もするけど、交換日記もするという条件で、私は筆談も始めた。先生は、私のことを何もかも分かってくれていた。私の扱い方が上手だった。
プリントtalkという名前でした筆談は、思いのほか楽しかった。先生の前で文字を書けるようになると、今まで心に溜めていた言葉がどんどん溢れ出てきた。もともと作文は得意だったので、文字だけでも先生の笑いを取ることができた。それが嬉しくて、また私は先生と話すのを楽しみにしていた。学校では感情がないとさえ思われていた私が、先生の前でだけは、顔と文字で自分を表現するようになった。
先生は、理科の授業をしていた。もとから理科は好きだったが、私は先生のおかげで理科がもっと好きになった。テストでは、80点以上を取ると名前の横にかわいいはんこが押されるので、毎回80点を目指して頑張っていた。
「普通」という枠からはみ出した私を、その枠に入れるのではなく、ありのまま受け入れてくれる先生は、私にとって大切な存在だった。
そうやって、先生と出会ってから学校にも少し希望を持ち始めた私は、初めて交換日記に「先生と声で話したい」と書いてみることにした。家で1時間ほど悩んで、やっと書き上げた文章を翌日先生に持って行った。
すると先生は、「では、話す練習をしてみましょう!」とさっそく返事を書いてくれて、次の日に時間を作ってくれた。私は正直、「話せるようになるといいね」で終わると思っていたので驚くと同時に、どんなことをするのだろうとわくわくしていた。
約束した時間は放課後だった。教室を出ると、先生が立って待っていた。隣の教室が空いていたので、中に入って私の前に先生が座った。そして紙とペンを私にくれた。
「家では家族に挨拶とかしてるの?」
『挨拶できてないです。とっさにごめんとかは言えるけど、ごめんなさいって言いなさいってなると言えなくなります。』
「言いなさいってなると言えなくなるのはみんな同じだよ。あなただけじゃない。練習ね、いきなり声を出すのは難しいと思って、先生もいろいろ調べてきて、ティッシュにこうして、息を吹いてみて。先生だと、ティッシュがひらひら動く。できるかな?」
私はできなかった。先生が気を使って、私を見ないように前を向いて座ってくれたけど、それでもできなかった。先生は「家でも練習しておいて」と言った。私は練習もしなかった。家で練習したとしても、学校ではどうせできないと思ったからだ。結局、その話す練習も1回で終わった。私は挨拶が絶対にしたかった。ハイタッチをすぐにする頻度は減り、小さいメモ帳に「今日は言える気がします」と書いて渡すことが増えた。先生は、こうやって伝えると毎回私の練習に付き合ってくれていた。それが嬉しかった。
うちのメダカの水槽は教室のようだ、と思う。細くて弱いメダカは、すぐにいじめられる。えさを食べるのも、逃げながらでないといけない。
私はその弱いメダカだった。
でも、先生といるときは強くなっている気がした。水槽で言えば土管の中にいるときだと思う。私にはそれがあった。安心できる場所が。
もう、私には子供騙しは効かなかった。かくれんぼで先生を見つけて、「いたー!」と言ってしまうほど、ゲームで勝って、嬉しくて勝手に声が出るほど子供ではなかった。
それが悲しくて、寂しかった。
先生に好きなだけ甘えられて、私もまだ子供でいていいんだと思えた。子供騙しは、もう効かなかったけど。
卒業間近、英語の授業で比喩(metaphor)を使って詩を書くことになった。
私は、先生のことを"My teacher is a sunflower"という比喩で表した。その比喩をを先生に見てもらったあと、私はこんな詩を書いた。
"My teacher is a sunflower"
I wrote this metaphor in English class
Then, she said to me "You are sunflower seeds"
I have been happy since then
私が先生をひまわりだと言ったら、先生は私のことを、ひまわりの種だと言ってくれた。先生は軽く言っただけに見えたが、私はあとから嬉しくなって、この詩を勢いで仕上げた。先生も喜んでくれた。
歳で言えば2歳ぐらい、大人になってしまってからだけど、あのとき伝えきれていなかったかもしれないから。
You are my treasure, too.Thank you for your support, my teachers.
ひまわりの種 おきな @okina_
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